‥‥‥数刻後、ジャムカがキラーボウを手に歩いていると、向い側から女が一人、近付いてくるのがみえた。
 よく見知った顔だ。そう、特に「顔が」、である。
 やがて互いがはっきりと確認できる位置までくると、相手の方から話しかけて来た。
「稽古にでも行くのかい?‥‥‥その弓、どうやら調子良さそうだね。」

 女―――ブリギッドの言葉に、ジャムカは自分の手中に僅かに視線を走らせた。鋭く、冷たい印象の暗褐色の弓が、そこには収まっている。
「‥‥‥‥おかげさまで。」
 一言、それだけをジャムカは答えた。この女がキラーボウを直してくれたのだとエーディンに聞いて礼を述べてから、もう随分経っている。

 ―――自分の弓を使い物にならなくしちまうなんて、随分な事をするもんだね、本当に。エーディンが『本当は触らない方がいいのだけど』なんて言ってそれを見せてくれた時は、何事かと思った。―――
 シレジアでの一件の後、礼を述べに訪ねて、ブリギッドにそう問われたものである。エーディンにもまして弓に愛着があるであろう彼女からしてみれば、ジャムカの行為には随分と驚いたに違いない。

 ジャムカに稽古に付き合うかと問われて、ブリギッドは首を横に振った。他に用事があるのだという。
 それなら、と、ジャムカがその場を立ち去ろうとすると、不意に背後から呼び止められた。双子の妹と、同じ造詣を持つ顔。なのに、穏やかな笑顔の似合うエーディンと対象的に、むしろ引き締まった凛とした笑みの方が相応しく思える顔を、今はやや険しいものにして、ブリギッドはジャムカを見据えていた。
 ジャムカが眉を顰める。と、ブリギッドは口を開いた。
「‥‥‥あんたの弓を持ち込んで来た時、エーディンがどんな顔をしていたか。想像できるかい?」
 ジャムカは向き直った。

「大人になってあの子に会えてから、そう長い時間があった訳じゃ無い。けど、あんな辛そうな顔、あたしは見た事がなかった。『触らない方がいいのだけど』なんて言いながら、何も訊かずにこれを直してくれって頼んで来たんだ。私に会うと、いつも嬉しそうに話を聞かせてくれていたばかりのあの子が。‥‥‥ま、実は結局あたしの力じゃ張り直せなかったから、修理屋に持っていったんだけどね。随分強い弓を使ってるんだね‥‥って、そんな事はさておき‥‥‥」
「‥‥‥‥。」
「‥‥‥あんたの事は認めてるつもりだし、あの子が選んだ道だからとやかく言う気はない。けど、それはあの子にあんな顔をさせる様なものなの?‥‥‥優しい子、それに、あんな泣きそうな顔をさせてるのかい?」
 ジャムカは無言でブリギッドを見返した。
 今となっては、たった一人、双子としてエーディンと血を分けた姉。彼女がエーディンをどれほど大切に思っているかよくわかるだけに、その問いかけの真意も伝わって来た。だが、やめる訳にはいかなかった。 ジャムカが自分の道を貫こうとすれば、エーディンがその辛さを泣く事もあった。それも、ジャムカが一時期想いを断ち切ろうとした理由の一つだ。

 ‥‥‥確かに、泣かせてばかりだな。
 ふと、そんな事を思った。自分の為に涙を流してくれる娘に、彼が望むのはそんな悲し気な顔ではなく笑顔だった。なのに、自分の側にいても悲しませるばかりの様な気がしてならなかった。
 いっそ、一緒に居ない方が良かったのだろうか?
 望んで自分についてきたという小鳥は、一時とはいえ飛べなくなった。側にいる事でエーディンが笑顔を失ってしまうとすれば、離れた方がまだましだ‥‥‥‥


