―――もうお前のうろついていられる様な状況じゃない。さっさと行っちまいな―――


『じゃぁね、オイラそろそろ行くよ。‥‥‥またね、ジャムカ。』




 ―――その日、滅多に人も訪れることの無いその修道院で、密かに客を迎えていた神父は戸を叩く音を聞いた。
 驚きと少なからぬ不安、それに警戒心が一度に彼の中をよぎった。だが、無視する訳にはいかない。声が聞こえて人がいる事はすぐに知られてしまう筈であったし、今、院を訪れている者の存在を、外部に気付かれては甚だまずい事になってしまうからだ。神父は広くもない院内を足早に抜け、門へと向かった。

 静かに扉を開くと、前に、一人の男が立っていた。だが、それは神父の見知らぬ男であった。
 くたびれた安物の旅装束に、中背で、ややくすんだ色の癖のある金髪。少し長めのその髪を、無造作に紐で結っている。旅人のなりをしているが、単に容貌だけからいっても、地元の者ではないことはすぐにわかった。その土地に済む者は、大体が、艶やかな黒髪に、深淵にも似た黒曜の瞳をしているのだ。男の瞳は、ありふれてはいるが穏やかな金茶色だった。
 一体誰だろうと不審に思い、それでもつとめて穏やかな声で、その来訪者に言葉をかける。

「こんにちは。―――何か、御用ですか?」
「‥‥‥こんにちは。小用があって、こちらまで旅をしてきた者です。朝から歩きづめで‥‥‥少し、中で休ませて貰えませんか?」
 笑顔の人懐こそうな感じのする青年だった。どことなく、気さくで明るい性格を思わせる。
 その当時、不穏な空気にとりまかれていたその院を訪れたにしては、神父がその旅人から受けた印象は決して悪くはなかった。昔と違い、見知らぬ者に好感を抱く事さえも、近頃は稀な事だったから、貴重な事だと言えるかもしれない。
 だが、好印象だからといって本当にそうであるかがわかる筈もなく、神父は、今は見知らぬ者を長居させたくはなかった。部屋の奥の「客」のことを人に知られたくない。といって、休息を求める者を、むげに拒絶することも出来なかった。
 ひとまず、ささやかなもてなしだけでもして、早々に帰ってもらおう。そう考えて、神父は青年を中に招き入れた。

「どうぞ、ごゆっくりなさって下さい。‥‥‥先程『旅をして』と仰られましたが、どちらからいらしたのですか?」
 質素な小部屋に青年を通すと、神父は香茶を煎れて差し出した。青年がにこりと笑って「ありがとう」と受け取る。それを一口啜ったところで、訊ねてみた。
「うーん‥‥‥どこ、と住む家を定めている訳ではないんです。あても無く、あちこち旅をしているもので。」
 少し困った様に、青年はそう答えた。神父は少し首を傾げて、世間話でもするように、また別の事を訊ねた。
「そうですか‥‥‥では、失礼ですが、『小用』というのは何か、伺っても構いませんか?こんな僻地に参られる方も、そう多くはありませんので。」
 出来るだけさり気なく神父が青年の用向きを探ろうとすると、 青年は、小さく苦笑した。
「‥‥‥そんなに、怪しく見えます?」
「え?いえ、そんな事は‥‥‥」
 言い当てられて、神父は慌てて青年の言葉を否定しようとした。だが、言い訳じみた下手な動作に、青年は今度は小さな声を立てながら笑って、こう告げた。

「この院に用事があるんです。というより、ここにいる筈の人達に。」



 彼の笑顔に、神父は警戒の色を瞳に浮かべて黙り込んだ。
 一体この男は何の用でやってきたのか。神父が不審な顔をするのをみて、やっぱり嫌がられたかな、とでも言いたげに青年は苦笑した。
「‥‥‥そう怪しまないで下さい。グランベルの間者じゃありません。ここのシスターになったエーディン公女、それにシャナン王子、オイフェ‥‥‥ここに来ていると知って、近くへ来たついでに、訪ねてきたんです。彼等の知人です。以前はシグルド公子の軍にいました。」
 青年はあたりを憚ったのか、声を落として、そう言った。
 神父は黙り込んだまま、じっと青年の方をみた。

 親し気に話すこの男の言う事を、神父は迂闊に信用する訳にはいかなかった。第一、彼がシグルド軍にいたというなら、そのころこの男はまだ少年と言って良い年齢だった筈ではないか。かといって、体格からも職業兵士とは見えないし、信用するには、その言葉は些か信憑性にかけていた。
 当初の印象もあって別段悪人とは思えなかったし、まるきり信用しないというのも気がひけるが、やはり、ここは知らないふりをして帰ってもらった方が良さそうだ。
 ‥‥‥しかし、神父が口を開こうとした瞬間、扉の外で二人のやりとりを聞いていたらしい人物がひとり、勢いよく扉を開けた。

