「エーディンさん、そろそろ帰ろうよ。」

 規則正しく備え付けられた質素な椅子の一つに座ったまま、デューは、純白の法衣を纏った婦人に声をかけた。
 線の細い色白の手を組む彼女の前にある祭壇が、窓から差し込む淡い光に照らし出されている。

 白い肌に、端正な容姿は、人の目を捕らえて離さないだろう程に精緻で美しい。波うって輝く金の髪は、邪魔にならない様にする為か、今は襟口の上あたりで無造作に結わえられていた。デューとしては「おろしている方がきらきら光って綺麗なのに」とも言ってみるのだが、何だかんだと言って、彼女が生き生きと動き回る時にする事の多い今の格好が、決して嫌な訳ではない。
 亜麻色の照り返しを眺めながら、デューは自分の座るその隣の席にたたんでおいてあった薄手の外套を膝の上に拾い上げて、婦人―――エーディンの返事を待った。
 柔らかな微笑と、澄んだ優し気な声が彼に向けられる。
「ごめんなさい、でも、もう少し待って。きちんとお祈りをしてから行きたいの。」



「‥‥‥早くしてね、遅くなるとジャムカも心配するし。オイラ殴られたくないよ。」
 溜め息をついて、デューは懇願した。

 シレジアへやって来て以来、しばらく戦から解放されているその間に、エーディンは定期的に教会へ通う習慣が出来ていた。もともとエーディンは敬虔な信仰を持つプリーストであるから、その行為は彼女にとってはごく自然なものであった。そして、教会側も、時折訪れる麗人の姿を一目見ようと集まる人で賑わうせいか、エーディンの訪れるのを歓迎する様なふしがある。
 もっとも、王妃ラーナの客人として身元が保証されているのでなければ、国内が不安定にあるこの時期に、異国の人間を、そうやすやすと受け入れないだろう。とはいえ―――そう考える一方で、デューは元来自分が教会などとは縁が薄い人間だという事を自覚してもいたのだった。
 だから、もしかしたら、聖職にある者は、信仰の為に訪れたものを拒んだりはしないのかもしれない―――たまには、そんな事を考えることもあった。
 それも、エーディンの温雅な性格を目の当たりにしていた為だったのかもしれないが。

 ともあれ、教会やそこに通う人々に、容姿端麗なだけでなく人当たりのいいエーディンは、とても人気があった。加えて、最近息子が生まれたばかりのエーディンは、幼い子どもに懐かれると、時間を気にせず相手をしてしまう様になっていた。子ども達の方も、「教会に来る優しいお姫様」の、出産を経ての久方ぶりの来訪に、一度その側に来るとなかなか家に帰ろうとしなくなる。
 すると、必然的に、彼女の「護衛」役をかってでたデューがどれほど急かしても、帰りは日も暮れる時刻を過ぎる事が多いのだった。
 今日はまだ日が出ているから、これは随分と早い方だ。



 エーディンは、デューの言い方にくすくすと笑った。
「せっかく来ているんだから、あなたもお祈りをしたら?」
 笑いを収めると、突然、彼にそんな事を勧める。
 デューはさほど驚かなかった。彼女なら言いそうな事だとも思えたからである。くすりと一つ笑って、答えた。
「オイラがお祈りなんかしたって、御利益どころか罰当てられちゃうよ。オイラが何やってたと思うのさ。」
 冗談めかした言葉でかわしたつもりだったのだが、エーディンは構わずにまた言った。
「あら、悪い事はやめたって聞いたわ。ジャムカとも約束しているでしょう?」
「‥‥‥あはは、まぁね。」
 細かい所に関しては笑って誤魔化す事にして、「うーん」と悩む様な声を出してから、肩を一つすくめて、今度は回りくどい言い回しを抜きに断る事にする。
「でも、やっぱりオイラはいいよ。作法なんか全然知らないし‥‥‥。」
 笑顔を向けてみせると、エーディンは首を小さく傾げた。「そう?」と言うと、
「別に作法なんて構わなくてもいいのに‥‥‥」
 と呟きながら、やがて手を組んで、自分の祈りを始めた。
 デューは笑顔を崩さぬそのままで、そんなエーディンの様子を見守った。

