28.過去 


 昔、誰かが教えてくれた。

 精霊達の住まう森。
 人と人の間に生まれるしがらみもいがみ合いも無く、ただ生きとし生ける者の理だけが、そこを支配する唯一の決まり事。
 いつからかその地住み着いた人々。その起源は知られる事の無いものの、彼等は争いを繰り返しながらも、いつしかそこに一つの国を作り出していった。
 人々は漁をし、狩りを行う。厳粛な法の無いその地では、しばしば小競り合いも起きた。豊かな隣国とは、争った。
 それは、数多在る人間ならではの過ちの一つ。

 しかし、人の身だからこそ、いつの日か彼等自身によってその過ちは正される。
 一人の賢王がその地を治める様になると、みだりに他国との境を侵す事もなくなり、そこには平穏が訪れたという。

 ‥‥‥‥それが、俺の聞いてきた、故郷の歴史。

 大陸の多くの土地で語られる聖戦士と呼ばれた者達の、『神の血筋』を受け継がない国家。
 それでも、俺にとっては誇りだった。
 たとえ、それまで争いや揉め事の絶えない国だったのだとしても、俺が過ごした時間、そこは平和だった。

 早くに亡くなった両親が教えてくれた事。
 己の住むこの地と、そこに生きる人々を愛しいと思うなら、それを守って生きるのだと。
 それを望むなら、他の誰よりもそれをなし得る立場にお前は生まれたのだから、と。
 強くなれと‥‥‥。

 俺が過ごした時間、そこは平和だった。
 どんなに他に美しい場所があったとしても、これ以上のものはないと、そう信じていた。
 守りたいと、そう思った。

 たとえ、持てる力はわずかでも。
 強くなりたいと思った。


 己と他とを比較して、初めて知識は知恵の源たり得る。

 『狩りは生活の糧』。そう考えていた事は、どうやら隣国で裕福な暮らしを送るものには理解できないものであったらしい。彼等にとって、狩りなどと言う者は個人のたしなみ程度のものなのだという。それも、決まって、一定水準以上の財産と地位のある、騎士や貴族達のものだ。
 生活の一部としてのそれは、泥臭いものだと思われるらしい。弓は戦で手にするもの。射るべき獲物は、人。動物を射る事など、その稽古代わりのものである‥‥‥‥
 理解できないのはむしろ彼等の方だ。遊びや酔狂、そしてたとえ日々の鍛練であるとしても、そんな理由でばかり生き物を狩るなど、許されざる事ではないだろうか。‥‥‥それは、どうやら俺達の国だけの倫理観であるらしかった。白い獣を狩ってはいけない、森の精霊達に捕らわれた狩人は帰る事が出来ない、精霊達の怒りに触れたものは災いをもたらす‥‥‥。
 確かに迷信には違いないのかもしれない。そして、彼等はそれを笑った。

 ‥‥‥長い間、ヴェルダンの人々の心を支えて来たものに違いないのに。


 隣国、グランベルを含め、各所で、「聖戦士の伝説」が受け継がれているらしい。
 確かに、壮大な物語だ。それは、過去の歴史でもあるのだという。彼等の血脈が、今もなお存在するのだと。それは、人に尋常ならざる能力を与えるものなのだという。

 ―――随分と、遠い世界の話の様に聞こえた。あまりに遠大なものであったから、俺達には理解できないものなのかもしれないな。

 彼等はひどくそれを重視しているらしい。少なからず、戒めもあるのだという。そして、彼等は人々の希望なのだと。ある大きな力というものが権力者の元にあれば、そう思われるのもわからないではない。だが、やはり能力には個人差があり、それは活かせるかどうか個人の資質によるものが大きいとか。

 ―――‥‥‥少々、人の手に余る運命だと思う。身分やと呼ばれるものや、あるいは両親さえ、決断さえすれば捨てる事ができる。完全に断ち切る事は出来ないとしても。
 生を受けた際に決まってしまった血脈とその与える力などというものに対しては、それが出来ない。どれほど厭おうと、絶えずつきまとい、死ぬまで離れない。
 能力を活かしきれなかった者は、周囲から一体どういった扱いをうけたのだろうか。
 ‥‥‥いずれにせよ、俺には関係がない。

 人の価値観は皆、違う。一民族、一国の文化、性質ともなれば、尚更。
 全く同じものなどはない。

 認めてはやれないものか‥‥‥とは、大きな戦を知らないが故の、甘えた理屈。
 違うから争う。


 ‥‥‥境を犯し、戦を起こし、争いを続けたのはヴェルダンの民だと言われているのだが。

 生来、理由もなく、みだりに戦を起こさねば存続できない民などはいない。
 土地も、食料も豊富に得る事の出来た俺達の祖先が、国力の豊富な隣国に攻め入らねばならなかった理由は一体何だったというのだろう。

 歴史とは都合のいいものだ。より強い力を持つ者によってのみ、それは紡がれる。

 

