―――日も暮れた後になって、夕食をとろうと、デューは部屋を出、階下の食卓の一つにつこうとした。が、椅子に完全に腰を落ち着ける前に、駆け付けた女将に声をかけられた。食事は運んでいくから、部屋で待っていろと言うのである。
 首を傾げながらも二階に戻り、扉を開け放したまま、なんとなく手持ち無沙汰なままでしばし待った。やがて足音が聞こえたかと思うと、食欲をそそる香気を漂わせた皿を盆に乗せて、女将が部屋へ入ってくる。

「お待たせして申し訳ないね、下も混んでるものだから」
 言いながら、部屋に備え付けてあった小机の上に盆を置くと、何時の間に運んだのか、更に別の食卓を部屋に運び入れる。手際の良さにデューが感心するうちに、小机には納まりきらなかった盆から、新たな食卓の上へところ狭しと皿が並べられた。



 皿の上に並んだ料理を見て、デューは唖然としてしまった。
「食事は期待していいって、こういう事かぁ。」
 思わず感嘆の声が上がる。皿の上は新鮮な野菜やとりどりの果実が彩っているだけでなく、献立の中心らしい大皿には、香草の匂いの漂う、鹿らしき動物の大きな肉の煮込みが供されていた。しかし、そう簡単に手にいれられる材料ではないのではないか。
 だが、得意げな顔をする女将に、困惑気味に「高いんじゃないの?」と訊ねると、威勢よく笑い飛ばされてしまった。
「無料って訳にはいかないけど、安くしますって言ったでしょう?‥‥‥昼食べた品と同じにしときますよ。これは注文の献立に載せてない料理だし、味見も兼ねてもらってね。」
「献立には載せてないって?」
 訊ね返されて、女将は肩を一つすくめて答えた。
「いつもいつも出せる品じゃないからね。でも、この先、狩りの許可がおりて、獲物のあった日に限定で出そうかと思って。最近はこの辺も客の入りがいいから、何か目玉がないとね。」
 デューは納得した。つまり、この肉は店の主人か誰かが、狩りでしとめた獲物であるらしい。食堂で出しているものとはまた別の献立という訳で、値段まだ定めていないのだろう。だがそれにしても、献立の質のまるで異なる昼の料理と同じ値段とは、商売上かなり譲歩してもらったと思っていい筈であった。

「じゃぁ、ありがたく頂きます。」
 大袈裟に手まで合わせて、デューは感謝の意を表した。客である彼にそうまで言われると、女将の方も少し笑いながら、わざと鷹揚に頷いてみせる。
「あたしが作ったんだが、味は保証しますよ。うちの旦那の獲物、残さず食べておくれよ?」
 腰に両手を当てて言いつのる女将に、デューは心外だという顔をしてせた。
「残すなんて、まさか。こんな御馳走、滅多に食べられないだろうし。‥‥‥そう言えば、この鹿、旦那さんが捕ってきたの?」
「ああ、あたしが言うのもなんだが、弓の方は中々の腕なんだよ。まぁ、今の王様や、かの『神技殿下』程とはいかないけどね。」
「へぇ‥‥‥。」
 感心した様な声を出しながら、女将の言葉に出てきた名詞に、デューの意識は少し逸れた。



 「神技殿下」。彼女が口にしたのは、昔この地で「神技の王子」と呼ばれた太子の事だった。
 精悍な容貌、無口で無愛想だが、面倒見が良く曲がった事が嫌いで、国一番の腕利きの弓使い。その男は、国中の者に好かれていた。もう随分前に去ってしまった筈の人物だが、女将くらいの歳の婦人は、当時その姿に憧れていたのかもしれない。
 ‥‥‥デューが女将の方に注意を戻すと、彼女は手際よく煮込み肉を切り分け、小皿に移してくれた様だった。切り口から肉汁が落ち、新たな芳香が漂って、彼の鼻をくすぐった。

「狩りで捕った獲物は、この地の恵みなのさ。狩られたものは、狩ったものの命を繋ぐものだから、敬意を払わなきゃいけない。粗末に扱ったり、残すなんてもってのほかだって、この土地では皆そう教わるんだよ。知ってるかい?」
 親にでも聞いた話なのだろうか。懐かしむ様な響きをほんの少しだけ込めてそう言うと、女将は小皿をデューに差し出した。小さく笑うその顔は、言葉にしなくても、「大事に食べておくれ」と、そう言っている様だった。
 女将の言葉のどことなく厳かな空気に、デューは一瞬躊躇った様に手を止めてから、その皿を受け取った。やや気押された様子の彼を見て、女将はまた、普段の様に豪快に笑った。
「悪いね、説教臭くなっちゃって。先日、久しぶりの『慰霊祭』があったものでね‥‥‥。この辺りじゃ、狩りの獲物は単に食べる以上に役に立ってくれるから。何年か前まで、人間の御供養も満足に出来なかったけど、十何年ぶりか、今年再開されたばかりでしてね。なんだか嬉しくて、つい。」
 そう言って、くすりと笑った。
「見てなさい、限定とは言っても、その内にウチの名物料理になるから。旦那の狩りと日が重なって、お客さんついてるよ。」
 そういって、片目を瞑ってみせる。
 どうやら気を遣わせてしまったらしい。そう悟って、デューも微苦笑を返した。