 ―――それに、オイラは、神様に助けてもらった事なんてないしね。

 内心浮かんだ言葉を、デューは口にはしなかった。
 下らない事を言って、エーディンの気持ちを沈ませるつもりはさらさら無い。




 デューには、神というものは縁遠い存在だった。彼は自分の事を運が良い方だと思っていたし、実際かれは幸運に恵まれていた。それでも、その幸運を神に感謝する様な気になった事は一度も無い。ほんとうに神が手を差し伸べてくれたのならば、彼は盗賊家業などをしなくて済んだ筈だからだ。彼の「元」同業者の中に、己の『悪運』を本気で感謝する者など、ほとんどいないだろう。
 自虐的になる趣味はないので、自分の生業も気侭な暮らしも、彼は決して嫌悪はしなかった。気侭な自分の生き方を気に入ってもいたし、楽しむ様にしていた。だが、それでも、自分の人生が、神に助けられた結果だとは思えないのだった。
 だから、彼が神に願いごとをする様な事はなかった。

 デューは所在なげに手元の外套をいじりながら、エーディンの方をぼんやりと眺めた。
 目を伏せ、白い手を組み、祈りをささげるシスターの端麗な顔が、淡い陽光に白く照らし出される。それを見て、つい、小さな呟きが口をついて出た。

 ‥‥‥綺麗だなぁ。

 本当に綺麗なんだけど、ね。呟く一方で、彼はそんな事も考えた。

 こうして祈りを捧げている時のエーディンは、確かに世間が彼女の事をそう呼んでいた所の「聖女」なのだった。神聖不可侵で、まるで触れてはいけないものの様だ。
 今の彼女の前に「居る」事が出来るのは祭壇だけだから、見る事ができるのはその横顔だけだ。しかしその横顔も、女神の様に美しい。美しいのだけれど、デューはそれが、教会の廂を飾る天使の彫像の様にも見える。あるいは、絵画の中の聖人だろうか。
 美しく、神聖で、それと同じだけ、彼から遠い所に居る存在だった。それは、どことなく無機質の感じがあった。硬質で、温もりはあまり感じられない。
 どんなに綺麗だと思えても、デューは彼女にそれを望んではいなかった。
 決して厭な訳ではないし、それも彼女の一面なのだと知ってはいた。だが、彼にとってのエーディンの「一番」は、もっと別の顔だったのだ。

 彼が望んでいたのは‥‥‥



「エーディン。」
 低い男の声が、礼拝堂の入り口から響いてきた。
 聞き覚えのあるその声に、デューとエーディンは振り返った。高い背に、日に焼けた肌、褐色の髪と瞳。声の主は、ゆっくりと二人の方へと歩み寄った。
「ほぉら、やっぱり心配して迎えに来た。」
 デューがからかう様に呟いたのを聞いて、男―――ジャムカはちらとそちらを見たが、軽口は無視してエーディンの方に注意を戻した。
「もう日も暮れる。熱心なのは構わないが、いい加減に切り上げて戻って来い。」

 嗜めるような彼の台詞は、怒っている様にもとれる。が、無表情で素っ気無く言われると、エーディンやデューの耳には、嗜めるどころか、せいぜい拗ねている様にしか聞こえない。デューはにやにやしながらジャムカを見た。
 エーディンは微笑んで答える。
「ごめんなさい、もう帰るところよ。‥‥‥あなたは一度部屋に戻ったの?それとも、レスターはシャナンの所に預けっぱなし?」
「様子を見には行った。エーディンは戻っていないと言ったら、『子守りなら自分の方が得意だから、先に迎えに行け』と言われたんだ。」
「まあ。」
 ジャムカの返事に、エーディンはくすくすと笑った。迎えに来たのに、恋人に笑われてしまったせいか、ジャムカの無表情が僅かに崩れてどことなく拗ねた様な顔つきになる。



 デューはじっと二人のやりとりを眺めていた。
 ジャムカとの会話の間に洩らすエーディンの笑顔は、まるで白い花が咲いた様に可憐で、暖かい空気は周囲を包み込む様だった。

