―――何故黙っているんだ!


 ‥‥‥‥使者達が去った後、場にいた者達の非難の声に混じって、そんな言葉が聞こえた。ザハは、黙って彼等の声を聞いていた。

 ―――何故何も言わない。何故、何もしない。
 何の故があって、こんな仕打ちをされて黙っていなければいけない‥‥‥―――


 ‥‥‥‥煩いな。


 ザハは無表情に口を開いた。

「‥‥‥どうしようと言うんだ?」

 ‥‥‥‥それはごく静かな一言であった。だが、それは周りを黙らせた。
 押し殺した憤りが、その場の誰よりも強いものである事を悟って、皆が言葉を無くした。何か言おうとする者も、気押されたように黙り込んだ。

「あのまま延々と、終りのない議論を続けるつもりだったか?それとも、あの使者達を殺して、戦準備でも始めるつもりだったのか?‥‥‥‥一体、どうしたいと言うんだ?」
 ザハの言葉に、まともに答えた者はいなかった。
 使者などを責めた所で、どうにもならない。戦になれば、かならず自分達が負ける。それが、誰にもわかりきった事実だった。
 それでも、不満の声がいくつか、ザハの耳に届いた。


 たとえ勝てないとしても、こんな暴挙を許していい筈がない。

 そう呟いた者を見定めて、静かにザハは応えた。
「許せない。‥‥‥そう言って、戦って、何になる?負けて、かつて太子がバトゥ陛下の元を離れ、グランベルについてまで得たわずかな自治を、奴等に奪わせるつもりか?‥‥‥非難する根拠などないんだからな。今まで以上に好き勝手をされる様になるだけだ。陛下を亡くしたあの時以上に、我々には力が無い‥‥‥。」

 ならば、こんな非道をされて、黙っているのか。何も出来ず、勝手を許すだけなのか。

 別の場所から聞こえた声に、また、彼は応えた。
「今ある僅かな自由、それだけが、我々に『与えられた』物だ。‥‥‥所詮は、属国だ。わからないか?」

 かつては「裏切り者」とまで呼ばれた太子が得ようとしたものはその程度なのか。ならば、彼が旅に出、命を奪われたのは何の為だったのか。

「殿下が戻るまでの辛抱だった。‥‥‥‥あの方が王となり、辛抱を重ね、いつか『自由に』なれる筈だった。我々は、それを待った。」

 これまで耐えたのは何の為だ。こんな結末を待ち続けたのか。
 太子を亡くしては、全てが意味を成さなくなるではないか。
 既に、グランベルの意のままにされるだけではないか。それを受け入れるのか。戦に負け、支配されるのと、どれほどの差があるのだ。
 武器をとり、その意だけでも示すべきではないのか。

 
「‥‥‥‥‥‥」


 

 ザハは周囲の声を聞く内に、浴びせられる非難の数々が、次第に、誰の言葉かわからなくなってきた。


 何故何もできない。何故耐えなければいけない。
 何の為に、ここまで辛抱してきたのか‥‥‥


 それは、周囲の喧噪だったのだろうか。それとも、ザハ自身の内心の叫びだったか。

 否。
 彼の叫びは、それほど単純なものではなかった。


 ‥‥‥煩いな。

 なおもやまない周囲の喧噪に堪えきれなくなって、ザハは言った。
「煩い。黙れ。」

 穏やかさを失った彼の言葉に、周囲は静まり返った。その中で、また、彼は低い声で呻いた。
「皆、黙れ。‥‥‥俺に指図するな。」


「俺に命令できるのはジャムカ一人だ。俺に、指図をするな。」
 ‥‥‥公の場で太子を呼び捨てにした、その事さえ気にも留めず、ザハは吐き捨てるように言った。


「俺は留守を任された。‥‥‥これ以上、この地を荒らされない為に。」
 喉の奥から絞り出すような声で、続ける。
「『後は頼む』‥‥‥それが最後に聞いた言葉だ。‥‥‥以前あの男に乞われた時、俺はバトゥ陛下をお護りする事すらできなかった。それでも奴は‥‥‥俺に留守を任せたんだ。これ以上、その信頼を裏切る事は、俺には出来ない。‥‥‥奴は戦を厭った。」

 彼等が犯した罪。自ら和平を破り、攻め込んだ。
 それは、確かな事実だった。その事でいくら責められたとしても、それは仕方がないに違いない。それを誰もがわかっていた。長い時をかけたとしても、過去は精算されなければならない。
 ‥‥‥しかし。


