35.魔弾の射手 


 放たれるは死の矢。
 其の狩るものは獣でなく人。

 彼が狩るは、人。
 死の弓使い。
 一矢で一つの死を招く。

 一つの誓いを胸に秘め、言葉に紡ぎ得ぬ想いをその一矢に託す。
 魔弾が己をも傷つける事も厭わずに。

 人に忌まれ、なお人である事を捨てられぬ。
 其は死神、人を狩る者。

 

 ‥‥‥彼の名は、『魔弾の射手』。


 比較的治安の良いエバンスへ辿り着いたレスター達は、情報を集める意味合いもあって、まず街で新たに傭兵を募った。
 動乱のただなかにある王都へ行こうという物好きはさほど多くはなかったが、それでも日暮れ頃には、なんとか「小数精鋭」と呼べるだけの部隊を集める事に成功した。
 彼等に出立の日時を伝え、解散させると、自分達も宿を探す。

 やがて泊まる場所を確保した後、各自あてがわれた部屋で、簡単に旅装を着替えた。レスターが部屋を出て階段を降りて行くと、宿屋階下の食堂で、パティとスカサハが既にテーブルについて待っているのが見えた。
 自分も椅子に腰を下ろすと、レスターは溜め息をついた。
「まぁ‥‥‥何はともあれ、まずは金に頼るしかないんだよな。」

 わざわざ多くの資金を見積もって傭兵を集めたのも考えがあっての事だった。何よりまずは動けるだけの力が必要であるし、「武力に頼ってはいけない」などと言ってはいられない。かといって、これまで行動を共にした騎馬隊を連れてくる訳にもいかなかった。
 レスター達自身も、今はまだ、「ヴェルダンを統括しようとする一勢力」に過ぎなかった。知らぬ者からすれば、他所からやってきていざこざを起こすだけ、無用な争いを広げるだけの野盗まがいの者達と大差ないものと思われても不思議はない。
 今までに聞いていた話の限りでは、ヴェルダンの民がグランベルの人間に対して良い感情を抱いていないだろうし、それを消す事も容易には出来そうになかった。今レスター達が騎士達を引き連れていっても、彼等には「グランベルが、また自分達の国に剣を振りかざしてやってきた」としかとられなければ、誰も彼を受け入れないだろう。騎士達は、彼等に異国の象徴と受け取られかねない。無用ないざこざは避けたかった。
 いずれ変わらなければならないとしても、重い病を治療するには時間が必要だ。まずは、レスターが彼自身の力で認められなければ意味が無い。

「‥‥‥でも、本当にあんな人数で大丈夫なの?」
 時期が時期であるから、レスター達に出された食事は満足なものとは言い難かったが、三人は不平を言わず食べ始めた。その最中に、パティがそう訊ねたのである。
 資金にも限度がある。レスターがスカサハと二人で集めた傭兵部隊はごく小さなものであった。どれだけ信頼できるか、そして後々の面倒を考えると、あまり大きな部隊を作るわけにもいかないという事もある。

「差し当たってヴェルダン城までたどり着ければいいんだ。あの城には父さんが信頼してた側近がいる。‥‥‥今、この国の中じゃ、一番有力な人物だ。城に攻撃する者は、ことごとく潰してる‥‥‥。彼と話をつけるつもりだ。兵力はその後で考える。」
 レスターは、二人にそう話した。楽観的な感は否めないが、彼なりの次善策だった。思惑が外れてしまったら、その時はその時‥‥‥と、そう言った時には、流石に呆れられたものであったが。
 スカサハが顎に手をやって考え込む。
「‥‥‥辿り着くまでに危険なのは、押さえられている可能性のあるジェノアの街道と‥‥‥あとは、森だな。訊いた限りでは、街道は話の持っていき方次第でなんとか抜けられそうだが‥‥‥森には野盗が出るって聞いた。こっちはどうしても力ずくになる。」
 スカサハの言葉に、レスターも思案顔になる。そこへ、パティが口をはさんだ。
「森って言っても広いんでしょ?まさか森中にそんな物騒なのがいる訳でも無いだろうし、避けられないの?」
「人間が歩けるような道なんてほとんど無いさ。よほど慣れた者でない限り、地元の人間でも迷うらしいから。」
 傭兵の一人に聞いた話を元に、スカサハが答える。パティが首をかしげるのを見て、レスターが苦笑しながら付け加えた。

「あんな深い森は大陸中でもそう無いから、実感がわかなくても仕方ないな。それより、暑いからって迂闊に肌を出すような服を着るなよ、パティ。特に足な。‥‥‥迂闊な場所を一時間も歩くと、蛭が何匹も吸い付いてくるらしいから。」
 話を聞いたパティが、思いきり厭そうな顔をしたのを見て、レスターとスカサハはひとしきり笑った。やがて笑いを収めた後、3人は話題を元に戻した。
「‥‥‥ともあれ、雇った皆に期待するしかないだろうな。どうせ、まだ俺達に気を止めるものなんて多く無いだろうから、面倒な相手は金銭目当ての盗賊だ。他から兵を差し向けられても、さほど多く無いはず‥‥‥」
「で、どうするの?」
 パティが身を乗り出す。
 レスターは、考えていた事を話した。


