18.シレジアにて 


「ザハ様、手紙が届いたとか。」

 封書を手に執務室へやってきた部下に向かって、ザハは怪訝な顔を見せた。

「『手紙』?珍しいな。何処からだ?」
「ええと‥‥‥‥ジャムカ様の私信だそうですが。」
 不意に上がったその名に一瞬意外そうな顔をして、手紙を受け取る。
 留守を任されている彼の主からの手紙は、今回は公的な連絡や報告の要求ではないらしい。もっとも『私信』とはいえ、内容によっては『公開しろ』と書き添えられているのだろうが。
 
 あの筆無精が「私信」ねぇ。確かこれで二回目だったか‥‥?たしか、前の手紙は‥‥‥

 以前に受け取った事のある知らせを思い出し、思わず苦笑した。
 あの時は、かなりの大事だった。今度は一体何があったと言うのだろうか。

 ザハは手紙の封を切った。


「ジャムカ、また見てるのね。」

 エーディンはくすくすと笑いながら、立ったまま、長いこと揺りかごの中を眺めてばかりの夫に向かって言った。その言葉を聞いて初めて気付いたとでも言う様に、きょとんとした顔でジャムカが振り向いた。

 シレジア王国西部に位置する、セイレーン城。
 オーガヒルの海賊との一戦の後、シグルド達にはあらぬ疑いがかけられ、グランベルから反逆者として負われるはめになった。
 行く当てのなくなったシグルド達に手を差し伸べたのは、北の王国、シレジアだった。王妃ラ−ナの厚意でシレジアの客人として迎え入れられて以来、ラーナはグランベルと交渉を続けながら、彼等にはこの城に滞在するようにすすめたのである。シグルドは、素直にその言葉に従った。
 彼を助けて共に来ていたレンスター王子キュアンとその妻エスリンは、それを機に、新たに軍を率いるために一度国へと戻る事になった。
 親友や妹と再会の誓いを立てて別れた後、シグルドもセイレーンの地で、ようやくわずかな休息の時をとる事が出来る様になった。彼と共にこの地に身を寄せた他の者も、言わばささやかな休日とでも呼べそうな、そんな日々を過ごしている。

 ジャムカ達がいるのは、そのセイレーン城で二人にあてがわれた一室である。


「ん?いや‥‥‥まぁな。」
 ごまかすように苦笑して、言葉を濁す。その言葉で、眠っていた揺りかごの主が目を覚ましてしまったのか、やがてむずがる声が聞こえ出した。エーディンが声の元に歩み寄り、小さなシーツの包みをそっと抱き上げる。
「たまに部屋でゆっくりしてるかと思えば、大抵レスターを眺めてるんだもの。‥‥‥これで何度目かしら?」
 呆れたような事を言ってはいても、エーディンのその言葉に咎め立てする様な響きはない。微笑んで見つめるその眼差しには、暖かさが溢れていた。
「‥‥‥そんなにか?自分じゃ気付かない。」
 そう言うと、ジャムカはエーディンとその抱いている息子の元へ歩み寄った。機嫌を直したらしい赤ん坊の笑顔を覗きこんで、微笑する。眺めているうちに気が安らいで、ジャムカは小さな幸福を噛み締めた。
 片腕で恋人を抱き寄せ、耳元で小さく「ありがとう」と囁く。エーディンはやや驚いた様に顔を上げたが、やがて俯き、頬を仄かに朱く染めて、嬉しそうにジャムカの身体に身を寄せた。
 小さく笑いながら、もう一度ジャムカはエーディンの腕の中の赤ん坊に目をやった。
 視線の先にある彼の息子の髪は、深い藍青の色をしていた。初めて見た時、綺麗な色だ、と、ジャムカはそう思った。人に言えば、「親馬鹿」だと言われるのかもしれない。
 シレジアで、エーディンが、父の訃報と、弟のとった行動とを知ってからというもの、どうもいつも元気が無い様にジャムカには思えた。姉、ブリギッドに遠慮したのだろう、涙を見せようとしない姿が随分と痛々しかったが、婚礼を挙げる事ができ、息子が生まれてからは、また幸福そうに笑顔を見せてくれる様になった。その事も、ジャムカは嬉しかった。

