22.深紅  


 頭に愛用のバンダナを巻き、矢筒を引っ提げる。手入れをしておいたナイフをとり、皮帯に鞘を提げる。防寒用のマントを羽織って、暗褐色の、鋭く冷たい雰囲気を持つその弓を、彼は手に取った。

 手にした弓を、少しの時間眺める。
 彼が故郷に居た時から手放さず、人に触らせる事も滅多にないそれは、一矢で射止められたものを死の国へと誘う力があった。

 やがて、ジャムカは身支度を整え終えて部屋を出た。



 冷たい冬将軍を迎えたシレジアの大地は、深い雪に覆われていた。故郷では雪を見る事のなかったジャムカには、その肌寒い空気の中はいつまでたっても馴染む事が出来ない。腕から手まで、全ての部分を覆っている手袋の様な防寒具は、セイレーン城でつい購入してしまったものだ。雪を踏む靴の上からも、ひしひしと寒さが伝わってくる。

 周囲に目をやりながら、部隊の様子を確認する。慣れない寒さの中の戦いは、シグルド軍の誰にも辛いものの筈だった。もっとも、普段よりは厚着とは言え、せいぜい薄い布地を何枚か重ね着しただけとも思える格好で、元気に跳ね回っている踊り子の様な強者も居るようではあったが。
 横に並んで歩いていたデュ−が、彼に視線を向けた。デュ−の目に映ったその表情からは、今は何の感情も感じられない。戦場に赴く前の軍人に迷いや戸惑いなど一切の感情は不要なものなのかもしれないのだが、今のデュ−の目にはその無表情が不安なものに映った。
 デュ−は先日ジャムカから聞いた、彼になついている紅い瞳の少年についての話を思い出していた。
 ここ一月程、戦準備等が続いて、ジャムカも彼には会っていない筈だった。

 嫌な予感がした。

 シグルド軍が相手にしようとしているのは、セイレーンに侵攻を始めたマイオス公配下の風使い達と、四天馬騎士の一人ディートバの率いるト−ヴェの天馬騎士団だった。


 風の魔法が、ジャムカのすぐ脇を駆け抜けていった。接近線を避けようとする風使い達の中には前線で武器を振るう騎士や剣士達が切り込んで行き、それを阻もうとする天馬騎士達は彼等の前に更に立ちふさがって、手にした剣や槍を掲げる。味方の魔導士達が彼等を掩護しながら、更に風使い達とも緊迫した魔力比べを繰り広げる。炎の魔法が敵兵士を包み、雷の魔法が敵陣を引き裂いて行く。

 ト−ヴェの風使い達の操る術よりも尚一層鋭利な軌跡を残して駆け抜けて行くのは、シレジア王子、レヴィンの操る風刃の魔法だろうか。その頭上を、彼を守っていた天馬騎士のフュリ−が、敵部隊隊長のディートバに向かって天馬を駆けさせていった。
 激しい戦いの繰り広げられる戦場で、冬のシレジアの白い大地が、血に染まっていった。


 キラーボウから放たれた死の矢が、向かって来た天馬騎士の一人を正確に射抜いた。ジャムカは新たな矢をつがえながら、風使い達が魔法を向けられない様、騎士達をひきつけては打ち落としていた。
 普段なら後方で掩護に徹する一隊も、機動力のあるペガサスと、ある程度遠距離からの攻撃が可能な魔道士達との戦いとあっては、まったく油断する訳にはいかない。普段は護身の為にしか使わないナイフが、今は接近線の苦手な魔道士やプリースト達を掩護する為にかなり有効な武器となっていた。無論、剣の届かない高みからやってくる天馬騎士に対する時には、弓は必須である。
 彼一人なら、風使い達の魔法を避けながら斬り込んでいって反撃しても構わないのだが、後ろにいる者が攻撃に晒されない様、ジャムカはそこを動かなかった。
「エーディン!‥‥‥まだかっ!?」

