24.浄罪  


 神よ 
 何故 彼はこんな想いをしなければいけないのですか?
 望んだものへの代償は こんなにも深い傷でなければいけないのですか?
 あなたが答えて下さらなくとも 問い掛けずにはいられない
 祈らずにはいられない
 その痛みの報われん事を


 エーディンは、寝台で寝息を立てている夫の顔を眺めていた。
 部屋へ戻ってくるなり横になってしまったジャムカに、エーディンはあちこちについていた傷を治療していたのだが、その間に眠ってしまったらしい。
 また、いつかの様にうなされたりはしないだろうか。そう思ってしばらく様子を見ていたのだが、どうやら深い眠りに落ちて、夢もみていないらしかった。
 疲れていたのだろう。

 エーディンは彼から視線を外すと、それを部屋の中央のテーブルの上に移した。彼女がジャムカを迎えに行く前までそこにあった筈の弓―――弦を切られた、かつては弓であったもの―――は、もうそこには置かれていない。
 ジャムカはその事に気付かなかった様だ。
 ‥‥‥いつも自分の傍らに置いていた弓が消えている事にすら、今の彼は気付かない。


「‥‥‥私と会う前にも、こんな事はあった?」
 眠っている夫に、エーディンは静かに話し掛けた。寝顔にそっと手を触れても、ジャムカは小さな寝息をたてていて、答えてくれる気配は感じられない。
 
 ―――君は平気なんだな。俺の側に居ても―――
 言われた時には聞き流してしまった言葉を、エーディンは思い出した。
 誰かを傷つけた事を、他の誰かに責められて。その人が悲しむのを見て、彼は辛い思いをした事があったのだろうか?


「‥‥‥一人で、哀しまないで。」

 決してあなたの側を離れないから。


「馬鹿だなぁ。言わなきゃ、嫌われずに済んだのに。」

「‥‥‥生憎、黙っていられる程強くはないからな。」
 デューの言葉に、ジャムカはそう答えた。

「相手が傷付かない様気遣って、自分の事も隠して、親も姉も亡くした、それを慰めてやる?‥‥‥そんな器用な真似ができるか。」
 デューは答えず、黙ってジャムカの顔を見返した。ジャムカはデューの方を見てはいなかった。
「‥‥‥知らぬ存ぜぬを通して罪悪感に耐えられる程、俺は強くない。」
 
 デューは肩をすくめて見せた。
「自分で伝えられるくらいなら、充分だと思うけどね。‥‥‥運が悪かったんだよ、お互い。」
 ジャムカが答える。
「『こうなるかもしれない』と気付いた時に別れなかった、俺が悪い。‥‥‥いずれにしろ、もうすぐこの地を離れる。二度と会う事も無い。」
 再び顔を見せたジャムカは、既にいつも通りの無愛想な顔つきをしていて、デューには彼が何を想っているのかを見分ける事は出来そうに無かった。


「‥‥‥やっぱり馬鹿じゃないの?」
 ジャムカが外へ向かって歩き出したので、その背に向かって、デューが気の無さそうな声で言った。
「‥‥‥かもな。あいつにも、悪い事をした。」
 振り向きもせずそう答えて、ジャムカはその場を立ち去った。


 デューは溜め息をついた。
「馬鹿だよね。」


「ねぇ、久しぶり。」

 夕飯の材料を買いに出かけようとしたオーヴに声をかけたのは、見たところ、15、6と言った所の、くせのある金髪を後ろ一つにまとめた少年だった。

 見知った顔だった。初めて会った時、彼と一緒にいた青年よりは、オーヴと歳が近い。その青年の方とは一週間程前に別れてそれきりだった。
 彼を見ると、あの青年を思い出して仕方が無い。
 表情が険悪になるのを自覚する。

