自分の運の良さを 神様に感謝した事はない
 最初で最後の願いごとで 助けて欲しかったのは自分じゃない

 叶って欲しかったのは、ただ‥‥‥



 デュ−は抜き身の剣を手にしたまま、辺りを見回した。

 主戦場からかなり離れた場所に居る筈なのに、風にのって流れてくる僅かな血臭が鼻をつく。
 従軍してからというもの、「戦慣れしない」というにはもう大分長過ぎる月日を過ごした筈だが、それでもデュ−はこの臭いが苦手で、それだけに嗅覚が敏感に反応した。他はともかく、血なまぐさい事は嫌いなのだ。
 そして、この臭いが自分の元に届く範囲ならば、敵兵も容易にやってくるのだという事をよく知っていたから、彼は用心していた。

 兵に異常な動きは無いかの偵察を頼まれてやってきたものの、目につく限り、取り立てて報告しなければならない様な事もなさそうだ。もっとも、村を襲う盗賊を討つ為に編成された部隊に回されたのだから当然と言えば当然だろう。元々烏合の衆に過ぎないのに、正規の兵士に攻め立てられたのだから。
 とはいえ、デューが属していた軍が本来交戦中であるこの土地の現領主には、賊を討たないばかりか、見のがす事で野盗達から報酬を得ているのでは という噂があった。賊の救助にまで兵力を割いている余裕などはないだろうが、領主が血迷って軍でもよこした日には多少の被害も出る。だから調べてこいと、彼に指事を与えた指揮官はそう言ったのであった。
 だが、彼が調べた限りでは、討ち損ねた僅かな賊も、大半はどこかへ消え失せ、伏兵等がいる可能性もまず無い様であった。

「でも、思ったより時間かかっちゃったな‥‥‥この辺、入り組んでるもんなぁ。」
 額に手をやって、右も左も同じ様な景色の広がるばかりの状況への戸惑いを押さえる。目印になる様なものが見つからなかった事もあって、デューはすっかりやって来た道を見失っていた。
 念のためにと奥地まで探ったのが悪かったのかもしれない。なんとか帰り道を定められないものかと、もう一度周囲を見回した。だが、地形から位置をいい加減に計ってはみるものの、やはり正確な道は決められそうになかった。

 多少時間はかかるかもしれないが、方角さえわかるなら、味方の兵士が見つけてくれるだろう。楽観的に考える事にして、デューは歩き出した。
 気分の良い事ではないが、正しい方向に向かっている事は強まる血臭で容易に知る事が出来た。

「‥‥‥‥?」
 ふと、歩き出した足を再び止めた。左手の後方、十数歩程先には小さな林があり、右手の後方、それに前方には草地が広がる。何者かの居る気配を感じたのは、林の方角からだった。
 敵意はあるが、殺気ではない。だが、デューは剣の柄を握る手に力を込めて、ゆっくりと背後を振り返った。
 途端に、感じる視線に殺気が混じる。
「‥‥‥参ったなぁ。」
 討ちそびれた盗賊の一人かなと、そんな事を考えながら、この後どうするべきかデューは考えた。

 気配は複数ではない。下っ端の賊の一人くらいならば、なんとか倒す事もできるかもしれないが、それならば無理に討ち果たす必要は無いかもしれない。逆に、首領格の賊ならば、あるいは苦戦するかも知れないが、逃す訳にはいかないだろう。いずれにせよ、もともと戦が得意ではないデューには苦手な選択だった。
 下手に気配に敏感なのも考えものだなぁと、頭の隅でちらと考える。相手はもともと逃げるつもりだったのだろうが、無視して行けば背後から襲われるかもしれないし、そうでなくとも背後に不安を残していくのは気分が悪い。だとすれば、討ち取るべきだろうか。
 あんまり強い奴じゃないといいなぁ、などと気弱な事を考えながら、できるだけそれを表に出さずに、抑えた声で
「出てきなよ」
と言った。

 ‥‥‥茂みから現れた、薄汚れた戦斧を手にしたあからさまに柄の悪い男の姿に、デューは心の中で天を仰いだ。
 男は小柄なデューより優に頭3つから4つ分は背が高い。腕は二回りほどは太そうだった。素早さはおそらくこちらが上だろうが、重量が足りない分、デューの斬撃は威力が低いし、そもそも特別凄腕の剣士、という訳でもない。道に迷い、うろうろと歩き回った後で、多少疲労感の残る身体では少々辛い相手かもしれない。

 今日はなんだかついてないや。もしかして、ここの賊の親玉かなぁ?