 開け放したままであった扉から、ふと、何やら騒ぐ人の声が聞こえてきた。怪訝な顔で振り返る女将に、デューが小さく笑いながらいった。
「‥‥‥女将さん、ほんとに暇だねぇ。さっきから、オイラ一人にかまってていいの?」
 きょとんと彼の顔を見たあと、はっと気付いたように、女将の顔が変わった。落ち着きの無くなった彼女に、さらにデューは言った。
「あの声だと、酔っ払いが騒ぎでも起こしたのかもよ?早く様子を見に行かないと。」
 彼の言葉が終わるより早く、女将は慌てて盆を抱え、飛び出すように部屋を出ていった。それでも、去り際に「食事が終わったら、皿は取りにくるまで置いといておくれ!」と指示を残していく辺り、宿屋の女将としてはそつのない態度であったかもしれない。お喋りで、やたら客を構いたがる癖はあるにしても。

 デューは微苦笑を浮かべたままため息をついて、再び卓上の皿に視線を戻した。




『狩られたものは、狩ったものの命を繋ぐものだから。』

 デューは女将の言葉を、反芻する様に小声で呟いた。
 もう、この国は、彼が以前居た頃から随分経っていて、色々と変わってしまった。それでも、この土地に住む人々の感覚には覚えがある。
 デューは先程話に出た「神技殿下」の姿を思い出して、小さく苦笑した。

 この国の出身だったその男は、生来極端に口数の少ない男であったが、時折喋るその言葉の中に突拍子もないものがあったり、たまに口を利いたかと思えば案外勝手な事を言っていたりする事があった。それが面白くて、デューは彼に随分いろいろと話をさせていたのだった。変わったものの見方をする。そう思う事が多々あったが、それはどうやらこの土地の者に共通する所もあるらしい。デューは先程の女将とのやりとりで、そんな事を考えていた。
 その男は、先程の女将よりもきつい語調で、それを言った。
 『他者の糧となる死にこそ意義がある。』それが、その男の言い方だった。

 彼は、自分が父と呼んでいた人物―――実際は実父でなく、養父となった祖父だ―――の死について、その言葉を使った。難解な物言いに、デューが眉を顰めたのを見て、その男は言った。
 自分の父は、自らの過ちで死んだ。生前に業績があったとしても、その死には、人を利する所は無かった。その死に方故に、彼は自らの名に消えない汚点を残した。自分が父の死に何も得るものがなかったとき、それは無意味な死に方になる、と。

『俺がそれを己の糧に出来ないならば、親父の死は無駄だったという事になる。』

 ‥‥‥「糧にする」とは、要は「そこから教訓を得る」という意味だったらしい。それとも、それ以上の意味を込めて、彼はその言葉を使ったのだろうか。
 『父の死を己の糧にする』。デューの耳に慣れない、硬い響きを持って飛び込んできた言葉は、後にも先にも、その男以外の口から発せられた事が無い。
 狩られたものが狩ったものの命を繋ぐ。そんな価値観があの男の中にも根付いていたとすれば、彼はそれを元に、敬愛した父親の死に何らかの意義を与えてやりたかったのだろうか。それとも、あの様に思う事で、彼は自分自身に、肉親を助けられなかった事、その罪の重さを負わせようとしたのか。

 けれど。

 つい先程まで思い出す事もなかったその言葉を、今、デューは彼に突き付けてやりたい様な気もした。「他者の糧となる死にこそ意義がある」。
 なら、それを言う自分は、誰かの糧となる様な死に方をしたのか、と。

 その男がいなくなって悲しむ者がいた。乱れた国があった。近しい者を亡くした者がいた。彼が大切に思っていたものの何もかも、その死によって得たものなど無かったのではないかと、デューは思う。「生前の彼」が与えたものはあったとしても、その「死」は、彼の愛した誰にも、与えるものはなかったのではないかと。
 彼の息子は彼の故郷に帰り、その地を治めたけれど、それをさせたのは彼の生前のあり方であって、その「死」ではない。
 まして、彼が誰より愛した女性が、その笑顔を彼の「死」に連れ去られてしまった事を思うと、どうしてもデューは彼に文句を言ってやりたくなるのだった。
 貴方の死に方は、誰かの糧となる事が出来たのか、と。



「‥‥‥。」
 ‥‥‥ふと、デューは自分が無駄に入り組んだ考えに沈んでいる事に気付いて、苦笑した。

 らしくもない。一体いつから、自分はこんな面倒な考えに時間を費やす様になったのだろう。これも「誰かさん」の悪影響なんだろうな、と、彼はかつての知人に責任を押し付ける事にした。
 結局、こ難しい理屈などはどうでもよかった。納得のいく理由がつけられたからと言って、実際に納得できる訳ではないということは、度が過ぎる程にわかりきっていた。
 どんなに理屈を並べたところで、デューはただ、一言、あの男に言ってやりたかっただけだった。

 何が何でも、生き延びてあの人の元に帰らなきゃいけなかったんだ、と。



「‥‥‥。」
 結論らしきものが出たところで、デューは大きく溜め息をつくと、もう一度苦笑して、癖のある金髪を掻いた。
「そんなことより、食事食事、と‥‥‥。」
 埒も無い思案に暮れている間に、女将がまた戻ってくるかもしれない。残したと思われて、皿を下げられてしまっては困る。せっかくの料理を食べ逃さないうちにと、デューは煮込み肉の取り分けられた皿を手にとった。

 皿の上の料理は、既に冷めだしていた。



Continued. Back.










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