 ‥‥‥やがて、彼が一人でない事に気付いた。デュ−の背後に、オーヴの見知らぬ婦人が一人、静かに佇んでいる。
 一瞬、目を奪われずにはいられない程、その婦人は美しかった。透ける様な白い肌に、波がかった輝く金の髪の一部が、身に纏ったローブからこぼれている。しかし、一体何に使うつもりなのだろうか、彼女が手にしているのは真っ赤な木の実を幾つも実らせた、数本の、手折られた木の枝だった。
 オーヴに微笑みを向けている、繊細な造りのその顔は、何故かひどく哀しそうだった。
 一見すると、「変わった組み合わせ」としか言い様のない彼等は、一体何の用があるというのだろう。デュ−の連れであるらしい女性をしばらく見やった後、オーヴは決して好意的とは言えない声で、デュ−に話しかけた。

「‥‥‥何の用?」
「本当は、オイラ一人で話に来るつもりだったんだけどさ。」
 言って、デュ−は背後の婦人にちらと目をやった。オーヴが不審そうに眉を潜めると、「この人、ジャムカの奥さん。」と言って、デュ−はその女性を紹介してくれた。
「エーディンさんって言うんだ。他に行くところもあったし‥‥‥一緒に来るって言うから。」
「‥‥‥‥。」
 故を問い返したそうなオーヴを見て、エーディンと紹介された婦人は前に進みでた。かなりの期間顔を合わせていた筈であったが、あの青年―――ジャムカに妻がいるという話をオーヴは知らなかった。だが、せいぜい二十歳を少し過ぎた辺りだろう彼同様、この婦人も娘と言っても差し支えない程度に若そうだった。
 姉と、同じ程の歳なのではないだろうか?ふと、オーヴはそんな事を考えた。

「お姉様に、お祈りをさせて。‥‥‥あなたは嫌でしょうけれど。」
 エーディンはどこか哀し気な表情はそのままに、「お願い」と言った。オーヴは拒否しようとして口を開いたが、姉の名を出された瞬間、エーディンにその面差しが重なって、言葉が出て来なかった。
 やがて、オーヴは家の裏へ、二人を連れていった。

 両親を亡くしており、姉以外に肉親も無かったオーヴだったが、セイレーンに来てからは、ある婦人と暮らしていた。婦人といっても、オーヴ達の両親の友人であった人であるから、初老にはまだ早いものの、既に年輩の女性であった。病のために夫に先立たれ、子供も居ない。自分も一人暮らしは寂しいし不安だからと、オーヴの姉の頼みを容れて彼を一緒に住まわせてくれている。今後も、その暮らしを続けていくのだろう。
 庭の裏の戸口の雪を退けていた彼女に問い掛けられ、オーヴは自分の後についてきた二人について話した。エーディン達の事を聞いて婦人は少々複雑そうな顔をしたが、他でもない、オーヴ自身が案内してきたという事を思ったのか、何も言わずにエーディンに向けて頭を一つ下げ、何事もなかったかのように再び雪を退け始めた。エーディンも小さく頭を下げ、歩き始めたオーヴの後についていった。
 さほど歩かない内に、小さな塚に辿り着いた。

 広いとは言えない庭の片隅に造られた塚は、おそらくオーヴ自身の手によるものに違いない。上に石がおかれ、そこに小さな紅い安硝子のペンダントが下げてあった。
「‥‥‥姉ちゃんの髪、そこに埋めたんだ。」
 オーヴの言うのを聞いた後、エーディンは塚の前に屈んで、手にしていた赤い実の枝をそこに添えた。どうやら、枝は花の代わりに手向けるものとして持ってきたものらしい。冬のシレジアでは、死者に手向ける花を手に入れる事さえ容易ではない。花の代わりに添えられた木の実の赤い色は、降り積もった雪の上にあって、驚く程鮮やかだった。