 剣を両手に構えながら、こんな男を自分の居る道の方へ取り逃がした味方の兵達の事を、恨みがましく思い出した。一人でもいいから、気付いて応援に来てくれないだろうか。たまたま敵の偵察に通りすがられた不運の為に逃亡し損ねた男の目が、必死の覚悟でぎらついているのがわかって、デューはうんざりした。
 仕方ないか。そう思って動こうとしたその瞬間、後方、やや離れた場所に新たな気配を感じて、デューは動きを止めた。



 大気を斬る音がして、デューは自分の側を、風が流れていくのを感じた。
 同時に、相対していた男の左胸に、一本の矢が立った。一瞬、何が起きたのかわからない様な顔をして、男がその場に崩れる様に膝をつく。
 続けて二本目の矢が容赦なく眉間に突き立てられて、男は倒れた。

 ‥‥‥デューは矢を見て、安堵の溜め息を無理矢理押し隠し、落ち着いた表情を作ってから、ゆっくりと後ろを振り返った。
 彼の方から声をかけるより早く、その視線の先にいた男は、無愛想に言った。
「こんな所で何をしてるんだ、お前は。」

 気遣いの欠片もないその声に、デューは小さく溜め息をついた。
「何だよ、御挨拶だなぁ。オイラ、辺りを探ってこいって言われたから、その真っ最中だったのに。そっちこそこんな所で何してるのさ、ジャムカ。」
 剣を鞘に収め、デューは肩をすくめて問い返した。ジャムカは事も無げに答えた。
「首領がこちらの方面へ逃げたというから、追ってきたんだ。」
 その後、デューに「剣を貸せ」と言うと、渡された剣を持ってジャムカは倒れた賊の方へ歩み寄り、「しるし」をとって―――村の長への報告の為に、賊の首領の首が必要だったのだ―――デューの元へ戻り、彼の剣を差し出した。デューは剣を受け取り、また鞘に収めると、再び肩をすくめて言った。
「手抜きだなぁ、よりによって首領を逃がすなんてさ。大体、なんで一人で追ってきたのさ。」
「‥‥‥相手が首領一人だというから、一人で来たんだ。大勢で来たら気付かれるだろうが。」
 答えて、ジャムカは自分の手にする弓を、軽く翳してみせた。デューはそれを見て―――ジャムカの得物『キラーボウ』には一撃必殺の威力があり、後方からの援護よりも、むしろ狙撃に向いている―――「なるほどね」、と頷いた。
「ま、それでも無茶だと思うけど。」



「召集がかかる頃合だ。用が済んだのなら行くぞ。」
 言って歩き出そうとしたジャムカは、「あ、ちょっと待って」というデューの返事と、彼の気配がついて来ないのに気付いて足を止めた。
 振り返って、眉を顰める。

「‥‥‥こそ泥の様な真似はやめろと言った筈だ。」
 低い声で、呆れた様に呟く。今し方倒したばかりの野盗の遺骸の側に屈んで、皮の財布らしきものを取り上げて中身を物色しているデューは、気にした風もなく応えた。
「人に迷惑はかけてないもんね。オイラも最低限の生活費がいるんだから、勘弁してよ。」
 言って、自分の財布を取り出し、手にした皮の袋から、中身だけを移そうとする。ジャムカがまた、少し不機嫌そうな声で言った。
「資金も必需品も供給されてる筈だ。何故そんな事をする必要がある?」
「オイラは兵士でも傭兵でもないし、自分の勝手で軍について来てるの。給料なんか貰ったら不自由がでるじゃないか。」
 肩を竦めて答え、手に入れたばかりのかなりの枚数の金貨を、デューは自分の財布に入れようとした。

 気が弛んでいたのだろうか。財布を持つ手が滑り、地面に金貨が澄んだ音を立ててちらばってしまった。「あ」、と声を洩らし、デューは慌てて袋と金貨とを拾い出す。
 すると、かすかな溜め息の音と、再び低い声が聞こえた後、草を踏む音が聞こえた。
「‥‥‥なら、さっさと軍など離れて、まともな暮らしをする事だな。」




「‥‥‥ジャムカ?」
 とぎれた低い声に、金貨を拾い集めていた手を止め、デューは顔を上げた。つい今までそこに居た筈のジャムカの姿は、もう無かった。
 慌てて立ち上がろうとすると、手からまた金貨がこぼれ落ちた。だが、その時はそんな事には構ってはいられず、デューは半ば必死で先程ジャムカがやってきた筈の方角へと視線を走らせた。
 彼の姿は、見えない。

 行ってしまった? そう、思った時。



「‥‥‥早くしろ。刻限に遅れる。」
 ―――低い声は、すぐ近くから聞こえた。
 声の方を振り向くと、いつも通りの無愛想な表情で、ジャムカが側の木に背を預けて立っていた。

 

 ‥‥‥安堵の気持ちが、沸いた。
 つい笑顔がもれそうになるのをこらえて、それまで通りさり気ない風を装って、デューは再び落とした金貨を全てきっちりと拾い集め始めた。財布を懐に戻し、身体の埃を払って立ち上がる。

「‥‥‥せっかちだなぁ。気が短いとエーディンさんに嫌われるよ?」
「追い剥ぎを済ませるのを待ってやる様な時間は無い。」
 デューが立ち上がったのを確かめて歩き出したジャムカは、からかう様な問いに素っ気無く答えた。後について歩き出しながら、デューは軽口を続けた。
「追い剥ぎじゃないって、大体、やっつけたのジャムカじゃないか。」
「なら単なる盗人だ。死体をあさる様な真似はやめろ。」
「ジャムカ〜」



 情けない声を上げながら、足早に進むジャムカの後を、デューは小走りについていった。



Continued.










小説のページへ
説明ページへ





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送