23.キラーボウ 


 浅ましい人間、卑劣な人間な事を「獣の様だ」という者がいる。

 獣は簡単に同胞を殺したりはしない。
 己の命が危険に晒されるのでなければ。不可侵なものを侵されるのでなければ。
 戦と、謀。些細な事で互いに殺し合う人間と、どちらが真に劣っているのだろう。
 
 獣はより弱い「別の」獣を捕らえ、狩人は獣を狩る。
 ‥‥‥なら、人の姿で人を狩るこの身は、一体何者なのだろう。

 いとも簡単に、人の命を奪う。
 そして、人からは「獣」の様に扱われる。
 人でもなく、獣にもなりきれない。
 死を招く狩人。

 ‥‥‥どう在ろうとも、戦う事をやめる訳にはいかない。逃げ出す訳にはいかない。
 望みの叶う、その日まで。




 ‥‥‥戦いが済んだ後、シグルド軍は傷病兵の休養のため、一度セイレーンに戻ってから再びト−ヴェへと進軍する事を決定した。

 エーディンは治癒の杖を手に、負傷兵の手当てをしながら恋人の姿を探した。
 ジャムカも、さほど深くはないものの、かなり傷を負っていた筈だ。しかし、いくら彼女が辺りを見回しても、それらしい姿は何処にも見えない。
 やがて、彼女の視界に見知った顔が入った。何か深刻そうな面もちでこちらに向かって歩いてくる少年を見て、その手に何か握られているのに気付いた。
 何かの、名簿だろうか。


「デュ−、どうしたの?あなたも傷の手当てをしないと。こっちへ来て。」
 エーディンがライブをかけようと声をかけたが、デュ−は申し出を、もう既に手当ては受けたからと断わった。代わりに彼が聞いたのは、エーディンが探していた相手の行方についてだった。
「ジャムカは‥‥‥さっきから探しているのだけど、姿が見えないわ。あなたは知らないの?」
 そう問い返すと、デュ−は先程から手に持っていた物を、エーディンの前に差し出した。それに目をやって怪訝な顔をみせる彼女に、デュ−は「ト−ヴェの天馬騎士団の名簿だよ」と付け加える。
 彼は降伏した兵士に訪ねて、戦死者の確認をしていたらしい。

 デュ−が名簿を手にしていた訳はわかったが、彼がそんな事をする理由は、エーディンには全く心当たりがない。それに、それがジャムカの行方と一体どう関係があるのか。疑問を抱えたまま、デュ−に促され、戦場から回収された遺体の元へ共に向かう。
 葬られる直前の者達の姿をみて多少気分が沈んだものの、構わず歩いて行くデュ−に遅れないようついて行く。
 やがて、二人は一人の天馬騎士の遺体の前に足を止めた。

 

 天馬騎士は、一般には全て女性である。エーディン達の目の前に横たわっている女騎士は、長く、真直ぐに伸びた淡い色の金髪を持っていた。
 彼女の胸に突き立てられたままの矢は、彼女の見知ったものだった。彼女の恋人であり、自身の故郷では「魔弾の射手」と呼ばれた青年の持つ、死の弓。おそらく、その弓から撃たれたものだろう。
 よく見ると、何故か、騎士の金髪のごく一部が切り取られている。戦場で失ったとも思えない様子であった。誰かが彼女から、遺髪を持ち去ったのだろうか。
 やがて、デュ−がその騎士について話し始めた。


「あれ?ジャムカさん‥‥‥?」
 オーヴがノックされたドアを開けると、見知った筈の青年がそこに立っていた。
 背は高く、褐色の髪に、澄んだ深い瞳。何度も会ってすっかり見慣れている筈の青年の姿が、何故か今は妙に馴染めない。不思議そうに、紅い瞳を青年に向ける。
 青年は先日、戦場に出ていった筈だった。ここに居ると言う事は無事に戻って来たのだろうが、どうも様子が変だった。