 エーディンが手を組み、目を伏せて祈り始めたのを見て、デュ−はオーヴを別の場所に誘った。


「‥‥‥どうせジャムカの事だから、君の姉さんの事、自分がやったって事しか言わなかったんでしょ?」
 家の側に立っている大きな樹の元まで来ると、デュ−は樹の幹に背を預けて、そう言った。
 オーヴが唇を噛んだ。先程と同じ、険悪な視線―――デュ−には、それは怒りの表情というよりもむしろ泣きそうな、拗ねた様な顔に見えた―――を向けて、呟く様に言った。
「‥‥‥何なのさ。さっきの人も、何のつもりだよ。」
 デュ−が困った様な顔をした。やがて、口を開く。
「だって、見てられないよ。‥‥‥オイラにも責任あるし。このままじゃ寝覚めが悪くて仕方ない。」


「‥‥‥何がなんだかわからなかった。」
 オーヴは傍らに石があったのをみつけて、上の雪を払ってその上に座り込んだ。
「何を訊いても、黙ってた。‥‥‥『俺がやった』って言って、それだけ。何を訊いても、何にも言わなくて、無表情で。別人みたいだった。」
 雪の積もった地面に視線を落としたまま、オーヴは続けた。
「弁解も何もしないし。‥‥‥結局わかったのは、姉ちゃんが居なくなった事だけ。帰れなくしたのは、ジャムカさんだって事だけだよ。」
「こんな事言ってもしょうがないとは思うけど‥‥‥何も知らないんだね。」
 デュ−の言葉を聞いて、オーヴが非難がましい視線を向ける。デュ−はその反応を半ば予想していた様で、あまり気にとめた風もなく言葉を続けた。
「ねぇ。ジャムカが君の稽古をする約束をした時、どうして断ろうとしたかわかる?まぁ、あの人の事だから単に面倒だったのかもしれないけど。」
 一息入れて、デュ−は続けた。

「‥‥‥刃物なんて、危ないしね。いつも自分の思う通りになるなんて限らないから。」

 そう言うデュ−の表情は、冷たく、淡々としていた。普段の彼が明るく、むしろ子供っぽさすら感じさせる容貌なので、今の表情は似つかわしくない様にも思えた。しかし、しばらく見ているうちにやがて違う考えが浮かんでくる。
 ―――ひょっとしたら、元々今の様な表情でいる時の方が、多かったのではないだろうか?
 デュ−がスリをしていたと言う話を、オーヴは聞いた事があった。

 オーヴの心の中を読んだかの様に、デュ−は話し始めた。語り出した話を敢えて何者の事か伏せていたのは、余計な感傷に浸らないためか、それとも他の理由があったのか。それはオーヴには計りかねた。
「生まれた場所も覚えてない、一人の子供がいたんだ。親も知らなくて、あちこち転々としながら大きくなっていくうち、何時の間にか彼が落ち着いたのは盗賊稼業。‥‥‥ま、慣れれば気楽なもんではあったみたいだけど。剣は、気付いた頃にはちょっとは扱える様になっていた。子供だからこそ、身を守らなきゃいけなかったから。」
 淡々と、デュ−は話を続けた。
「その子供が、ある時期住みついていた町の、人気のない裏通りで、野盗だかごろつきだかにからまれたんだ。相手は、刃物を持っていた。」


 なにするんだ‥‥‥!
 死にたくない。そう思ってから後は、ほとんど彼の記憶には残っていない。無我夢中になった後、気がついた時に目にしたのは、赤く染まった地面と倒れた相手、それにいつの間にか手にしていた、自分に向けられていた筈のナイフだった。

「それから、彼はその町をでた。その後‥‥‥それまでより、彼の剣技は上達した。一流の剣士なんて言うには程遠いけれど、彼が人を殺さずになんとか生きていけるくらいには、剣を扱える様になった。でも、出来るだけ、剣は抜かない様にした。それとも、抜きたくなかったのかな。よっぽど、自分が危なくならない限りは。」

 ‥‥‥何時の間にか、オーヴの視線からは咎める様な調子がなくなっていた。半ば呆然と、デュ−の方を見つめている。
「しばらく流れてくうちに、ある国のちょっと変わった王子様に会ってさ。それから、助けてもらって、その御礼に盗賊をやめるって言う約束と手助けをした。そして、その人が身を寄せた、ある軍隊について行く事にした。簡単な偵察とか、それに戦闘にも多少参加する様になった。勿論、前線になんか行けないけど。」


