38.選択 


 守りの力と、死の狩人。
 どちらも、『自分』の姿。

 相反する二つの心。
 一つの誓いが、その二つを一つの想いに織り成す。

 ‥‥‥どんな方法を使っても、どれほどの傷を負う事になってもいい。
 自分の望みと、自分を愛してくれた人達の想いとを、無駄にしたくはないから。


 白い光に照らしだされた、どこか色の褪せた印象の謁見の間で、ザハは自分に相対している青年の褐色の瞳を眺めやった。
 唐突な訪問者である彼等の姿だけが、ザハの目に鮮明に映る。

 ‥‥‥やがて、彼は口を開いた。


「ユングヴィの血‥‥‥と言う。確かに、血縁の証を見せるのは困難な事だろうと存じ上げる。では‥‥‥あなたが母と名指した、妃殿下―――エーディン殿の証言があれば、話は別ではなかったのか?‥‥‥先程から思っていたが、どうやらあなたは私の事を御存じの様だ。‥‥‥母君が何かおっしゃったか?」
 彼は、自分の名も立場も訊こうとはしなかった―――そう気付いての言葉だ。案の定‥‥‥
「ええ。母から、ほんの少しだけ―――あなたがザハ殿でしょう?」
 レスターが、母と名指した女性によく似た笑い方をして尋ね返してきた。

「‥‥‥いかにも。私と、この場にいる者の何人かは、妃殿下と面識がある。バーハラの惨劇を免れ、未だ御存命だとも聞いた。本当にあなたが王太子だと言うなら、妃殿下が同行なされば‥‥‥あるいは、その書き付けだけでも、証にしようとは思われなかったのか?」
 自分の言葉を信じさせる、一番手っ取り早い方法だと、ザハは思う。勿論青年にもわかってはいるだろう。それをしなかった理由を、彼は訊いてみたくなった。
 レスターは、ある程度は、こちらの言う事を予想している様だった。
 少し考えたあと、澱み無く答える。
「幾つもの勢力が争い、戦略を巡らせる中、刻印のある使者の手紙ならともかく、見知らぬ者の携えた書き付けなど無意味でしょう?母が書いたと言う証拠は無い。そして、母が来ればとおっしゃったが―――戦乱の真っただ中を、同行させるのは困難です。何より、母は‥‥‥‥」
 そこまで言うと、レスターは少し、寂しそうに微笑んだ。

「‥‥‥母は、おそらくもう、ティルナノグのあの修道院を出るつもりはありません。あの地で、かつて共に道を歩んだ仲間‥‥‥ある一人の清廉な騎士や、彼と運命を共にした人々、そして―――父のために。祈りを捧げて、日々を送っています。」
「‥‥‥‥。」


 『もう、修道院を出るつもりはない』。
 ザハの脳裏に、彼の目にも珍しかった、輝く金色の髪の姫の姿が浮かんだ。

 ―――彼女も、自分と同じ様に、幻影に縛られて生きているのだろうか?
 それとも、聡明なあの姫は、別の道標を見つけて、そういった生き方を選んだのだろうか。

 後者であって欲しい、と思わずにはいられなかった。ジャムカが何より大切に思っていたはずのあの女性が、彼を失った事で、自分と同じ様に抜け殻の様に生きていくしかなくなってしまった―――そうは、思いたく無かった。彼女は、ザハがジャムカ以外で―――そして、確かに彼の嫌う者達と同じ血を受けているというのに―――唯一敬意を捧げる事ができる相手であった。


「‥‥‥成程。話は、よくわかりました。」
 大きく息を吐くと、ザハは意識を現実にひき戻した。
「無粋な質問の数々、失礼致した。確かな証拠はないが‥‥‥あなたは信ずるに値する、と私には思える。どうやら、ここに居る皆、それは同じ様だ。何より―――あなたの持つ、その弓。」
 レスターは真直ぐにこちらを見ている。ザハは、澄んだ褐色の瞳に映る自分の姿を認めた。
 あの瞳が、何よりの証拠だろう‥‥‥そう思いながら言葉を続ける。
「キラーボウに、勇者の弓。‥‥‥力を求める者はキラーボウを、正義や名誉を何より重んじる者は勇者の弓を手にとる。二つは、相容れない。その二つを同時に持ったのは‥‥‥我が国の太子ジャムカ、彼だけだ。それに、握りに彫り込まれた紋の事を御存じだと言う事は、おそらくそれらは間違い無く、我々がイザ−クにおわす妃殿下に送った、彼の遺品‥‥‥。」
 あの時使者に持たせたのは、弓だけではなかった事を思い出す。
 使者が運んでいったのは、彼とこの国の運命を狂わせた悲報であった。

 何故、エ−ディン姫はキラーボウをこの青年に持たせたのだろう?ザハは不思議だった。
 元々、それを持つものが、いつも彼の主人だった。
 一人目はジャムカの父、そして二人目がジャムカであった。彼がいなくなってから、もう手にする者はいないだろう、そう思って、妃であるエーディンへと送った。使う者のいない弓を、ザハは修理したりせず、弦の切れたそのままで送り届けたのだった。
 あの弓を、彼は自分で直したのだろうか?