 やっぱり、オイラは聖女様よりはこっちの方がいいや。

 先程まで祈りを捧げていたエーディンの姿を思い出しながら、彼女の花の様な笑顔と、ジャムカの崩れた無表情を見て、デューはくすりと笑った。

「お前も、早く来い。帰るぞ。」
 声をかけられ、二人が自分を待っているらしい事に気付いて、デューは立ち上がった。その拍子に膝の上の外套を隣の椅子に落としてしまい、慌てて拾いあげながら、もう一度ちらと二人の方へ目をやる。
 エーディンはやはり花の様に微笑んだまま、ジャムカは相変わらず無愛想な顔つきでこちらを見ている。

 ‥‥‥別に変わった事をしている訳ではなく、ごく当たり前の日常となってはいたのだが、二人が暖かな空気が取り巻く中から手を差し伸べてくれている様な気がして、なんとなくデューは嬉しくなった。
 二人は理屈抜きで、彼の事を気に掛けてくれる。あの場所に居てもいいのだと、二人はいつも、ごく当たり前の様に彼を受け入れるのだった。

 デューは自分の身に起きた幸運を神に感謝した事はない。
 しかし、それでも。

 こんな人達に会えた事が幸運なら、それくらいは感謝してもいいのかもね。



 近寄ってエーディンに外套を手渡し、二人が歩き出そうとする前に、デューはさり気なくエーディンに訊ねた。
「ねぇ、エーディンさん。ここって願掛けとかもしていく人はいるの?」
「願掛け?」
 唐突に問われて、エーディンは小首を傾げた。
「そうね、お祈りっていうけど、そもそも神様に色々な事を感謝したり、願い事をしたりする行為だから‥‥‥でも、どうして?」
「いや、別に。やっぱり、せっかくだからオイラもお祈りしていこうかと思って。」
「‥‥‥何だ、お前もか。珍しいな。」
 デューの言葉に、ジャムカが意外そうな声を出した。
 くすりと笑って肩を竦めてみせてから、二人を待たせたまま祭壇の方へ歩いていくと、デューは先程のエーディンの仕種の見様見真似で、祈りを捧げた。



 ‥‥‥やがて、ジャムカ達が待っている姿を、高い窓から差し込む淡い白い光が照らし出している元へ、彼は小走りに戻って来た。
「さ、お待たせ。さっさと帰ろ。」
 そういって一足早く歩き出すデューに、エーディンがどことなく興味のありそうな声で問いかけた。
「『願掛け』をしたんでしょう?‥‥‥ねぇ、何をお願いしたの?」
 訊ねられると、デューは足を止めないまま振り向いて、くすりと笑って答えた。
「内緒。こういうのって、人に言ったら叶わないんでしょ?」
「‥‥‥この宗派にそんな決まりがあるのか?」
 こちらはさほど興味がなさそうに、ジャムカが訊ねる。デューはまた笑って言った。
「うーん、もしかしたら無いかもね。ま、いいじゃない、別に。」

「神頼みをする前に、お前の場合はこそ泥まがいの事をやめるのが先だしな。」
 礼拝堂の入り口へ向かって歩きながら、ジャムカにそう言われたので、デューは仕返しにからかってやる事にした。
「まっとうな人に迷惑かける様な事はしてないってば。ジャムカこそ、あんまり口煩い事言ってエーディンさんに嫌われない様に、お願いした方がいいんじゃない?」
「‥‥‥誰が口煩いだ。」
 憮然とした声で、ジャムカが呟く。デューはけらけらと笑いながら続けた。
「自覚無いんだぁ、美人の奥さんに誰かが手出すんじゃないかって心配で、わざわざここまで迎えに来て『早く帰れ』なんて言ってるくせにさ。」
「‥‥‥ああ、護衛が頼りない事だしな。」
 これ以上相手の調子に乗せられまいと、素っ気無く、ジャムカが言い返す。今度はデューが不満げな声を上げた。
「あー、何だよそれ。普段人をこきつかってるくせにさぁ。」
「どうせ暇なんだろう。」
  悪びれもせずに答えられて、デューが再び呻く。
「‥‥‥‥どういう理屈なのさ、それ。」
 二人のやりとりを聞きながら、エーディンは始終、くすくすと忍び笑いをもらしていた。

 他愛無い会話を続けながら、三人は薄暗くなり始めた礼拝堂を後にした。



Continued. Back.










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