―――時はグラン暦783年。
 澄んだ風の吹き抜ける青空の下、強い日射しに照らされながら、多くの人が行き交い、その声と活気で賑わう、とある城下町がある。



 その町は決して整っていなかった。
 修理中、建築中の家々が多く、道は彼方此方で荒れていた。廃屋となってしまったらしい家もあり、手入れのされていない墓地もある。長きに渡った荒廃の時代の名残りが、その随所に刻まれている様であった。
 だが、それ以上に、墓地には花を添え、新たな店を出し、道を鋪装し、家々を建て直そうとする。そんな活気が人々の顔に浮かぶ、そんな町中を、その旅人は歩いていた。

 道行く多くの旅人や町の人間の間を歩きながら、観光地の様に整っている訳でもない町並みを、彼はどことなく楽し気な様子で見回していた。彼の安物の旅装束とその態度は、発展途中のこの町に多い商人や職人のものではなく、むしろ休暇を楽しむ観光客のそれであった。だが、まだ観光地にはなり得ないその町を行く彼の足は、まるで通い慣れた道を行く町の住人の様に確かである。外国人らしく、その土地には滅多にみられない容姿である筈のその男が、まるで以前暮らしていた場所に久々に帰って来たのである様にも見えた。

 のんびりとした道を行きながら、旅商人がまだ出来たばかりの店の店頭に品物を陳列するその並びから、確かな品物を販売している店を見極めては、興味半分にそれらを眺め、特に気に入った品を値段交渉して安く買い取る。
 安物の外套を羽織った、商売人らしいところのあまりないその男は、確かに商人並みの交渉術と、欲しいものを買い求めるのに相応しい店を選ぶための世慣れた知識、それに物品に対する鑑定眼を備えている様であった。彼の訪ねた店では、ほぼ必ず、商人達が密かに目玉として自慢していた筈の品物が安く買い叩かれてしまっていた。
 彼は、そのほとんどを、いずれ裏通りで金回りのいい富豪や貴族あたりに売り付け、生活費にするつもりでいたのである。多くは高価な美術品の類であり、今、この町の善良な人々には必要無いと判断しての事だった。

 やがて、彼は自分の歩く道の先に、何やら人だかりが出来ているのに気付いた。ささやかな野次馬根性に誘われて、人だかりの後ろから覗いてみる。見物人が輪になっていて、その中心に男が二人、口論しているのが見えた。

「だから、落とした財布を拾ってやっただけだろう!?」
「嘘つけ、俺は財布に紐までつけてたんだ、落とす訳ねぇっ!どうせお前が通りすがりに紐を切って、掏りとったんだろう!」
「違う!切り口を見ろよ、こんな古い紐、ぼろぼろになって切れただけだろうがっ!」

 ‥‥‥何やら面白そうな喧嘩ではあったのだが、自分の腹の虫が鳴いたのを聞いて、彼は見物人の失笑の中、そっとその場を離れた。もう少し眺めていたい気も無いではなかったが、空腹をかかえてまで見物する程のものでもなかった。彼の後に別の野次馬が集まり、やがて、どこからか役人が慌てた様子で飛んでくる。
 駆け足の役人達とすれ違いながら、彼は「結構、来るのが早いな」と思った。役人の巡回が多く、些細な揉めごとに人数を割けるだけ治安が安定しているという事でもあるし、それだけこのレベルの諍いが多いという事でもある。外から入って来た人間の多い証拠であって、以前の、閉鎖的なこの土地の気風ではまずみられない光景であった。そんな事を思いながら歩いていると、すぐ側を通り過ぎた建築中の家から、雇い人を怒鳴り付ける大工の親方の、威勢の良い声が聞こえてくる。

 だれもかれも皆、元気だ。そう思って、彼は、小さく笑った。

 時間が経ち、空腹感が増してくると、休息する場所を求めて、彼は足を速めた。
 彼の歩いて行く通りに並ぶ建物の一つに、往来する人々に向かって威勢のいい呼び声をかけながら、食堂と宿屋とを切り盛りする一人の女将の姿があった。



 その女将がかつて閉めてしまった自分の店をまた宿屋として開ける様になったのも、ここ最近で町を訪れる者が大幅に増えた為だった。十数年に渡り、他国の圧政下に置かれていた上、王が不在のその国の政権を狙う、盗賊まがいの集団が各地を荒らしてしまった為、この地を訪れる旅人などは絶えて久しかった。女将は惜しみながらも自分の宿を閉め、夫と二人細々と暮らしていたのだが、ほんの2、3年前程前、支配権を持っていた国で政権が交代した。