 一体、どちらが先にあったのか。

 かつてのヴェルダンの民が他者の住まう地を侵したが為に、「蛮族」と呼ばれるようになったのか。
 それとも、自分達の誇りを詰られ、口先一つで汚されたが為に、相争う様になったのか。

 ‥‥‥果たして、争いを起こし、卑下されるような行為を取り始めたのは、俺達の方だったのだろうか。
 生活に不足もなく、むやみに攻め入る理由など持たなかった筈のヴェルダンが、いかに荒くれ揃いとはいえ戦を起こしたのは、果たして本当に俺達にばかり非があったのか。
 ‥‥‥果たして、争い始めたのは本当に俺達の祖先だったのか。


 いずれが真実なのか、最早知るものなどあるまい。ただ、互いの応酬だけが続く。影のように、つきまとって離れない。

 片や住む土地を侵し、片やその心を侵す。
 一体、どちらが恥ずべき行為であるだろうか。

 ‥‥‥何が「蛮族」だ。
 非礼は奴等の方ではないか。
 卑下されるからこそ、「そうならざるをえなかった」とは気付かないのか‥‥‥

 決して相入れる事はない。


 荒くれ者ぞろいの中で、必死に秩序を保とうとしていた養父。
 それまで無秩序に暮らしていたのだとしても、過去から抜け出し、平穏を求めた民。
 精霊達の住むと言われる深い森に、澄んだ湖。
 ただ、静かに、自由に暮らしていきたかっただけだった。
 そんな中に生きていくのが、そんな彼等を守る力が少しでも持てる事だけが、生きる証だった。

 相入れる事などない。だからどうしたと言うんだ。
 何も変わる事などないと言うなら、今のままで構わない。理解する必要などない。
 平和に暮らす事さえ出来るなら、それだけでいい―――

 自分の過ごして来た、静かで、幸福な時間。それが、どれほど脆いものであったか。
 ‥‥‥思い知らされた。


 形だけ、見た目だけの平和だった。束の間の夢に過ぎない、ただの幻だった。
 結局、争乱が鎮まる前と何一つ変わってはいなかった。
 相手を知らない、年老いた義父は、たった一人素性も知れない者の聹言で、国を失うと怯えきってしまった。
 気付く間もなく、支えてやる事もできなかった。


 義父とも二人の義兄とも違っていた。俺は戦の時代を知らない。
 血が流れるのは、せいぜいが小さな小競り合い。争乱の時代を生きた民は戦を厭い、年若い者は、親に聞かされ続けた、争いの時代などを望みはしなかった。
 全ては過去の話だった筈なのに‥‥‥。

 戦を治めた筈の父は、自身がそれを繰り返した。二人の義兄は、和平が崩れる事を恐れもしない。
 何も、変わってはいなかった。争乱は、過去の遺物ではなかった。
 もう、二度とそんな時代が来る事を、誰も望んではいない筈だったのに。
 
 国境を侵され、攻めて来たのは、きらびやかな装束の騎士達。
 何を言われても仕方が無い。
 ‥‥けれど。

 『所詮は未開地の野蛮人、こんな事が起きてもなんら不思議は無い』
 ‥‥‥言われて、穏やかでいられる筈がない。
 憎まずにいられる筈がない。
 誰も、平和に暮らしたいだけの者の心など知らず、その存在は否定された。


 今まで過ごして来た、静かな時間。
 平和だった、人々の心。けれど、義父はそれを信じきれなかった。
 全て、一夜の夢と同じだったというのか?
 所詮、叶わぬ理想に過ぎなかったのか?

 ‥‥‥俺が護りたかったものの全ては、幻だったのか?


 自分の中にも暗い憎悪が潜んでいる事を知って、それでもそんなものに支配されて本当に「蛮族」になってしまうのが、嫌だった。

 どれだけ時が経っても、何も変わりはしない。
 なら、一体どうしたらいい?

 抜け出すための、答え。
 まだ、その時は見つける事が出来なかった。


『‥‥‥また、逃げて来たのか?』

 ‥‥‥何度となく家に押し掛けたせいで、ザハに呆れられるのにも慣れた。


『いい加減にしろよ。後で陛下に怒られるのが誰だと思ってるんだ。』

 咎められようと、嫌なものは嫌なのだから、仕方がない。
 拒まれる事が目に見えている見合いの場などに、誰がいたいものか。

 ‥‥‥お前も、一度来てみれば良かったんだ。そうすればわかる。


『どうせ、いずれ嫌でも妃を迎える事になるんだ。少しは愛想良くしてみたらどうだ?』

 愛想を良くしているなどと言うつもりはない。
 ‥‥‥だが、こちらの愛想の無さそれ以上に、相手がこちらを厭う。
 まるで獣でも見るような目をする。そんな人間に気を遣って、なんになる?
 どうせ断られるのはわかりきっているし、そんな窮屈なだけの婚姻なら無い方が楽だ。逃げなくとも最初から結果が同じなら、わざわざ会って無用の苦労をしたくはない。

 ‥‥‥必要無い。


『‥‥‥同郷の娘なら構わないのか?』

 ‥‥‥‥‥。

『どうなんだ。』

 ‥‥‥どこの誰が「死神」の妃になって幸福になれると言うんだ?

