「ほら、早く来いよ。もうすぐデルムッドが探しに来るぞ!」
 ぱたぱたと軽い足音をたてて、少年は数歩離れた場所から追い掛けて来る少女に向かって叫んだ。
 隠れ鬼の鬼は決められた数しか待ってはくれないのに、まだ身を隠す場所は決まってもいない。ついてくるのなら、もっと急げと言わんばかりに、彼は少女を急かしていた。

 まだ幼い少年より、更に幼いその少女は、駆け足の兄に追い付こうと懸命に走っている様だった。だが、何かに気付いたらしく、急に不安になったように小さな足を止めた。
 こちら側には、自分達は来てはいけないと言われてはいなかっただろうか?
「お兄ちゃん、まって‥‥‥、そっちは知らないひとも来るから、行っちゃだめだって‥‥‥」
 少女が自分達の庇護者に与えられていた注意を思い出し、先をいく少年に慌ててそう声をかけた時、二人は既に、その見知らぬ来訪者の目の前に姿を晒してしまっていた。


 二人の養い親である青年が、彼等のやってきたのに気付いて、驚いたように二人をみつめた。そして、その隣に、二人の見知らぬ男が一人、不思議そうな顔をして、やはり二人をじっと見ていた。
「‥‥‥‥?」
 見知らぬ男の方が、不思議そうな表情を残したまま、小さく二人に微笑んだ。

 その男は、中肉中背で、身に纏うものこそ長旅の埃に汚れていたが、癖のある金髪を無造作に紐でくくった彼の笑顔はとても明るく快活そうであった。少なくとも、その姿は、ばつが悪そうに養い親を見上げている兄妹にとって、「嫌な」印象を与える所は一つも見当たらなかった。
 二人に歩み寄った養い親の青年―――シャナンが、自分達の姿を見られてもさほど慌てていない事で、兄妹には、「滅多にないお客さん」であるこの男が、少なくとも危険な人物ではない事はすぐにわかった。


 危険は無いらしいとわかっても、やはり居心地の悪い気分でいた少年の元に、シャナンが歩み寄る。膝屈みになって、彼はその顔を覗き込んだ。
「レスター。‥‥‥こっちへ来てはいけないと言っただろ?ラナも連れて、誰かに見られたらどうするんだ。」

 困った様な顔でたしなめられて、少年―――レスターは答える事も出来なかった。
 この客は「悪い人」ではないらしい。けれど、人前に姿をみせて、それも妹を連れて、何かあったら―――自分のした事を、レスターは恥じた。
 子どもであっても、少年と少年の仲間達は、自分達のおかれている立場が非常に危ういものである事を知っていた。彼等が役人に追われる身である為に、今までに何度となく地元の遊び仲間を失っていた、その一点だけでも充分すぎる程に。それも、決して彼等自身が罪を犯した訳でも無いのに、であったが。
 ともあれ、怒鳴る事はせず、静かに言い聞かせるシャナンのその言い方が、かえって彼をいたたまれない気分にした。
「ごめんなさい。」
 レスターは素直に謝った。
「ごめんなさい。」
 兄と同じ台詞を口にして、側で様子を心配そうに見守っていたラナは、そっと兄に寄り添った。
 シャナンは苦笑した。


「‥‥‥レスター?」
 突然、知らない声が聞こえて、レスターは視線を動かした。つられてラナが、そしてシャナンが、同じ方向へ顔を向ける。三人の視線の集まる先に、先程シャナンの隣にいた見知らぬ旅人が、驚いた様な顔でそこに立っていた。
 名前を呼ばれたものの、レスターが何と答えるべきかわからずに黙っていると、その男は一見嬉しそうな、だが実のところ、何とも言い表わし難い顔をして、また口をきいた。
「レスター‥‥‥‥そうか。そういえば、もうこんな歳か‥‥‥。ほんの赤ん坊の頃の姿しか知らないけど、でも、そうだ。その髪も、それに‥‥‥その瞳も。よく覚えてる‥‥‥。」