 行く先々の戦場は、小競り合い、という規模ではすまなかった。ある者は友人を失い、またある者は兄弟を失い、あるいは自らの命を失う。誰もが仲間と自分の身を守るのに必死で、僅かな油断が死につながる場所。
 血で紅くなった人間ばかりの大地が、目に焼き付く。

「大抵はみんな、仲間と自分の身を守るので精一杯。‥‥‥それが出来ないなら、戦場にはいちゃいけないって。時々、敵味方の区別もつかなくなるんだ。余計な感傷どころか、ほんの少し迷う暇もない。相手と戦いたくなくても、剣をとるしかない人もいた。」
 デュ−の頭の中に浮かんでいたのは、親友と剣を交えなければならなかった、一人の騎士の姿だった。


「‥‥‥仕方ない事だった、って言いたいの?」
 気押された調子ながらも明らかに納得のいかない顔で、オーヴが紅い瞳をデュ−に向ける。デュ−は小さく頭を振った。
「仕方なかったなんて言わないよ。家族を待ってる方にしてみれば、そんなの関係ないもんね。‥‥‥でも、言い訳にもならないとわかってて言うけど、本当の事だよ。誰がそこで、手加減なんか出来る?目の前に剣をつきつけられて。『最初から、関わらなきゃよかった』って、ジャムカはそう言ってた。」


「それで、ここからが『オイラにも責任がある』って言った訳だけど‥‥。」
 悔しさを思い出した様に、デューは僅かに口元を引き結んだ。
「ト−ヴェ軍と戦ってる時、ドジ踏んじゃってさ‥‥‥天馬騎士に後ろから攻撃されそうになったんだけど、オイラ気付かなかったんだ。だから、ジャムカがそれを射落とした。‥‥‥君の姉さんだった。」
 紅い瞳の少年は、驚いた様にデュ−の方を見た。デュ−は彼の方を見ていなかった。
「ジャムカの弓、キラーボウって言うんだって。使う人が使えば、一撃で人を殺せるらしいよ。故郷じゃ一番の弓使いだったって言うし‥‥‥君の姉さんも、助からなかった。」

 

 ‥‥‥オーヴはまた俯いた様だった。一段と沈んだ声が、デュ−の耳に入る。
「‥‥‥なんで何も言ってくれないんだろ。」
 少年の言葉に、デュ−はあっさりと答えた。
「さっきも言ったけど、待ってる方にとっては、そんなの理由にならないもんだよ。理由を話して、それで、君は納得できた?襲って来たのは姉さんの方だって言われて。無理だったと思うよ。余計に嫌な思いをさせたくなかったのかもしれないし‥‥‥それに」
 そこまで言って、溜め息を一つつく。
「それに、仕方が無い事だった、なんてジャムカも言いたくなかったんだと思うよ。経緯は全然違うけど、やっぱり家族をなくしてる人だし、大体、今回の戦にどうしてもでなきゃいけない理由がある訳でもないもの。シグルド公子‥‥‥他人に手を貸してるだけなんだから。」
 その言葉の後、「足、引っ張っちゃったなぁ」と呟いた時、デュ−が一瞬悔やんだ様な顔をした気がした。
「‥‥‥じゃぁ、なんでそんな弓使うのさ。大体、手を貸してるだけなんでしょ?」
 問い詰める様に、強く言い返す。真直ぐに自分を見つめる紅い瞳をちらと見て、デュ−は言葉を返した。
「‥‥『相棒』なんだってさ。あの弓。」
「‥‥‥?」
 オーヴが不審外な眼差しを返した。が、デュ−は彼よりもむしろ更に後ろを見て小さく肩を竦めると、
「弓の国のお姫様に訊いた方がいいんじゃない?」
と言った。
 オーヴが振り返った先には、いつの間にか、エーディンがやって来ていた。


 
 
 

Continued on Page 2. *24章は2ページあります。



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