 ト−ヴェ隊との戦いが始まった日以来、大分時間が経っていた。兵力のさほど多くない彼等を相手に手間取っていたのは、どうやら敵の中にいた司祭らしい男が、風使い達やディートバ隊の天馬騎士を、リブローの杖で掩護していたからのようだ。シグルドはオイフェと相談し、この日一度に片を付けようと、司祭の魔力を封じる作戦をとった。エーディンに眠りの杖を使うよう頼んだのである。
 ジャムカの隙をついて回り込んで来た天馬騎士の一人を、接近戦の向かない彼に代わって、駆け付けたデュ−が風の剣で切り払った。やがて、エーディンの詠唱が止み、最後の呪文がその口から発せられた。
『‥‥‥スリープ』
 杖にはめ込まれた宝玉が強い輝きを発した。

 封じた。光を目にしたシグルド軍の誰もがそう思った時、敵方に動揺が走った。

 しばらくして、彼等が自分達の置かれた状況を理解した時、突然戦況が変わった。深い眠りに落ち、傷を癒してくれるはずの司祭の力を失って、後に引けないと察知したト−ヴェのマージ隊と天馬騎士団が、捨て身の猛攻を始めたのだ。
 シグルド配下の騎士達が必死で彼等を防ぎ、剣士達は当たるを幸いと切り払っていく。


 役目を終えたエーディンは慌てて退いてゆき、ジャムカも支援に徹しようと更に後方にさがり始める。
 すると、ジャムカの視界の端に、魔法剣を片手に風使いの一人を切り裂いたデュ−と、その背後にむかって細身の剣を振り上げた、一人の天馬騎士の姿が飛び込んで来た。
 まずい―――
 ジャムカはとっさに、キラーボウにつがえていた新たな矢を、デュ−の背後に回った天馬騎士に向かって放った。
 手ごたえを感じて、結果を確かめようと相手の姿を改めて見定めた時だった。


 ‥‥‥急に、不吉な感覚が胸の内をよぎった。
 いつかの悪夢が、脳裏に蘇る。


 純白の馬―――天馬。
 騎士から華奢な印象を受けたのは、それが女性であったから。
 薄暗い中閃いた、細身の剣。長い、真直ぐに伸びた、淡い金の髪。
 騎士が、死の矢に射抜かれて、白馬の背から落ちていく。
 その姿を覆い隠す様に、何か白いものが視界を遮る‥‥‥‥。

 天馬の純白の翼から抜け落ちた、数多の羽根に包まれて落下していく騎士。そして、その白い視界の合間を縫う様に飛び込んできたのは、深紅の輝き‥‥‥。
 輝いていたのは、騎士の持つ、深紅の瞳と、襟元から胸当ての上へこぼれた、小さなペンダントの紅い石。

 ジャムカの脳裏で、騎士の顔に見知った少年の面差しが重なった。

 あの騎士は―――


「ごめんジャムカ、助かったよ。」
 異変に気付いたデュ−が駆け寄って礼を言った。
 だが、その言葉はジャムカの耳には入っていない様だった。新たな矢をつがえる事も忘れ、ナイフで敵兵士の攻撃を受け流そうとするその動きにも、明らかにいつもの冴えがない。敵魔導士の一人が放ったエルウィンドの魔法が、彼の左肩を浅く切り裂いた。
 様子がおかしい。そう気付いて、デュ−は思わず叱咤の声をかけた。

「ジャムカ!しっかりしてよ、また敵が来るよ!」
 そう言って、敵兵士と彼との間に割って入り、向かってくる攻撃を受け止める。しかし、その声にも反応は見られず、相変わらず動きは鈍い。「危ないよ!」と何度怒鳴っても、彼に変化はない。

「ねえ!しっかりしてよ、ジャムカってば!」

 致命傷は負わないものの、ジャムカが何らかの理由で大きく戦意を削がれていたのは疑い様がなかった‥‥‥。


 
 
 

Continued.



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