「‥‥‥‥言っておくけど。」
 黙り込むジャムカに、ブリギッドはやや仕切り直すように、再び言った。
「エーディンはあんたを選んだ。あんたが自分の道を行くのも承知の上なんだろう。‥‥‥あんたが笑わない限り、あの子も笑わない。‥‥‥あんまり泣かせるような事をしたら、あたしがただじゃおかないからね。」
 きっぱりと、そう告げた。ジャムカが思わずその顔を見返す。
 どうも、ジャムカが考え込む様をみて業を煮やしたものらしい。言葉の内容からすると、励ましてくれているのかもしれないが。

「‥‥‥肝に命じておこう。」
 再び微苦笑を洩らして、ジャムカは答えた。やがて、今度はブリギッドの方から立ち去ろうとしたので、ジャムカが場を後にしようと踵を返しかけた。瞬間、ふりむいて一言声をかけてくる。

「そうだ‥‥‥‥デュ−が昨日からあんたの事を探していたよ。まだ此処に残っていたんだね、あの子。」


「ジャムカ。」
 ジャムカが辺りを見回していると、さがしていた人物が彼の名を呼んで歩み寄って来た。やがて側へやって来た金髪の少年に、自分の方から話し掛ける。
「デュ−。まだ残っていたのか?‥‥‥さっさと行っちまいな。もうお前がうろついていられる様な状況じゃない。」
 咎める様なその口調に、デュ−は怪訝な表情を返した。
「ジャムカまでそんな事を言うんだね。‥‥‥皆、おかしいよ。これが最後のはずなのに、すごくピリピリしてる。」
 ジャムカが意表を突かれた様に、一度、黙り込む。
「‥‥‥すまん。そうだな。だが、お前は本当に出ていった方がいい。皆、生きていられるかどうかも分からないんだ。お前は軍人じゃない。この先へは、ついて来るな。」
 ジャムカが言うと、デュ−は横目で見上げながら尋ねた。
「ジャムカは、どうするの?‥‥‥こう言うのもなんだけど、これ以上付き合う必要は無いはずじゃないか。」
 その言葉に、しかしジャムカは首を横に振った。
「‥‥‥俺にはまだ役目がある。今ここで出ていくわけには行かない。」

 僅かな沈黙の後、やがてデュ−が大きく溜め息をついた。視線をジャムカからそらして、口を開く。
「そう言うとは思ってたけどね。‥‥‥ま、危ない事はしないでよね、『王子様』。」
 やや皮肉っぽく言った。その調子に気付いているのかいないのか、ジャムカから返って来たのは相変わらず生真面目な答えだった。
「俺の事はいい。‥‥‥さっさと行っちまいな。」


 ‥‥‥「王子様」なんて呼ばれるの、嫌がってたのにさ。

 デュ−は、それでも出会った頃から、この男は変わっていない様な気がした。融通が効かない、無器用そのもの。だからこそ、この期に及んで彼はこの場に留まる。それが彼の身を害するような事にならなければいいと、デュ−は心底思った。
 だが、そんな事に、彼が気付く事はないのだろう。
 
『俺の事はいいから』。まだ、そんな事を言ってる。
 エーディンさんでさえ不安になってるのに―――気付いてるの?

 何考えてるのさ。

「‥‥‥オイラさ、ジャムカの事好きだよ。オイラの事馬鹿にする奴はいっぱい居たけど、そんな事一度もなかったし。エーディンさんの事も任せてくれたしね。大した事じゃないのかもしれないけど、嬉しかったよ。」
「‥‥‥‥?」
 デュ−の言葉に、ジャムカは怪訝な顔をした。
「‥‥‥何なんだ?急に。」
 言いたい事が伝わるとは期待していなかったが、やはり、わからないらしい。
 デュ−は言葉を濁した。
「‥‥‥いや、別に。なんとなくね。」


「じゃぁね、ジャムカ。流石に、そろそろ行く事にするよ。‥‥‥『またね』。」
 何か言いた気な顔をしながら、結局デュ−は身体の向きを変え、歩き出した。

 ジャムカが自分の方に視線を向けているのが、気配でわかった。


 
 

Continued.

 キュアン夫妻とトラバントとの戦いの時期は少しずらしてあります。



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こちらの壁紙は宵想庵様からお借りしました。






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