 ‥‥‥様々に想いをめぐらしながら、ジャムカは脈絡もなく、些細な事を口にした。
「やっぱり、母親似だな。」


 レスターに関しては周囲から「母親似だ」と言われる事を、彼は多少気にしているらしかった。
 彼女の母だか、別の親戚であったか‥‥‥ともかくその中に、同じ様な青い髪を持った者がいると言う。少なくとも、ジャムカの親族にそんな人間は居なかった。
 もっとも、そんな彼を励ます様に言うエーディンの言葉と、周囲の評判は一致している。
「でも、目元はあなた似よ。‥‥‥深く澄んだ、湖みたいな茶色の瞳‥‥‥。」

 褐色の瞳を自分に向ける赤児を、エーディンはそっとジャムカの腕に抱かせる。目を覗き込まれ、レスターは父親の顔に手をのばした。自分のそれと比べ、あまりに小さいその手を見てジャムカは自分の指を取らせた。ジャムカの指にじゃれつくレスターを見ながら、エーディンは再び口を開く。
「それにその髪も、間違いなくあなたから受けたものよ、きっと。」
 ジャムカはその言葉に怪訝な顔をする。彼の髪は息子の藍青のそれとは違い、瞳と同じ褐色だ。
「この髪か?‥‥‥どうして俺なんだ?」
 その問いに、エーディンはいつも胸につけていたブローチに手をやりながら、微笑んだ。かつて、出会った頃に彼が贈った、木彫りの青い花。
「だって‥‥‥この花と同じ色でしょう?」


 エーディンの言葉は、明らかにジャムカの意表を突いた様だった。しばらくの間エーディンの顔を不思議そうに眺めた後、ジャムカは再び腕の中の赤ん坊の顔を目をやった。藍青の髪と、深い褐色の瞳‥‥‥。
 ジャムカは苦笑した。
 ‥‥‥どうして、そんな事思い付くんだろうな?
 「まだ見ぬ幸福」。エーディンの胸元を飾るその花の象徴するものが、それだった。


 シレジアへ来て以来、ジャムカ達が属しているシグルド軍の立場とそれがもたらしている情勢は微妙なものであった。シグルドが何度となくグランベルへと送り続けている手紙は、一通の返事もなく闇へと消えている。そしてラ−ナ王妃の厚意の元、彼等が今の立場のままセイレーン城に留まる事は、王妃の立場を悪化させ、現在空白となっている王位を狙う親類達との関係を更に険悪なものにしている。もめ事の種を持ち込むな、と言う所か。あるいは、グランベルから何らかの圧力でもかけられているのだろう。
 しかし、小康状態の中で軍内の恋人たちの多くが挙式を済ませるなど、不安定な中にあっても、彼等は今まで過ごす事の出来なかった穏やかな時をこの地で得ていた。
 戦いの合間に許された、ほんの僅かな一時。

 ヴェルダンに、戻ったら。
 エーディンと息子を連れて、墓参りに行こう。ジャムカはそう思った。
 彼がエーディンを知ったのは、バトゥその人が無くなったその事件の中での皮肉な出会いの中ではある。だが、穏やかであった養父、それに早くに亡くなった両親も、ジャムカが自分の手で得た幸福を喜んでくれるに違いなかったから。
 
「あの花と同じ色か‥‥‥。」
 ジャムカは腕の中の息子に向かって、小さく呟いた。
 彼の故郷にしか咲かないその花に、彼は幼い日に生涯貫く誓いを立てた。
 その心を安らがせる、全ての為にと。

 その青さは、彼にとって全ての安らぎの象徴であった。

 無事に、故郷へ帰る事が出来るのだろうか。
 行く先は見えず、ジャムカも、彼の周りの者も、この先どうなるかは全くわからなかった。それでも、いつか今過ごしているひとときが当たり前のものになる様に、ジャムカは心からそう願った。

 そして、叶うものなら、幼いレスターには、自分が過ごした様な優しい時の中で成長させてやりたかった。
 木漏れ陽の眩しい深い森と、澄んだ水の湖に囲まれた、あの静かな時の中で。

 必ず、叶えたかった。その為に、ジャムカはどんな理不尽な境遇に置かれていても、それを覆す力が欲しいと思った。エーディンやレスターがいる限り、彼はそれを得る事が出来るような気がした。

 ‥‥‥レスターは、いつか望むものを得られるだけの強さを、身につける事ができるだろうか?