「‥‥‥なんでわざわざこんな危険な事を言い出すかな‥‥‥」
 スカサハが呆れたように言いながら、レスターの方に憮然とした顔を向ける。レスターは苦笑して応えた。
「殲滅しなきゃいけないんだ。こっちの兵も少ないことだし、誘い出して挟撃するしかないだろう?」
「‥‥‥‥だからって、なんで接近戦が苦手なくせに、お前が囮役にくるんだ?弓使いは後方支援が基本だろう。」
 スカサハは頭に手をやり、なにやらぶつぶつとつぶやいている。すると、後ろの方から、当然の様に強引に囮役に志願したパティが口を挟んだ。
「だからあたしとスカサハも一緒なんでしょ。私達だけ固まってる方が目立って、囮にも向いてるんだし。それに、苦手っていったって野盗の一人や二人にレスターは負けたりしないわよ。」
「一応‥‥‥危ないのは危ないんだけどな。」
 楽観的なパティを見て苦笑したまま、レスターが口を開く。
「けど、これくらい切り抜けられない様じゃ、誰も認めちゃくれない‥‥‥‥さて、そろそろか。」
 そういうと、レスターは手にしていた弓を、背負っていた褐色の弓に持ち変えた。
 様子を眺めていたパティが、怪訝な顔で問い掛ける。
「‥‥‥勇者の弓、使わないの?」
 レスターがそれまで携えていたその弓の事は、パティも知っていた。

 『勇者の弓』。聖戦士ウルの力、聖弓イチイバルを除けば、それは大陸でも最高の弓の一つである。実際、レスターは父から受け継いだその弓と技量で、解放軍ではパティの兄、そして聖弓イチイバルの継承者でもある弓使いファバルにも劣らぬ活躍をしていた。
 しかし、今その弓に代わってレスターが手にするのは、パティの知らない、鋭い印象の暗褐色の弓だった。だが、それは何故か、勇者の弓とはまた違った感覚で、レスターの手にしっくり馴染んでいるようではあった。
「まぁ‥‥‥ちょっとな。」
 レスターはそれだけを言い、多くを語ろうとはしなかった。

 やがて3人が森の中程に差し掛かった時、突然辺りを殺気が取り巻いた。それまで聞こえていた筈の小鳥達のさえずりが、いつの間にか聞こえなくなっている。
 スカサハが銀の大剣を、パティが細身の剣を手に、レスターの前へ進み出る。レスターも矢筒から、一本の矢を取り出し手にとった。

「‥‥‥来るぞ。」


 ―――血臭がわずかに漂う。

 ‥‥‥だが、不快な匂いの全ては、あたりに満ちている草木の匂いに浄化される様だった。
 不思議な場所だと、レスターは思った。木々の間から射し込む光が柔らかく、やや薄暗いせいで、辺りの凄惨な有り様も、はっきりと見ずに済む。そこには確かに、彼の気持ちを和らげる様な何かがあった。

 レスターは仲間の無事を確認しようと辺りに目をやった。向こうの方に、スカサハが今しがた相手をしていた男が事切れたかどうか、確かめているのが見える。傭兵達も、どうやら無事な様だ。多少の傷ならば、近くの教会にでも立ち寄って治療を頼めるだろう。
 安堵の息を洩らして、今度はもう一人の同行者を探した。パティはすぐ側についていた筈だ。‥‥やがて、数本の大樹の先に、レスターはこちらを見ている金の髪の少女の姿を見い出した。改めて安心した様に、レスターは恋人の元へ歩み寄ろうとした。が、数歩手前まで来たところで、パティの向けるその表情に気付き、足を止めた。
「パティ?」
 声をかけられた少女は、抜き身の剣を下げたまま、呆然とした様にレスターの方を見つめ返すだけだった。やがて、かすれた様な声を出して、小さく口を動かした。
「レスター‥‥‥。その弓‥‥何なの‥‥‥?」
 パティが呆然と呟いた。


 襲ってきた野盗達は、壊滅状態だった。
 身なりのいいレスター達とその物腰を見て、利益と相手の技量を計って一度に攻めかかってきたのだろう。もっとも、それがレスターの狙いだったのだが。
 さほどの人数は居なかったのが幸いした。レスター達の集めた傭兵隊は期待以上の腕で、すぐさま彼等を討ち取っていった。
 傭兵達が切り掛かる中、スカサハがその掩護を、パティはレスターの護衛をしていたのだが‥‥‥

