34.分岐 


 ‥‥‥あの人は、まだ覚えているだろうか。

 いつであったか、森の中で彼女の元に変わり者の小鳥が一輪の花と共に舞い降りた様に。
 俺の元には、彼女自身があの青い輝きを運んできたのかもしれない。
 深い藍青の輝きと、湖の瞳。


 どんなに美しい花も いつかは枯れるもの。
 あの花の青は 変わる事のない空の色とも 
 干上がる事のない海の色とも違うのだから。

 どんな幸せな時間にも 必ず終わりが来る。

 ‥‥‥それならせめて その色を目に焼きつけて。
 その輝きを忘れない様に
 人の想いも 優しい記憶も消えてしまう事の無い様に‥‥‥


 いつの日かもう一度 自分だけの花を咲かせよう。

 枯れない花を追い求めるのではなく
 かつて目にしたよりもなお 強く輝く花を‥‥。


 時はグラン暦780年


 グランベル王都、バーハラ城の廊下を、一人の青年が歩いていく。
 深い藍青の色をした髪に、整った顔立の中の褐色の瞳。その背には瞳よりも暗い褐色の弓と、矢筒。護身のためか、腰には短剣も帯びている。そして、左手には背負っているものとは別に、もう一つの弓を携えていた。
 彼の手にしているその弓は、背中にある暗褐色の弓が冷たく、鋭い印象を与えるのとは対照的に、細やかな白金の装飾が目を惹き、薄らと放たれる青い輝きはそれだけでも気品すら感じさせる、優雅なものだった。
 身には旅人達の好む、丈夫な麻の繊維で編まれた布の服と、ペガサスの羽から織られた、しなやかで軽いマントを身につけていた。決して安価なものではないはずなのだが、グランベルの誇る王都に建てられたこの城の、鮮やかな紅い絨毯の敷き詰められた廊下の上にあると、むしろ些か地味な印象も受ける。しかし、青年の姿は壮麗なその城内にあって、少しも引けを取っていなかった。

 やがて、彼は一つの扉の前まで来たところで立ち止まった。ドアをノックし、返事があったのを確かめて、ゆっくりと扉を開く。


「‥‥‥あ。レスター、やっと来た!」

 部屋の主人よりも早く声を上げたのは、一人の少女だった。
 大きな瞳に、輝く様な金髪。緩くウェーブのかかったその長い髪は、動きやすい様にであろうか、後ろで一本に編まれていた。
 まだどことなくあどけなさを残した掘りの深い顔立ちは、しかしどこか気品がある。今は明るく無邪気な印象が強いが、年を重ねていくうちに深みが増していくであろう事が思われた。その少女も、今はレスターと呼んだその青年と同じく、旅支度を整えた姿だった。

「やあ、レスター。‥‥‥準備はいいのかい?」
 そう言ったのは、この部屋の主である。部屋の椅子に腰を下ろしていた青年が立ち上がった。
 青い髪と、紫水晶の様な瞳を持った青年。以前は一つに束ねていた事の多かった長い髪は、今は無造作に流されている。
 その青年はどちらかといえば女性的で、繊細な顔立ちをしていた。しかし、解放軍の指揮官、『光の皇子』と呼ばれたその人は、以前と比べ若さに似合わぬ風格と威厳を備えて来た様にも思われる。
 『聖王セリス』と呼ばれる様になった今日では、なおさらその印象が強い。

「ええ。この通り、支度も済ませましたし。‥‥‥その前に、セリス様にお話があって。」
 その言葉を予期していたのだろう、寂し気な視線を向けるセリスを見て、やや躊躇いがちにレスターは話を切り出した。
「『ボウナイト』の称号‥‥‥今、この場にてお返し致します。」
 その場に跪いて、レスターは頭を垂れた。礼をして、再び顔を上げる。