「強くなれよ‥‥‥レスター。俺よりも‥‥‥誰よりも。」
 大事なものを守れる様に。不条理な運命すらも、その手で変えられる様に。
 願いを叶えられる様に、強く‥‥‥

「―――強くなれよ。」


「名前はレスター、ね。青い髪に、褐色の瞳‥‥‥と。全く‥‥珍しく私用で手紙なんか書くのかと思えば、唐突な知らせばかりだな。我が主殿は。」
 苦笑して、読み終えたばかりの手紙を再び元の折り目に合わせておく。

 全く、突然な知らせである。余程の大事でもなければ、手紙の類いの苦手な友人にとって筆を取る機会には値しないらしい。そして、以前届いた手紙に書かれていた「大事」は、彼の挙式についてだった。
 どうやら意中の姫君を、彼は射止めたらしい。しかし、彼の幸福を願いながらも、ザハはその結婚を国中に公開するのを多少躊躇ったものだった。

 まぁ、そうなる様にとは望んだが‥‥‥‥‥皮肉なもんだよな。


 ヴェルダンの民にジャムカとグランベルの公国公女エーディンとの結婚を伝えた時それが受け入れられたのは、おそらくシグルド軍が謀反の疑いを本国グランベルにかけられ、更に言うなら指揮官シグルドが清廉、潔白な事を、民が知っていた為だろう。
 シグルド公子がエバンスを離れて以来、「治安の為」と称してやってきた役人達のヴェルダンを見る目からは、蛮族として見下している様がありありと見て取れた。やり方はおざなりどころか、時にはみだりに騒ぎを起こし、いない方がましだと言う声すら聞こえた。そして、明らかにグランベル本国は、ヴェルダンの治安に重きを置いていない。彼等にとっては、『辺境の小国の統治』は取るに足らない事なのか。
 こちらに非があったのは確かだが、何ら罪を犯した訳でも無い民に至るまで、何故この様な扱いをうけねばならないのか。争乱を起こしたのは、あくまでもかつての国王とその側近、軍人達である。何故、平和な暮らしを乱されたばかりの民を、慈しんでやらないのか。

 無論全ての人間がそうではないとはいえ、本来、全く違う文化の元に育った民衆である。僅かな、善意でももってヴェルダンに接しようとする者達にしても、ザハ達にとってはさほどの救いにはならなかった。
 また、全くこの国を理解しようとしない者の「善意」もある。自分の国の文化こそが優れていると思い込み、それを押し付ける事がヴェルダンの復興につながると考える。それは、ある意味では悪意を持つ者ややる気のない役人よりも遥かにたちが悪い。
 彼等は決して自分達の傲慢さに気付く事はない。
 ‥‥‥個人的に好意を抱ける者もいない訳ではないものの、ザハはやはり彼等を好きになれそうになかった。かつてエーディンと話をしていた時でさえ、つい皮肉の一つも口にしてしまったものだ。

 もちろん、偏見の塊の様な役人達が起こすいざこざを無視する事は出来ず、問題の起こる度に、ザハはグランベルにそう言った者の罷免を要求している。彼等は治安の為に来ているのだから、こういった要求はしごく当然のものだ。少なくとも、表向きは。
 だが、そんな要求に対するグランベルの態度は無関心そのものだった。時折ザハは、彼等がわざわざ問題のある人間を選んで送りつけてくるのではないかと疑いたくなる事がある。文句を言っても、原因となる者の固有名詞が違うだけで、起きる問題は大差がない。何度不満を突き付けられても、ただただ無意味に役人を取り替える以外の対応をとらないというのは、完全な無関心によるものに他ならない。
 彼等には「治安」などという目的などない。ただ、自分達の優位を明確にし、ヴェルダンが『属国である』と示したいだけだ。属国扱いとは言え、本当にヴェルダンの治安を望むなら、派遣するのは最低数の監査のみにとどめ、役人達を撤収させる事だろう。彼等が居ない方が、よほど各地の警備も民心の安定も成しやすい‥‥‥