 エーディン公女なら、あの弓を持つ者が、どんな苦労をしてきたかわかるだろうに。
 ここへ来る為に渡したのだとしても、今のヴェルダンの状態を知らずにそうしたとは思えない。自分の息子にそれをさせるエーディンの考えは、ザハにはわからなかった。
 今となっては、あの弓は持ち主に、無意味な苦労を強いるだけの物だ。
 そして、主の無い弓に重なる己の姿が、今もなおザハを苛立たせる。


「‥‥‥信じて下さるんですね?」
 レスターが穏やかに微笑んでいった。彼は、先程から、値踏みする様なこちらの視線をものともしていない。
 大したものだ、そう思わずにはいられなかった。
「ええ。‥‥‥では、改めて伺いたい。」

 今までよりも、いっそう冷たく、ザハは言った。

「‥‥‥一体、何をするために此処へ参られた?」



 ザハの問いに、先程から後方に控えて黙っていたパティは、明らかに気分を損ねたようだ。
「何よ、さっきから感じの悪い‥‥‥本当に叔父様が信頼してた方なのかしら。」
「静かに、パティ。」
 こっそり呟いた所を、スカサハが咎める。
 幸い、話は聞かれてはいなかった様だ。すぐ前にいるレスターですら、気付いていないらしい。
 あるいは、注意を払うだけの余裕がないのかもしれない。

「単刀直入に申します。王位継承の儀、認めて頂きたい。」
「‥‥‥‥。」
 レスターの言葉にも、ザハは無言だった。
「この地の争乱を鎮め、新たな国をつくる。‥‥‥あなた方に、力を貸して頂きたいのです。」
 どう言う反応を、彼等は示すだろうか。
 レスターはザハを見据えて、言葉を待った。
 
「‥‥‥お断りする。非礼を承知で言わせて頂くなら、此処は、貴方の父君の国であり、貴方の国ではない。今、この国に必要なのは、亡き王室の血縁ではない故に―――貴方にも、我々にも、出来ることは何も無い」

 

 パティが踏み出しかけたのを、スカサハが僅かに上げた片手で制した。
「止せ。」
「どうしてよ。さっきからあの人、無気力なくせに口ばっかり‥‥‥」
「言うな、仕方ない。‥‥‥レスターに迷惑かけたくないだろ?」
 小声で言葉を交わす。パティはまだ何か言いたそうではあったが、スカサハの「迷惑をかけたくなければ」の一言で、とりあえずその場を一旦引き下がった様だった。
「私では、力不足だと?」
 レスターはできるだけ冷静に訊き返した。
 こうなる事は予想していたのだ。今焦っても、相手を失望させるだけだった。

「‥‥‥確かに、あなたには地位を受け継ぐ正統な理由があるかもしれない。だが、今のこの国にあっては、それすらも『大義名分』と言う道具に過ぎないのです。今国を乱し、互いに争っているのは‥‥‥理想も何もない、野盗の群れと大差ない者たちだ。」

 語るザハの顔に表情はなかったが、その声の響きに言い様のない諦めと悲しみのこもっているのを、レスターは感じた。
 ‥‥‥彼は、主人を失って以来、どんな気持ちで日々を過ごしてきたのだろうか。


「彼等に理想を語っても、何も通じはしない。あなたが父君の後を継ぐと言っても、彼等は怯んだりはしないでしょう。我々が彼等の言い分を聞きはしない様に、彼等にとっても、あなたの言葉は形だけ。‥‥‥今までグランベルから訪れた役人達と同じ。上辺ばかりの綺麗事だ。政権が変わろうと、人が変わろうと、我々にとってはそんな事はどれ程の差も無い。『どうせ、変わりはしないだろう』と。」