 同じ頃に訪れた亡き王家の世継の若者が、王都に残っていた臣下達に力量を認められ、国内を統一し戦を終わらせた‥‥‥という様な出来事の後、人々は安んじられ、町も建て直されて、女将は自分の宿を再び営む事が出来る様になったのだった。王の血筋とはいえその若者はほとんど異国風の風貌をしていたのだが、異邦人を受け入れにくい気質だった土地の者も、戦火を絶やし、国を建て直して「物語の青年英雄」となった現国王を歓迎こそすれ、もはや受け入れないものはまず居ない。善政の賜物というべきだろう。
 家の改築をする職人、新たに店を出す商人、そして一部、一度は戦火に追われて土地を離れたが戻った者など、彼等の為に宿屋を開くものは、女将の夫婦の他にも数多くいた。当然競争にもなるのだが、こうなると、古くからその土地に暮らしていた事が信用を得る為にはおおいに役に立つ。いずれ町が完成した後は、ささやかな観光の客を迎える事もできるだろう。

 宿の中を、そして時には外へも出て呼び込みをしながら、彼女は忙しく動き回っていた。とはいえ、それも、今が昼食時であり、宿泊客以外も大勢訪れているからである。それも終わろうとしている今では客の数も落ち着き、時折愛想良く客の話し相手などもしながら、女将は宿の中を取り仕切っていた。
 愛想良くとは言うものの、実の所、元来話好きの彼女にとって、宿を訪れる旅人達と一時会話を楽しむ事自体が決して嫌いでない。もともとこの仕事が向いているのだろうとも思っていた。
 帰った客の使っていた食器を片づけながら、彼女は、話し相手としては「彼女好み」の男が一人、食卓の一つに腰を落ち着けたのに気付いた。

 旅装束のその男は、着古した様子の外套を脱いで簡単にたたむと、二つあった椅子のうち、一つの背もたれに無造作にそれを掛けた。残った椅子に、皮紐のついた袋を置き、彼自身は外套をかけた方の椅子に腰を下ろす。
 軽く伸びをするように身体を背もたれに預けると、くつろいだ様に大きく息をついた。すぐに身体を起こし、食卓の上に肘をつく姿勢になると、手早く布巾かけまで済ませて厨房を出て来た女将の方に顔をむける。
 早く応対しなければと、注文票を持っていこうとしたその時に、男は人懐っこい笑顔で片手を上げながら声をかけた。
「ええと、注文いいかな?」

「はいはい、ちょっとお待ち下さいな。」
 男の待つテーブルに向かう間に、歩きながら慣れた手付きで水を絞ったばかりの布巾を広げ、簡単にたたんで、辿り着くと同時にその卓上を手早く拭う。やや恰幅のいい体格の割には軽い足取りで厨房へと戻ると、今度は水を注いだ杯を持ってやってきて、「どうもお待たせしたわね、御注文は?」と、杯を置ながら笑顔で言った。
 その手際の良さに、男はわずかに肩をすくめて笑いながら、安い定食を注文した。
 厨房へ注文を伝えると、女将は興味深そうに男の姿を眺めやった。というのも、この所多かった客とは一風変わった見た目が、彼女の注意を引いたからだった。

 癖のある金髪に、気さくで親しみやすそうな笑顔。世間で青年と呼ばれるそれよりは歳は上かもしれないが、それでもまだ四十路に届かない自分と同じくらいだろうと、女将は見当をつけた。それとも、単に顔立ちが若いのだろうか。
 すると、見られている事に気付いたのか、だが不機嫌な顔など見せないで、男はくすりと笑って言った。
「オイラの顔に、何かついてる?」
「おや、失礼。」
 女将は少し慌てて、だがさして悪びれもせず、誤魔化す様に笑った。
「あんまり見なれないお客さんだと思ってね。顔つきも格好も他の土地から来た様子だけど、売り買い専門というわけでもなさそうだし、かといって職人にも見えないし。ここへは、観光できたのかい?っていっても、まだ街もちゃんとしてない様な有り様だけど。」
「うん、まぁ、そんな所かな‥‥‥。まぁ、ちょっと外で商売みたいなこともしてきたけど。」
 女将の長い言葉に、男はまた笑いながら、自分は短く答えた。それから思い出した様に付け加える。
「でも、昔ここに住んでた事はある。少しの間だし、随分前の話になっちゃうけど。」
「へぇ‥‥‥」
 意外そうな声を出して、また女将が訪ねた。