「‥‥‥掲げている綺麗事全てが本気だなんて最初から期待しちゃいないが、せめて俺達の事に口を出さないで欲しいもんだ。」

 当初は悪政が正されると喜んでいた者達も、度重なるもめ事に、我慢のならない事が増えたようだ。場合によっては、エーディンが受け入れられる事はなかったに違いない。
 ヴェルダンは極めて不安定な状態にあった。今ジャムカに万が一の事があれば、この国にとっては致命的にな事になる。シグルドが潔白だろうことはザハも感じていたが、考えてみれば、彼の疑いのとばっちりを受けてしまってはたまったものではない。加えて言えば、エーディンの存在も同じ点から見れば決して好ましいものではないのだ。今では、彼女も「反逆者」である。彼女の夫ともなれば、もしかしたら、どんな言い掛かりをつけられるかもわからない。
 そもそも、ジャムカが国に居ない事が問題でもある。彼はかつての戦いの際にグランベルに協力しているし、グランベルがあくまで正当な行動をとったと各国に主張するなら、友好を主張する彼の存在は邪険には扱えまい。無論、その場合ジャムカは野心家達には目障りには思われ、その一挙一動には何かと批評を加えられる事になる。針の筵の上にいる様なものだろうが、かつての王の嫡子としては当然強いられる立場であるし、彼の責任感からすれば、そんな事に耐えるのは大した事ではない。
 本人も、国に居ない事を気にはしているだろうし、それ以上に、戻りたいに違いなかった。どこにいても、長期滞在した場所からは伝書鳥による手紙でその居場所を伝えていたし、度々ザハに報告を返させている。「私信」と銘打ったこの手紙にしても例外ではない。どこに居ても、気になって仕方が無いのだろう。
 おそらく、「最善の策」は、ジャムカが「一人で」帰国する事なのだろう。ザハにも、当然それはわかっている。
 ‥‥‥理屈だけ並べれば、そうなるのだが。

 晴れて一緒になれたってのに、「女と別れてさっさと帰ってこい」なんて言えないよな。
 内心で呟いて、ザハは苦笑した。


「‥‥‥皆に知らせてやってくれ。世継ぎが生まれたってさ。」
 まるで「飼い犬に餌をやっておいてくれ」とでも言う様な軽い口調と、その内容との落差に、手紙を持って来た部下はすぐに返事が出来なかったようだ。呆然とする間に「見ればわかるさ」と手紙を放り投げられ、慌ててそれを受け止める。中身に目を通し始めた相手に向かって、ザハは軽い調子で言葉を続ける。
「どうせ皆、憂さが貯まってるだろうからな。‥‥‥良い知らせでも聞けば、少しは気が晴れるだろ?」
 
 慌てて去っていく後姿を見送り、やがて再び執務室に一人になると、ザハは紙の上にペンを走らせた。脳裏に浮かんだのは、戸惑った様な表情をしながら、それでも嬉しそうに、小さな赤児を危なっかしい手つきで抱いている、友人の顔。
「‥‥‥全く。どうしてこう、世話の焼ける奴ばかりなんだか。」
 やがて、ペンを置いて、手紙を読み返す。短い文章だ。だが敢えて直す必要も感じなかったため、それをそのまま届ける事にした。

 ‥‥‥‥この時の彼の選択は、その立場からいけば、間違っていたのかもしれない。
 些か甘い考えだと言う事を自覚していた以上、それを正さなかったのは誤りだったのだろうか?

 「すぐに戻れ」と、そう伝えるべきだったには違いない。‥‥‥だが、故郷を遠く離れた地での事とはいえ、何ら制約を受ける事なく、それまでにない幸福を受けている筈の友人の事を考えると、そこから彼を引き離す様な事をザハが言える筈が無かった。何より、おそらくその姿には、何の偽りも潜んでいないと思えたために、尚更の事‥‥‥。


『こっちの事は任せておけ、心配いらない。そんなに気になる様なら―――面倒事はさっさと片付けて、大事なものを連れて帰ってくるんだな。』 


 

 

Continued on Chapter 3.



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インク壷のカットはアルカディアの扉様からお借りしました。






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