 ザハは、ヴェルダンを外の世界と関わらせるのが嫌だった。
 如何に国が乱れようと、それを治めに来たのがジャムカの愛した息子であろうと、その想いは変わらない。この地を知らず、グランベルからやってきたこの青年は、ジャムカではない。
 故郷と、最愛の者達のその為に、信頼を示そうとしたジャムカを、かつて隣国であるグランベルは切り捨てた。ザハの目には、手を差し伸べておきながら、それを受けようとした彼を、グランベルがはねのけた様にしか見えなかった。
 詳しくはわからなくとも、何らかの陰謀があった事は確かだ。そして、ザハにとって、主の命と引き換えにするのが許される事情など、この世には存在しないのだった。
 赦せる筈がない。一体、あの男が何をしたと言うのだ。そして、グランベルの示す誠意など所詮その程度のものなのだと、ザハは思い知らされたのだった。

 一度拒絶され、失った信頼を、どうして再び取り戻せるものか。信じ得た者、そしてそれを信じた者を、平然と切り捨てる様な彼等をどうして二度と信じられるものか。
 いつしか、彼は外の世界そのものを厭う様になっていた。



「たとえ、あなたの言葉が真にこの地を思うものであったとしても。‥‥‥‥彼等、賊を屈服させるには、ただ力が必要なだけ。」
「‥‥‥では、その力を持っていると―――どうしたら、認めていただけますか?」
 ザハが言葉を終えた所で、レスターは問いかけた。彼は自分のすべき事を決めて来た以上、ここで退くわけにはいかないのであった。
 ザハはレスターの方へ視線を向けた。真意を計る様な、そんな視線だった。
「一体どうすれば、私に戦い抜くだけの力があると認めて―――手を貸してくれますか?」

 ザハは少しの間、レスターの方に探る様な目をじっと向けた。
 真直ぐな視線が、ザハの視界に入る。
 そこにあるのは、澄みきった褐色の瞳‥‥‥。

 ‥‥‥あの男なら、乱れ切った今のヴェルダンを見て、どうしただろうか?
 否。彼がいたのなら、最初からこの地が乱れた筈はなかった。
 元々、その為にあの青年は生きていた。自分の望みの為、かつて感じていた平穏を取り戻そうと。内乱を鎮め、不条理な全てを変えてしまう為に。だからこそ、あの男は必死に生き続けた。誤解されようと、裏切り者と呼ばれようと、生きて全てを変えようとした。
 求めつづけた安らぎを取り戻すために。愛した人と共に在りつづけようとするが故に。

 ―――『愛する人』か。
 ザハはレスターの背後に視線を走らせた。先程から彼の発言が気に入らないのだろう、連れの金の髪の少女は、ずっと彼の事を憮然とした顔で睨んでいる。
 つい苦笑したくなるのを堪えて、ザハはレスターへと視線を戻した。
 彼の手中にある弓に。

 ‥‥‥全く、エーディン姫は、何故この青年に父親の弓を持たせたのだろうか。
 再び、ザハの頭に、先程と同じ疑問が浮かんだ。


 あの弓を持つようになってから、あの男は少しだけ、奇妙な倫理観を持つ様になった。

『なぁザハ。‥‥‥獣も人と同じ様に、己の種と他の獣との間に強く境を持っていて、自分達だけが特別だと思うのかな。』

 あるときそう問われて、当然の様に、ザハはジャムカに「何の事だ」と訊ねた。ジャムカは、小さく肩を竦めて答えた。
『人は、己だけが別格、特別なものだと考える様だからな。』
 他の獣も同じなのか不思議に思った、と。

 ヴェルダンという土地では、獣であろうと人であろうと、生きようという意志をもつものには敬意が払われる。狩で得た獲物の身体は、骨も皮も余す所なく使い、決してその死を無駄なものにはしない。彼等は草木や大地、森と湖の一部であり、その生死でもって命を継いできた土地の民にとって、彼等に対し敬意を払うのは、友と接するのと同じであった。
 だが、それはこの地だけの見方だということを、僅かでも学識あるもの、あるいは旅の経験を持つものはよく知っている。
 親しく交わっていた筈の隣国に暮らす者―――それも、大概は「教養がある」とされている者達―――が、獣達に対し見下すような視線を向けるのを知ると同時に、自分達にも同じ視線が向けられているのに、ジャムカは気付いていた。

『あれは、人以外の動物は下等だというのかな。俺達はそれと同じだとでもいいたいのか。』

 淡々と話すジャムカに、ザハは何も言わなかった。
 その時のジャムカの声に、怒りは感じられなかった。むしろそこから感じられた感情は、「自嘲」だった。

『‥‥‥だが、俺に関してはあながち間違いでもないかもしれないな。どんな動物でも、仲間を傷つけるものは自分の敵だと思って区別するかもしれない。‥‥‥それこそ、人が獣を見下したり恐れたりする様に、向こうも人を怖がったり厭ったりするのかもしれないな。だとしたら‥‥‥』