 艶やかな黒髪が乱れるのにも構わず、転がり込むように部屋に飛び込んできた青年は、驚く神父に構わず半ば必死で叫んだ。
「デュー!!」

 呆然とする神父を横目に、男は開け放たれた扉の方を向いて、嬉しそうに笑ってみせた。
「やあ、シャナン。久しぶり。」




「神父様驚いてたなあ。怪しい男に構ってる時に、まさか自分が匿ってる人がいきなり飛び込んでくるなんて思わないだろうしね。」
 そう言って香茶を啜りながら、デューはくっくっと笑った。シャナンは彼と向き合う形で、先程まで神父が座っていた席に腰を下ろして、憮然とした顔を作ってみせた。
「そうは言うけど、飛び出しもするよ。僕らは‥‥‥」
「わかってる。ごめん。‥‥‥もしグランベルの間者だったら、斬るつもりだったんでしょ?」  
 シャナンの不満の声を苦笑しながら遮って、デューは軽口を謝った。シャナン達は知り合いに会うのも困難なばかりか、シグルド軍に関わる知人がやってくることなど、ほとんど「まれ」にしかない。
「‥‥‥でも、あんまり変わってないんだね。背は伸びたみたいだけど‥‥‥」
 シャナンも微苦笑をもらして言った。もとより、本気で怒った訳ではない。
「シャナンは随分しっかりしたね。まぁ、無理もないか‥‥‥オイラはあれから彼方此方あても無く流れてた。」
「どうやってここが分かったの?」
「オイラを甘くみちゃいけない。‥‥‥ま、ちょっと手間掛かったけどね。」
 問われても、具体的にどうしたのかは答えなかった。冗談めかして言うと、また香茶を一口啜る。カップを受け皿に置いて、デューは小さく息を吐き出した。

「軍を抜けてから、皆がどうなったかは聞いたけど。‥‥‥誰か、ここまで辿り着いたかい?」
 デューはやや寂しそうに、シャナンに問いかけた。返る答えも、大体予想がついていたに違いない。
 シャナンも沈んだ表情になり、小さく首を振った。
「ほとんど来てない。特に、主だった人たちはみんな‥‥‥。」
「‥‥‥そっか。オイラも、誰かに会えるかもと思って、あの頃近くまでは行ってみたけど‥‥‥ほとんど駄目だった。」
 二人とも無言になり、しばらく、沈黙がその間に流れる。

 やがて、デューが苦笑しながらふたたび口を開いた。
「‥‥‥ま、感傷にひたってても仕方ないしね。そういえば、オイフェは?」
「オイフェは出かけてる。危ない事がないかどうか、近くを見て回ってる筈だけど‥‥‥日が暮れる頃には帰って来ると思うよ。それと、エーディンは今、子ども達の相手をしてる。」
「いつもここに居る訳じゃなかったよね?‥‥‥何日か滞在するの?」
「うん、久々にエーディンに会いにきて、皆喜んでるし‥‥‥何も危険な事がなければ、だけど。」
 シャナンは小さく頷いてそう言った。

 その後、デューは自分の見て来た場所について、いくつかシャナンに話をした。

「‥‥‥それで、トラキア地方からこっちに来る途中、孤児院に寄ったんだ。戦で親を亡くした子が多いとか聞いたから、少し助けになれないかと思って。でも、そこにすごく綺麗な金髪の兄妹がいたんだ。‥‥‥どことなく、エーディンさんに似てた。」
「‥‥‥‥。」
 無言で耳を傾けるシャナンに、デューは話を続けた。
「エーディンさんに似てるって言ったけど、二人ともかなりやんちゃでさ。‥‥‥『誰かさん』に似てるような気がした。それで、子ども達の面倒を見てる人に、どんな相手から預かったのか聞いてみたんだけど‥‥‥教えてくれなかった。けど、男の子の方、身体に不思議な痣みたいなものもあったんだ。」
「‥‥‥もしかして、聖痕?」
 シャナンの問いに、デューは頷いた。
「詳しくはわからないけど、多分そうだと思う。‥‥‥ブリギッドさんが預けた子じゃないかって。確信なんか無いけど、もしかしたら‥‥‥姐御、生きてるかもね。」
 小さな笑みを浮かべて、デューはそう告げた。シャナンが頷く。
「まぁ、ここを出たらまた何度か行ってみるよ。そのうち気を許して孤児院の人が何か話してくれるかもしれないし‥‥‥もしかしたら、『本人』に会えるかもしれない。」
「また出て行くの?」
 シャナンが問いかけた。最初から留まってもらう事を期待してはいなかったが、それでも一応訪ねてみた、といった口調ではあったが。
 デューはくすりと笑って答えた。
「いずれ、また来るよ。あちこち旅をして、情報を集めてくる。それに、消息のわからない皆の事も出来るだけ、ね。今の孤児院の話みたいに、誰かに会う望みができるかもしれない‥‥‥」
「‥‥‥そうだね。少しでも、望みがあればいいんだけど。僕等の方はそれを待ってはいられないから。」
 シャナンは寂し気に、そう答えた。




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