 その姿は、目の前に居る青年をオーヴの知っている彼とはまた別人の様に感じさせた。
 身体中あちこちに傷を負い、手当てもせず戦場に居たそのままの姿でやってきた、そんな風合いだった。いくつもの傷の血で、紅く染まった身体。顔を見上げると、頭部に巻かれている白いバンダナにすら紅い色が見える。
 あれは、返り血だろうか。
 冷たい、感情を押し殺したような顔。雪のせいだけではない、凍てつくような空気。その姿に、寒さに慣れている筈の身に、背筋が凍るような悪寒すら覚える。
 ‥‥‥ここにいるのは、一体誰だろう?

 やがて、オーヴの知る褐色の髪と瞳と、同じそれを持った青年が、彼の目の前に何かを差し出す。
 その手に握られていたのは、小さく束ねられた金色の糸―――切り取られた金髪。
 そして、共にあったのは、オーヴ自身も首に提げている小さなペンダントだった。深紅のの硝子玉のはめこまれた、安物の装飾具。青年の手の中にあるそれは、彼がお守りにしているものと同じ、そして彼のたった一人の姉が彼と同じ様にいつも持ち歩いていたものであった。
 何故、ここにあるのか。


 切り取られた金の髪と、そこにあるはずのないペンダント。
 オーヴが思わず言葉を失った時、青年が口を開いた。

「‥‥‥‥俺が、殺したんだ。」


 夫の帰りを待っていたエーディンが、ふとした用事で部屋を空けて戻った時、そこには誰かが部屋に入った様子があった。ジャムカが戻って来たのかと思い、部屋の中を見回すが、探している姿は何処にも見当たらない。
 やがて、彼女は部屋の中央に置かれているテーブルの上に、何か置かれているのに気付いた。

 暗褐色の弓。彼女の夫が持っていたはずのその弓の側には、ナイフが突き立てられている。何故そこに抜き身のナイフがあるかは、すぐにわかった。


 ―――弦を切られた暗い色のその弓―――かつては弓であったものは、もはや武器でも道具でもなく、ただそこにあるだけの「物」となって、冷たいテーブルの上に横たわっていた。


 ‥‥‥‥いつの間にか、雪が降り出していた。

 前日以上に冷え込んだ空気を気に留めもせず、ジャムカはセイレーン城の中庭の、一本の常緑樹の根元にあった石に座り込んでいた。時折舞い込んでくる雪が、彼の肩を濡らしていく。厳しい冬に慣れない身で雪の中に居た為、すっかり手足は冷えきっていた。身を切る様な寒さで、すでに感覚が無い。
 それでも、しばらくそこに居たかった。

 一面灰色と純白とに包まれた宙に視線を移すと、俯いて声も立てずに泣いている少年の姿が浮かびあがる。

 謝る事は出来なかった。
 謝る訳にはいかない。自分で選んだ結果なのだから。

 その事が、余計に痛みを増す。

 

 雪を踏む音が聞こえた。人の気配を感じて、澄んだ瞳をゆっくりとそちらに向ける。
 雪避けにしているのか、フード付きのローブで身体を覆った、哀しそうな眼差しでこちらを見つめている女性の姿が視界に入った。輝く金髪は、フードから出ている僅かな部分だけでも雪の光を反射して、小さく煌めく様に思える。

 ゆっくりと、エーディンは恋人の元へと歩み寄った。身体中あちこちについた傷をみて、杖を持ってくればよかった、と後悔する。しかし、その後悔もやがて新たな悲しみに変わっていった。青年の表情から伝わってくる感情を知って思った。杖があっても、大して意味がなかったのかもしれない。
 たとえ身体の傷を癒しても、その心についた傷まで癒す事は出来ないのだから。


 ‥‥‥どうして、そんな顔をするんだ?
 彼女の哀し気な視線を、ジャムカは受け止めるのでもなく、避けるのでもなく、ただ黙って見つめ返した。やがて、小さな微苦笑を浮かべる。
 デュ−にでも、話を聞いたのだろうか?