 珍しく多弁であったジャムカの手の中には、あの暗い色の弓があった。

『‥‥‥些細な理由と感情とで同じ種を深く傷つけるのは人間だけだ。生き物が、仲間を傷つけるものを‥‥‥グランベルでいうところの『獣』、俺達にとっての『友』じゃないが‥‥‥『獣』としてみるなら、人は人にたいして『獣』になり得るな。‥‥‥そういう意味でいうなら、俺は間違いなくそれだ。』

 そう言って、彼は苦笑した。ザハは、彼に何も言ってやる事が出来なかった。
 ジャムカは静かな口調の中に、今度はほんの少しだけの怒りをこめて、言葉を続けた。

『野蛮というのはどう言う意味だ、ザハ?‥‥‥平気で人を殺める人間は、皆野蛮だ。きらびやかな騎士だろうが、泥に塗れた『人狩人』だろうが、『獣』だ。違うか?‥‥‥だが、いずれにしろ‥‥‥俺はもう『人』にはなれないな。』

 ‥‥‥苦笑しながら、最後にそう言って、ジャムカはザハに、自分の手にした暗い色のその弓を翳して見せたのだった。


 それを手にする己を厭いながら、その男は決して、その弓を手放そうとはしなかった。

 その力を持つ他に、自分の存在する理由を認められなかったせいでもあるだろうが、それだけに、その覚悟は他の何者にも真似る事の出来ないものだろうと、ザハは信じていたのである。
 今、自分の前にいる青年は、それをしようというのか。他の生き方を選ぶ事もできる彼に、果たして、それが出来るのか。
 
「一つ、訪ねたい。‥‥‥その弓は、あなた方の元へ届く前、此処に、使い物にならない状態で戻って来た。何故今、あなたの手にある?」
「弦が、切れていただけです。使い手の意志で、再びその力となるものだ。」
 落ち着いて答えるレスターに、ザハは皮肉気に笑ってみせた。
「‥‥‥『使い手』か。その弓の使い手は、もはや無い。だから、私はそれを直さずにイザークへ送った。‥‥‥あなたは『使い手』となる決意があると?」
「先程申した通りです。この弓の弦を張り、携えて来た、その意味はわかって頂けませんか?」
「ほう?」
 ザハは、また笑った。
「あなたはかつて騎士であったと聞く。それが戦を終えたというのに、わざわざこんな辺境へやってきた上に、今度は『人狩人』になると言うのか。‥‥‥少々そぐわない様に思われるが?」
 レスターはすぐには答えなかった。
 挑発か、それとも単なる拒絶か。いずれにせよ、レスターは、怒りも困惑もしなかった。
「私がここへ来たのは命じられた為ではなく、自分の意志からだ。主の元を去りこの地へ来た私は、今はもう騎士ではない。‥‥‥この地に、騎士はいらない。必要なのは、どんな労苦にも耐え抜く力のある盟主‥‥‥そうでしょう?だからこそ、私はこの弓の主になる。」
「‥‥‥‥。」

 おかしな男だ。ザハは怪訝な顔でレスターを見やった。
 もう、キラーボウに主はいない。この地に盟主はいない。そう言っているのに、「自分はそれをやってみせる」と彼は答える。
 出来るはずが無い、自由で、何も知らないこの青年には。レスターの態度は、そう信じ込んでいるザハを僅かに苛立たせた。
「‥‥‥騎士の誉れは捨てたと申されるのか。」
 しばらく無言でレスターを凝視していたザハは、何かを思い付いた様に、口元に小さく、意地の悪い笑みを浮かべた。

 では、試してやる事にしよう。
 力量と、強い―――或いは、強過ぎる意志。それを、示す事ができるのかを。


「ならば‥‥‥。精霊の森の賊を一掃したと言うその腕―――見せて頂こう。」
 すぐに笑みを消して、ザハはそう言った。
 ‥‥‥期待などはしないけれど。
 必要なものは、真なる再生への望み、そして強い意志と強い力。
「どうすれば?」
 藍青の髪の青年は、律儀に訊ね返してきた。弓を手にするその片腕に目をやって、ザハは答えた。

「あなたの連れの、その女性‥‥‥そこに控える姫君に、的を持って頂こう。あなたがそれを射抜く。今、あなたの従えているその弓―――『キラーボウ』で。」

 ‥‥‥側で話を聞いていたスカサハが顔色を変えた。
 彼の脳裏を、矢を突き立てられ絶命した盗賊達の映像がよぎる。

 無茶だ。
 もし、少しでも的を外したりすれば‥‥‥
 パティの命は、無い。


 
 
 

Continued.



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