「住んでたとは、また珍しいね。いつごろの話だい?もし気に触ったら悪いけど、あんたの見た目、ここの生まれじゃないだろう?今までは、他所の人が住み着くなんて事は大分稀だったから。」
「‥‥‥もう随分前の話さ。バトゥって名の王様がいたよね。」
「ああ‥‥‥って、本当に前だね。あたしがまだほんの‥‥‥いや、歳はともかく、なんでお客さんはここを離れたんだい?グランベルとの戦の頃?」
「さぁ‥‥‥元々一つの所にあまり長くいた事はなかったから。流浪癖があってね。」
 しつこいほどいちいち問いを繰り返す女将に、男は流石に小さな苦笑をもらした。
 造りは粗いが清潔そうな厨房からは、食欲をそそる芳香が漂い始めている。女将がまた何か訊ねようと口を開きかけた所を、今度は男の方から先に話し掛けた。
「それに、何処にでも『見た目』が珍しい人ってのはいるもんだよ。オイラは確かにここの生まれじゃないけどね。この国のえらい人にもいるじゃないか。」
 その言葉だけで、女将は男の言う「見た目が珍しいえらい人」が誰の事であるかわかった様だ。
「へぇ、宰相様を知ってるのかい?」
「だから、昔見た事があるのさ。あの人、町中によく出てたでしょ。」
 にこりと笑って、男はすぐさまそう切り返した。
 「見た事がある」どころか、財布を盗もうとして逆に捕まったとまでは言わなくていいだろう‥‥‥とは、女将がテーブルを離れてから彼が小さく呟いた声である。
「ふぅん‥‥‥どうやら住んでたってのは本当らしいね。いや、疑ってた訳じゃ無いんだよ‥‥‥‥と、注文のお品が出来たみたいだね。」




「それにしても、暇そうだねぇ、女将さん。」
 値段の割に味の良い料理をつまみながら、彼は苦笑して言った。

 すっかり食堂からは客の波がひき、人の気配が薄れていた。日が傾けば夕食を求める客に加えて、外出していた宿泊客も戻ってくるのだから、また昼以上に混雑する事は想像に難くない。だがとりあえずの所テーブルの片付けも終えた女将は、夕食の下ごしらえを始めた厨房をよそに、彼が食事をしていたテーブルへやってきて世間話やら身の上話やらをし、あるいは彼のそれを聞きたがったのだった。
 彼は、宿の寝室の整理はいいのだろうか、とも思ったが、よく考えてみると、まだ彼が食堂に残っているから離れられないのかもしれなかった。どうもただ話好きなだけらしいという気もするが、ともあれ、別にそういった相手をする事が嫌いでもなかったので、「暇だね」と言いながら、彼は別段女将を追い払おうとはしなかった。
 万が一会話が嫌になっても、食事を早く終えて出れば済む事である。そう思っていたら、次に女将が訊ねた事で、それが出来なくなりそうな方向へ行った。

「お客さん、もう日も傾いてるけど、今夜の宿は他に決まってるのかい?食事はしたけど、うちに部屋はとってないだろう?」
「ああ、まだ宿無しだよ。」
 客としてか話相手の旅人としてか、ともあれ彼は女将に気に入られてしまったらしかった。言外に「此処に泊まっていけ」と言っているのだろう。
「‥‥‥そうだね、今夜の宿はここにさせて貰おうかな。まだ部屋はある?」
「勿論。‥‥‥と言っても、窓が北側にしか無いんで、ちょっと日当たりが悪い部屋しか残ってないんだけど。構わないかい?」
「じゃぁ、まけてくれる?」
 くすりと笑って、彼が冗談めかしてそう言うと、女将も愉快そうに笑った。
「なかなか商売上手だね。そうだね‥‥‥宿代はまけられないけど、代わりに夕食は期待させて差し上げるよ。吝嗇に聞こえるとは思うけど、ウチもあんまり余裕がありませんでね。」
「じゃぁ、それで構わないよ。」
 彼は二つ返事で了解した。別に、得意の交渉をして値段を下げさせねばならないほど高い宿代でもないだろうから。今は困窮している訳ではないし、女将の態度をみれば、値段に見合う以上の待遇はしてくれるだろうと踏んだせいもある。

 すぐに女将は機嫌良さそうに宿帳を持ってきて、彼に記名をさせた。値段の説明を受けた料金の方は、出立の時にまとめて払えばいいらしい。夕食の代金と宿泊費と合わせての支払いなのだろう。
「『デュー』‥‥‥へぇ、変わった名だね。」
 宿帳に記された名前を見て、女将が小さく首をかしげる。失礼ともとれる言葉を気にした風もなく、彼は軽く答えた。
「そうかな?そうかもね。まぁ、いいさ。‥‥‥さて、と。」
 女将との会話で始終途絶えがちだった食事をようやく終わらせると、卓上に手をつき、ゆっくりと彼は立ち上がった。背もたれから外套を取り上げると、心得た様子で、女将がもう一方の椅子から荷物をとりあげ、運んでいこうとする。それを見て、彼が軽く手を振って前に差し出すと、小さく首を傾げながら、女将は荷物を手渡した。
 外套を手にかけ、荷物を肩にかけて、彼は女将に訪ねた。


「で、どの部屋に行けばいいのかな?」
 女将はすぐ側の階段を指差して、答えた。
「二階へ上がって右の、一番奥の部屋へどうぞ。廊下の左側の部屋があいてますよ。」



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