 譲れない想いがあった。捨て切れない願いがあった。それ故に手にしたのは、「死の弓」。放たれる矢は、それ一つで命を奪う魔弾‥‥‥。
 覚悟はしていた筈だった。自分を慕ってくれている少年のたった一人の肉身を―――彼自身と同じ様に、自らの信念のために剣をとった女騎士と、あるいは戦わなければいけないこともわかっていた筈だった。
 しかし、どこかでそれを受け入れられない心が残っていて。
 
 彼女一人、命まで奪う必要があったのか?
 戦争を知らない少年に何も伝えず、それを裏切る事にはならなかったか?
 手にしたそれが、あるいは死の弓でなかったなら。

 戦う理由、譲れない信念が互いにある限り、誰かが倒れるのは当然だったのかもしれない。その覚悟があった筈だった。
 しかし、どこかでそれを受け入れられない心があった。
 手にしたそれが、あるいは死の弓でなかったなら‥‥‥

 ‥‥‥だが、命を奪うのは道具ではなく、それを扱う人。
 こうなる事を、知っていた。


 馬鹿馬鹿しい。自嘲の笑みがこぼれた。
 今更、何を躊躇う?
 結局、何度思いを巡らせても、行き着く場所は同じだという事は、ジャムカにもわかっていた。
 自分に望みがあって、それを邪魔するものがあるなら、『彼の弓』でもって射抜く。昔から、そしてこれからも、それは変わらない。
 こうなる事は知っていた。‥‥‥ただ、それを伝えられなかっただけだ。
 純粋に過ぎる真紅の瞳に遭って、ほんの一時、逃げてしまっただけ。


 いつの間にか、エーディンは彼のすぐ背後に立っていた。
 座り込んだまま、上からこちらを覗き込んでいる恋人の顔を見上げる。
「ジャムカ‥‥‥‥‥‥。」
 何事かを言いかけたそのエーディンの声は、名前を呼ばれた所しか聞き取れなかった。それとも、それしか言葉を続けられなかったのかもしれない。
 エーディンが、そっとジャムカの首に手を回して、彼の頭を抱いた。その俯いた時に、一瞬、白い頬に光るものを見た様な気がする。

 ‥‥‥泣いてくれるのか。
 ジャムカは恋人の顔を見つめたまま、微笑んだ。
「‥‥‥大丈夫だ。」
 
 今更、何を躊躇う。
 もう泣くまいと、そう決めた。かつて祖国で一度だけ、耐えきれずに泣いた、その痛みにくらべれば、こんな傷がどれ程のものだというのだろう。
 もう、彼には己の仕業を後悔して泣いていられる様な余裕はない。
 血に染まった手を見て泣くのは、全てが終ってからでいい‥‥‥。

「大丈夫だ。」


 ふと、ジャムカは恋しい故郷を思い浮かべた。たとえ眼前が雪と薄暗い空に覆われていても、また他にどんな美しい光景を目にしたとしても、目を閉じればいつでも、彼は脳裏に新緑を思い描く事が出来る。
 祖国の清澄な湖水は、彼の身体についた泥と血と埃とを洗い流してくれた。生命あふれる草木から生まれた、むせかえる程みずみずしい大気は、彼の身体の血臭と死臭を包み、薄めてくれた。しかし、今、視界いっぱいに広がる白銀は戦場の汚れの何物も消し去ってはくれない。ただ、その冷たさでもって斬り付けてくるだけだった。
 それでも、ジャムカはここにいたかった。

 故郷の木々の深い緑に慣れた目には、あの鮮やかな真紅の輝きが痛かった。だから、今だけでいい。目に焼き付いた紅い色が、雪の白さに癒されるまでの間だけ。

 あの色に、また耐えられる様になるまでの間だけ‥‥‥ここに居たい。

 

 冷えきった空気の中、音も無く降り積もる純白を澄んだ瞳に映しながら、ほんのわずかな間、時が止まった様な気がした。


 
 
 

Continued.



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