『‥‥‥‥。』


 ‥‥‥戦に出て、「狩人」は「魔弾の射手」になる。
 俺は獣ではなく、人を狩る。
 泥と血に塗れる生活に明け暮れる様な男の妃になどなって、一体何処の誰が幸福になれると言うんだ?

『‥‥‥お前はそう言うが、殿下と妃殿下は幸せそうだったじゃないか。違うか?』

 ‥‥‥‥。




 ‥‥‥かつて、たった一度だけ、父が泣くのを見た。
 決して人に弱味を見せなかった男が、一度だけ。息子の前で―――俺の目の前で、涙を見せた。
 母が亡くなった、その晩の事。
 その時だけ―――誰より強かった筈のその男が、どうする事も出来ずに、幼い子供の様に。
 ただ‥‥‥泣いていた。


 やがて、程なく父も、この世を去った。
 なんら変わり無い様子であった父の姿に、誰も不安を抱いてはいなかったのに。

 『出来るだけ 傍についていてやりなさい。』
 父の姿を見た祖父が、何故そんな事を俺に言ったのか、その理由もわからぬうちに。


 ‥‥‥誰もが、信じようとしなかったものだ。人に慕われ、国では誰もが一代の英雄と認めていた男。
 妻を失ったからと言って、後を追ったりはしない。そんな弱い男ではない。後を追った訳ではないのだと、今でもそう思う。
 ‥‥‥けれど、「失った時にその溝を埋める事の出来ないもの」と言うものは、確かに存在するのかも知れなかった。
 そんな事を、その時はまだ知らなかった。あれはただの不注意だったと、そう信じた。

 討ち取った野盗の生き残り、ごろつき程度の男の逆恨みで刺された、などというのは。
 ‥‥‥‥ただ、不運が続いただけの事だと。

 俺は、父が何を得、何を失ったのか、まだ知らなかった。




 

 ‥‥‥お前には、あの二人が絆がどんなものだったのか、わかるとでも言うつもりか?

『‥‥‥。』

 失って、取り返せなくなるものがあったとしても。そんなものを得て、どうなる。
 失う事に怯えるものを手にいれて、どうなる?臆病になるだけだ。
 なくせば、壊れる。

 ‥‥‥最初から無ければいい、そんなものは。

 失い難い「何か」を与えてくれる様な相手を手に入れたとしても。
 自分の事だけでも手一杯だというのに、何もしてやれないのに、哀しませるだけかもしれないのに。
 ‥‥‥傷つける事しか出来ないかもしれないのに、一体どうして幸福になれる?

 俺には、必要無い。

『なら、見つけちまったら、どうするんだ?‥‥‥諦めるか?できると思うのか?‥‥‥いつからそんなに器用になれたのか、教えて欲しいもんだな。』

 ‥‥‥‥。


 逢う筈がない。
 たとえ、どんな頑な価値観さえも変えてしまう様な者が―――いる筈が、ない。―――仮に存在したとしても、結ばれる筈がない。
 ‥‥‥大切に思う様な相手が不幸になるのなら、最初から傍に居ない方が良いに決まっている。

 いずれ何処の誰ともしらぬ娘を妃にする日が来たとしても、それが、「何か」を与えてくれる様な相手の筈はない。
 ‥‥‥所詮、知らぬ者がみれば、ちっぽけな片田舎。辺境の、蛮土としか見られないその土地で、大きな戦がある訳でもなく、時折現れる野盗達や無法者を相手に日々、泥と血にまみれて弓を引き続ける狩人。
 この地に住む者でさえ、恐れる。獣ではなく、人を狩る狩人を。
 そんな者に、きらびやかな城の中で育った気位の高い姫君達が、どうして目をむけるだろう。彼等は俺達を獣と同等にしか思っていない。

 ‥‥‥所詮、俺は人にも獣にもなりきれない。


 逢えやしない。
 ‥‥‥出逢えても、結ばれるはずがない。
 必要無い。




 ‥‥‥何もかも捨てても構わないとすら、思えてくる。
 誓いの言葉さえ忘れそうになる。
 世界の全てが変わってみえる。
 まさか、そんな相手がいたなんて‥‥‥な。
 
 何より大切にしたかった。けれど、何もかも奪ってしまった。
 故郷も、家族も、何もかも。‥‥‥それでも、側にいて欲しかった。
 その言葉一つ、眼差し一つがかけがえのない宝の様に思えて。

 そんな人間に出会えるなんて‥‥‥思いもしなかった。


 
 
 

Continued.



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