 あいつは‥‥‥今まで死ぬ程苦しんできた筈なのに。散々、辛い思いをしただろうに‥‥‥。


 何故、『彼が』その命まで奪われなければいけない?
 彼が、何をしたと言うのだ。


 グランベルの動向に不穏な影があるのは明らかだった。それにしても、ヴェルダンの罪を非難しながら、それにも劣らぬ陰惨な行為を平然とやってのける彼等は、一体何なのだろう。
 ぬけぬけと使者などをよこしてきた彼等は、この国の民の希望すら無惨に踏みにじった、その事すら恥じるべき行為ではないと言い張るのであろうか。

 あの使者の顔を見たか?
 俺が止める事を見越していたと云わんばかりの表情で。
 あとほんの少しの間、我を忘れていれば、『俺が』まっ先に斬り殺していたに違いないのに。
 彼等自身が命を奪った男こそ、自分達を守ってくれたのだとも知らないで。


 先王の危惧こそが、正しかったのかもしれない。
 ‥‥‥‥不条理を非難するばかりのザハの頭の隅で、ひどく冷めた声が囁いた。
 行く道を失って、何もかもを諦めてしまった、もう一人の自分の声が聞こえる。


 わかっていた筈だ。
 彼等の『誠意』など 所詮はこんなものだ‥‥‥。




「‥‥‥これが俺の最後の役目だ。もう他に何も無い。不満なら出ていけばいい。否、皆が不満なら俺を追い出せばいい。勝手にしろ。‥‥‥だが。」
 呻く様に、呟く。
「戦は、させない。それを唱える者は俺が殺す。どんな理由、どんな大義名分を掲げようとも。‥‥‥忘れるな。俺達には何の権利も与えられてはいない。グランベルを非難する事も、自分達の正しさを主張する事も‥‥‥‥自身の傷の痛みに叫ぶ事すら、許されない。」


 静まり返る中、ザハは疲れた様に、言った。
「‥‥‥たとえ、どれ程叫んだとしても。誰も、聞く者はいない。誰にも聞こえはしない‥‥‥。」


 その言葉を最後、誰も口を開く者はいなくなり、ザハは無言でその場を去った。


 その、晩の事。


 追い出されるか。或いは、俺も殺されるかな。
 ザハは自室に帰った後椅子に座り込むと、そんな事に思いを巡らせた。
 
 戦はさせない。そう云った以上、あとは完全に「属国」となる事を認めさせただけになる。それを厭うものは多いだろう。しばらくは身を潜めていても、グランベルの隙を伺いながら、何年か後、いつか戦を起こすだろう。その時にザハが邪魔をするなら、まず間違い無く彼は切り離される。

 ‥‥‥別に、構いやしない。

 胸中でひとりごちる。別に、どうなろうと構いはしない。
 もう、彼の望んだ未来は訪れない。戦をしないのなら、ヴェルダンはグランベルにとって一介の属国になる。戦が起こるならば、それは過ぎ去ったはずの過去に、ヴェルダンの民が還るだけだ。
 無為に争うだけの、戦の時代に帰るだけだ。


 何年こんな状態が続くだろう。いずれにせよ、消えたザハの主人に代わり、新たな国を創りだせるような人物でもあらわれない限り、それは半ば永久に続くだろう。
 そして、そんな人物はそうそうあらわれるものではない。
 誰が、こんな辺境で、身を削るような苦労を味わう事を望むだろう?


 別に、どうなろうと構わない。
 他人の身勝手に耐えるだけの暮らしに、何の未練がある?

 あの男の還らぬ今、耐える意味さえ無い。

 

 考えながら、数刻程も虚空を見つめているうちに、どうにもならない思いが込み上げて来て、ザハはその場に立ち上がった。
 窓辺へと歩み寄ろうとして、やめた。窓ではなく、そのすぐ脇に立つ。目の前にあるのは、外に広がる夜空ではなく、質素な石造りの壁ばかりである。
 手に力が入る。

 無言でその壁を思いきり殴り付けて、ザハは呻いた。


「馬鹿野郎‥‥‥何故、戻ってこなかった‥‥‥」


 固い壁に打ちつけた拳に血が滲むのも構わず、腕に力を込めた。
 痛みなど感じない。生涯抱えていかなければいけない苦痛にくらべれば、こんな傷がどれほどのものだと言うのだ。
 
 ‥‥‥頬を涙がつたうのが、わかった。


「何故‥‥‥死んだ‥‥‥‥‥‥」


 再び、呻く。
 やがて、やりきれない怒りを何かに叩き付けるだけの気力も失って、崩れる様にその場に膝をついた。


「頼む‥‥‥答えてくれ‥‥‥ジャムカ‥‥‥」




 ‥‥‥一人の男の慟哭が、夜のヴェルダン城に響いていた。




 これより後、ヴェルダンは勃発した内戦に明け暮れる事になる。


 夜明けを忘れ、長い夜を彷徨う。

 消えた光を求めながら。


 
 
 

Continued.



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