「今まで‥‥‥誰かを守る力が欲しかった。世話になった人達、大事な幼馴染みや家族、それに‥‥‥心に決めた人。誰一人、失いたく無かった。ほんの僅かでもいい、自分と誰かを守る力‥‥‥。」
 過去を一つずつ思い起こして、懐かしむ様に、ゆっくりとレスターは続けた。
「解放軍での騎士の名は、確かにその時望んだものでした。『光の皇子』の騎士‥‥‥‥。でももう、その役目は終わりましたから。」
「‥‥‥‥。」
「私も、これから自分で選んだ場所を目指します。だから、もう、あなたの為に弓をとる事は出来ない。‥‥‥『騎士』の名は、今、この場にて返上致します。」

「‥‥‥その願い、確かに聞き届けたよ。さぁ、もういいから、立って。」
 小さく溜め息をついて、セリスはレスターに立つように促した。それから少し間を置いて、訪ねるべき事の詳細を思い出してから、セリスはその場に身を起こしたレスターに訊ねた。
「父君の故郷へ行くんだよね?‥‥‥ヴェルダンは、今内戦が起きていて、ひどい状態だと聞いたよ。騎士団は連れていかないと聞いたけど、いいのかい?」
 訪ねるセリスに、レスターは少し肩を竦めて答えた。
「ええ。騎馬隊は、ヴェルダンの自然、特に森には不向きですから。‥‥‥それに、あちらの民は、グランベルの人間にあまり良い感情を持っていないでしょうから。政権が変わったといっても、向こうに大きな変化があった訳ではないし‥‥‥。必要な戦力の方は、街で傭兵を募ります。‥‥‥ああ、それに、スカサハが少し手を貸してくれるそうです。」
 グランベルの人間にはあまり好感を抱いていない、と言ったあたりで苦笑し、すぐに表情を戻す。最後にレスターは、自分も馬は連れていかないと付け加えた。

「ずっと連れていたので、ちょっと名残惜しいですが‥‥‥ここに、置いて行きます。可愛がってやって下さいね。」
「‥‥‥危険だよ?」
 セリスは気遣わしげに言ったが、レスターは微笑んでみせるだけで、何も言わなかった。


「大丈夫ですよ、セリス様。私がちゃんとついてますから!」
 レスターの後ろから、先程の金の髪の少女が明るい声でそう言いながら顔を出す。その声に苦笑して返事をしたのは、他ならぬレスターである。

「‥‥‥パティ、本当に一緒に来るのか?危険だし、お前の居心地のいい国じゃないかもしれないんだぞ?」
 先程、ヴェルダンの民はグランベルの人間にはいい感情を持たないだろう、と言った事を言っているのだろう。しかし、当の、ユングヴィ公女である所のパティは、むっとしたように言い返した。
「まだそんな事言ってる‥‥‥レスターだってユングヴィの人じゃない。血縁なんて関係ないわよ。それに、昨日『ずっと一緒だ』って約束したでしょ!絶対、私も行くんだからね!」
「俺にはあっちの血も混じってるんだが‥‥‥。」
 パティの言葉に、再び苦笑する。

 『血なんて関係ない』
 
 確かにそうだ。
 だからこそ俺はここに在る。


 やがて根負けした様にレスターは答えた。
「わかったよ、パティ。」
「‥‥‥レスター」
「セリス様。」
 何か言おうとしたセリスの言葉を遮り、レスターは再びセリスに向き直った。
「私は行きます。自分にしか出来ない事があるから。‥‥‥父の事だけじゃなく、私自身、これ以上あの国を放っておきたくないんです。‥‥‥必ず、変われる筈だから。」
 そう言ってレスターがセリスの方を見ると、深く澄んだ、褐色の瞳が向けられた。

「‥‥‥わかったよ。私にも、君の気持ちは少しだけ、わかるからね。気をつけて。そして、元気でね。」
 やがて、寂し気ながらも顔に笑みを浮かべて、セリスはレスターを見返した。褐色の瞳の青年は、もう一度、自信に満ちた笑顔を作ってかつての主に答えた。

「セリス様。たとえあなたの元でこの弓を引く事が出来なくなっても、私達が幼い頃から今までの時間を共に過ごした、その事実に変わりはありません。道は違っていても、共に生きていこうと思う気持ちは、生涯変わる事はありませんから‥‥‥。あなたも、どうかお元気で。」

 最後にレスターはもう一度、その場に跪いた。


 

 

Continued.



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