「‥‥‥‥‥‥‥。」
 パティはすぐ側に倒れていた盗賊の一人らしい男が、何かを呟いて息絶える様を見た。その胸には、致命傷に至る様な剣による裂傷はほとんど無く、ただ一本の矢だけが突き立てられていた。そして、同じ様な有り様の者が、他に何人も、彼女の視界に入った。
 ほんの一本、その一矢が、放たれたその数だけの屈強な男を全て射殺したのだ。
 全て、レスターが、彼女の見知らぬ暗褐色の弓から放ったものだった。

 ―――『魔弾の射手』。
 パティの耳には、男がそう呟いた様に聞こえた。


 レスターは返事をしなかった。立ち止まったまま動かなくなった青年に、パティの方から側へ歩み寄ろうとする。だが、一瞬、恋人を取り巻く空気の中に一種近寄り難いものを感じ、やはり彼女も立ち止まってしまった。
 パティの言葉で藍青の髪の青年が浮かべたのは、感情を封じよう、押し殺そうとしている様で、少し、悲し気な表情だった。
 あと一歩踏み出せば手が届く、そこまで来て足を止めしまったパティは、もう一度、今度は先程とは別の問いかけをした。
「魔弾の射手って‥‥‥‥何?」

 一瞬の間があった。
 ややあって、レスターが口を開く。
「父さんの事だよ。いや、というより‥‥‥『この弓の使い手』の事か。『死の弓使い』。」
 そう言う彼の褐色の瞳は、パティの方を向いているのに、彼女を見てはいなかった。

「‥‥‥まだ、憶えてる者がいたんだな。」


 まずい事を訊いてしまったのかもしれない。そんな思いにかられて、かける言葉を思い付けずにパティが戸惑っていると、やがてレスターが何処かへ歩き出した。
「レスター!何処行くの?」
「‥‥‥そこの湖。すぐ戻るよ。」
 短く答えて、レスターは振り向きもせず歩いていった。


「『魔弾の射手』か‥‥‥あいつと一緒に、エーディンさんに、聞いた事がある。父さんと母さんの事聞かせてくれって頼んで‥‥‥。やっぱり、怖がる人が多かったのか。」
 自分の剣に付いた血を振払い、鞘に納めながら、スカサハが言った。その口元には、小さな苦笑が浮かんでいる。
 彼は、驚いていないのだろうか?
 何事も無かった様に傭兵達に指示を出し始めたスカサハの冷静な様を見て、パティは一瞬戸惑った。
 しかし、小さく呟かれたスカサハ次の言葉で、その戸惑いは消えた。その言葉は、彼の心中を物語っていたものに違いなかった。

「俺やラクチェも‥‥‥怖がられた事があった。とどめを刺さなきゃいけないって時に‥‥‥ひどく怯えた目をされてさ。仕方ないのはわかってるけど、敵だろうがなんだろうが、そう言う目で見られるのは嫌だったな。‥‥‥随分、憎んだ相手の筈だったんだけど。」
 視線を地面に落とし、苦笑を浮かべたまま、黒曜の髪の青年の口から、ぽつりぽつりと言葉が紡がれていく。
「ラクチェだって‥‥‥あの、じゃじゃ馬がだぜ?‥‥‥一時期、それでひどく落ち込んだ事があった。」
 双子の妹の事を語りながら、スカサハの表情は、どこか悲し気だった。そこから感じとれるのは、先程パティがレスターに対して感じた雰囲気と、よく似ていた。
 彼も、似た思いをした事があったのだろうか。剣聖とよばれた聖戦士の血を受け継ぎ、無類の強さを誇るこの剣士の青年も。

 スカサハがこちらに顔を向ける。
 やや影がかかった、群青の瞳。彼の父親譲りの、深い、優し気な瞳が、パティに向けられた。パティはレスターの去っていった方へ向かって視線を走らせた。
「行ってやれよ、パティ。らしくもなく不安がってるんだ‥‥‥あいつ。」
 スカサハが微笑む。
 こっちの処理は自分がやっておくから、気にせず行ってこい。そう言われて、パティが少しむくれた様に言い返す。彼が幼馴染みの理解に深いのを感じて、やきもちでも妬いたものらしい。
「‥‥‥何よ。レスターの恋人は私なんだからね!」

「‥‥‥あのな‥‥‥。」
 スカサハは思わず苦笑した。的外れな返事に呆れながら、しかし、同時に安心もする。
 あんな台詞をはっきり口にすると言う事は、この少女は間違い無く彼の不安を解消してくれる。それが確認出来た気がした。

「言われなくたって、行ってくるわよ!だから、戻ってきたらすぐに出発できる様にしておいてよね!」
 そういって走っていくパティを、スカサハは微苦笑を浮かべて眺めていた。


 
 
 

Continued.



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