「‥‥‥‥。」
 独り言の様に紡がれた言葉に、レスターは不審な気持ちで、その男をじっと見た。
 この人は自分の事を知っているらしい。でも、誰だろう?『ほんの赤ん坊の頃』に会ったと言われても、レスターにはそんな幼い頃の記憶は残っていないのだった。自分の父親の姿ですら、定かではない。彼の後ろで、ラナも気にしたのか、おずおずと顔を覗かせる。
 そんな二人を見て、男はくすりと笑った。
「覚えてる訳ないね。‥‥‥二人とも、綺麗な瞳。顔こそエーディンさんに似てるけど‥‥‥。『お兄ちゃん』がレスターってことは、そっちの子は、確か‥‥‥『ラナ』。ラナだ。」
 男は、そう言って二人に笑いかけた。
 レスターは、とりあえず笑い返してみせた。そして、元来好意的な態度に警戒心の薄いラナは、にこりと笑ってレスターの隣へ一歩進みでた。二人の笑顔、とりわけ少女のおっとりとした愛らしい笑みに、男はまたくすりと笑うと、柔らかな金の髪に包まれたその頭を撫でてやろうとして、手を伸ばした。

 途端に、レスターは笑顔を消した。素早くラナと、男の伸ばした手との間に割り込むと、驚いた顔をする男を、警戒心をこめた目で見上げた。
 レスターは、たとえ害意を感じなくても、正体のわからない人物をすぐに信用する事はできないのだった。さっきは失敗してしまったけれど、彼は妹と母と、彼の仲間を守ってやらなくてはいけないのだった。それは彼にとって、ずっと以前に、誰かと交わした約束であるかの様な気さえしていた。
 やはり驚いているラナを無視し、伸ばした手のやりどころを無くしてやや困惑気味の男をじっと見据えて、彼は言った。
「あなたは、だれ?」

 ‥‥‥一瞬の驚きの後、男は苦笑した。なおも不審そうに見つめるレスターの顔を眺めやりながら、彼は伸ばした手を下におろした。
「‥‥‥そうだよなぁ。たった今叱られたばかりなのに、『知らない人』に大事な妹を触らせたりしちゃいけないね。」
 彼の言葉に、シャナンが後ろで、戸惑った様に、わずかに身体を動かしたらしかった。
「さっき笑ったから愛想が良いのかと思ったのに、随分抜け目ないや。こういう所、お父さんによく似てる‥‥‥。」
 お父さん?
 レスターがその言葉に耳を留めたとき、先程から黙って様子を見守っていたシャナンは、見かねた様に口をはさもうとした。
「レスター、その人は」
「―――シャナン。」
 ‥‥‥シャナンの言葉を、男は遮った。背後で、養い親が無言のまま表情で「何故?」と問いかけたのが、レスターにはその気配でわかった。だが、男はそちらを見て、無言のまま首を横に振るだけだった。
 微苦笑を浮かべながら。

 今は、レスターの不審に思う気持ちは減っていた。そして、その代わりに不思議に思う気持ちが増していた。
 この人は誰なのだろう。シャナン兄さんは何と言おうとしたんだろう。何故名乗らないのだろう、そして何より、どうして父の事を知っている様な事を言うのだろう。
 疑問は次から次に湧き出た。
 そんな時、男はその場に屈み、今度はレスターの頭に手をやって笑みを浮かべてみせた。
 同じ視線の高さから、レスターの褐色の瞳をじっと見据えて、その男は言った。

「‥‥‥何があっても、生き延びるんだよ。」

 ‥‥‥いつかきっと、君達が必要とされる日が来る‥‥‥


 男の呟くような言葉の後、少しの間、沈黙が流れた。

「‥‥‥あなたは、だれ?」
 レスターはとうとう堪え切れなくなって、先程と同じ問いを繰り返した。
 今度は不審感からではなく、ただただその男が何者なのかを知りたくて。
 そして、やはり男は答えずに、無言のまま、もう一度にこりと笑った。
 
「シャナン。‥‥‥もう行かないと。」
 やがて立ち上がると、男はそう言った。背後でシャナンも立ち上がった様子なのに気付いて、レスターは慌てて男を引き止めようと、一歩踏み出した。その音に気付いたのか、男はもう一度レスターの方を見、また微笑してみせた。レスターは思わず足を止めた。

 今は、何も訊かないで。
 男の目は、そう言っている様な気がした。


「レスター、ラナを連れてセリス達の所に行っておいで。」
 シャナンが男の隣に立ち、そう言った。
 レスターには、それ以上食い下がる事は出来そうになかった。男が誰なのか、それをどうしても知りたかったが、直接訪ねるには、その男の眼はあまりに悲しそうだった。
 ラナが、兄の服の裾をきゅっと掴んだ。レスターはその手をとって、「行こう」と声をかける。
 少年が歩き出すと、少女は名残惜しそうな、寂し気な目を男に向けたが、やがて、手を引かれるまま兄の後ろについていった。

 二人が立ち去ったのを見て、男は再びシャナンに声をかけ、振り向かずに、その場を後にした。





Continued. Back.










小説のページへ
説明ページへ





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送