16.霧中  


 数カ月後、シャガールは再び蜂起した。それに付き従ったエルトシャンと相対するシグルド、双方の願いも空しく、シグルド軍は望まぬ戦いを強いられる事になった。

 戦を鎮めたいとは望むものの、アグスティの王の命に逆らう事がどうしても出来なかったエルトシャンは、クロスナイツを率いて出陣後、妹ラケシスの決死の説得によってシャガールの元へ諌めに戻り、その怒りに触れて無惨に命を奪われた。
 友の死を嘆く暇もなく、トラキアの竜騎士団の介入もあり苦戦しながらも、シグルドはシャガールを討ち取った。しかし、獅子王と呼ばれた聡明な若者の死に、戦争が一段落ついた後も、アグストリアには重苦しい空気が漂っていた。
 心身共に疲れ果てていたシグルドの元に、再び凶報が届いた。
 彼の最愛の妻、ディアドラが、その消息を断ったと言う‥‥‥。

 立て続けの悲しい出来事にあいながらその身を休める間もなく、シグルド達は次の行動に急き立てられた。
 一通りの事後処理も終えた頃、オーガヒルの海賊達が、アグストリアの国内が不安定な所を狙って、近隣の村に略奪に走ったと言う。シグルド達は、マディノへと向かうしかなかった。
 マディノの守備と援軍に向かうのに、アグストリア随一の騎士団と呼ばれたクロスナイツとの戦いで傷付いた部隊で向かうのは不安があった。一刻も早くの出撃を望みたい所であったため、傷を癒す力を持ったプリーストなどは、連日、目の回るような忙しさに追われていた。

 

 ジャムカは城の裏手の土手に座り、白霧を何をするのでもなく見つめていた。晴れ上がっていれば、アグストリアの誇る美しい海岸が見えたかもしれない。しかし、その日は真昼から深い霧がアグストリアの北部を覆い、すぐ先を見通す事すら出来そうにはなかった。
 こんな日和に城の裏手などにやってきた事も、馬鹿馬鹿しいと言われれば、全くそうかもしれない。彼がここに来たのは、今彼の肩にもたれて寝息をたてている金の髪のプリーストが、ゆっくりと休める場所を探し出した結果だった。
 エーディンの着ている服は、簡易法衣とも呼べそうな、袖や裾に、目立たない程度に銀糸の刺繍の施された活動的な純白の布の服である。しかしその服も、今は血と戦場の泥にまみれ、元の白い輝きをほとんど失っていた。ほんの数時間前まで、今だ傷の癒えぬ兵士たちの治療に駆けずり回っていたのだろう。しかし、その身がどんなに土や血の汚れに塗れても、エーディン自身の美しさは少しも損なわれた所がない様だった。
 ジャムカは彼女の寝顔を少しの間眺めていたが、やがて再び視線を前方の霧の中へと向けた。


 何かが狂ってる。
 嫌な感覚がまとわりついて離れなかった。

 シグルドがこの国にやってきたのは、アグストリアの侵攻の阻止、そしてノディオン王エルトシャンの解放が目的だったはずだった。彼はグランベルに使いをだし、出兵の許可を得、そしてアグスティへと兵を進めた。
 その目的の果たされたとき、すぐに王都は解放すべきだったのだろう。グランベルが、あくまでそれまでの様な関係を求めると言うのであれば。
 王都が長く占領されれば、たとえその野心の酬いであるとしても、シャガールをむやみに刺激してしまう。しかし、シグルドの意見に、グランベル本国は耳を傾けようとはしなかった。
 やがて、シャガールは蜂起した。結果は、グランベルによるアグストリアの蹂躙であった。

 力だけで屈服しようとしても、自尊心の高いアグストリアの諸公が容易に納得するはずがない事くらい、わかるだろうに‥‥‥。

 イザ−クの件といい、祖国ヴェルダンの事といい、不審な影が付きまとっている感があった。
 まるで、相手が手を出してくるのを虎視眈々と待ちながら、勢力を広げていこうとしている様な、そんな言動がグランベルには多い様に思える。本当に争いを望まないのであれば、回避する手段はいくらでも、とまではいかずとも、皆無ではなかった筈だ。人材の豊富な彼の国に、それが為し得ない訳がない。
 しかし、イザ−クに至っては、諍いを起こした事を謝罪するために訪れた国王が、謀殺されたと言う話すらある。

 嫌な感覚。それは、彼がかつて感じた程はっきりとしていないが、それに酷似したものだった。形が見えない分、その不吉さを更に増した様にも思える。
 裏面に何かあるともわからないのに、確かに感じる悪意の様なもの。その事を考えるだけで、ジャムカは胸が悪くなった。

 

 獅子王とよばれたアグストリアの一人の青年―――シグルドは旧友を失った。そして長期に渡った戦いの中、彼は最愛の妻さえも何者かに奪われた。
 何故、彼がこんな目に遭わなければいけないのだろう。一体いつからであっただろうか。清廉で勇敢なあの騎士が、これほどまでに先行きの見えない戦いの道に迷い込んでいったのは。
 端から見れば不器用にも思える程潔癖な彼の歩んでいる道は、いつからこんなに深い霧に閉ざされる様になったのだろうか。
 彼と共に戦場を渡り歩く者達の向かう先は濃霧に包まれ、その霧が晴れた時、先に見えているものは何なのか―――


 ジャムカは再びエーディンの方を眺めやった。落ちかかる金髪をかきあげ、顔からどけてやる。疲れのたまっている彼女は一向に目を覚ます気配がなく、規則正しい寝息を立てていた。
 自分が選んだ道も、同じ様に深い霧に閉ざされたものかもしれない。霧の中にあるのは、鋭い棘を持った茨に覆われた道なのかもしれない。
 
 ここで国に戻ろうとは考えていなかった。シグルドの行く先、裏面にあるものを見届けなけなければ、彼は帰ろうと言う気にはなれない。あの青年は、ジャムカに確かな信頼を見せてくれたのだから。動乱は、彼の愛した故郷から始まったから。裏にあるものを見定めなければ、いつまた同じ策謀が巡らされるとも知れないから。
 しかし、それを見届けたとしても、彼には面倒ごとが幾つも待っているはずだった。
 グランベルからの内政干渉を断ち切り、彼等の自分達に対する見方を変えさせなければならない。失った信頼を、もう一度、より確かなものとして創り出さなければいけない。
 そして何より、ヴェルダンの民に―――ジャムカ自身にも確かに根強く存在していた、他国の人間との長く続いた隔絶を排除する事―――


 おかしなもんだな。‥‥‥ほんの、些細な歪みだった筈なのに。
 いつの間にか、入り組んだ迷い道になってしまっていた。

 出口は、見つかるのか?


 理想は何よりも美しく、遠いものだった。彼の行く先にも確かに仲間達と同じ深い霧はかかっており、それが晴れてすら彼の理想が叶えられるかは全くわからない。
 しかし、彼の想いが変わる事はなかった。

 たとえ選んだ道がそれまで以上に厳しく、困難なものであったとしても、彼は諦める訳には行かなかった。二度と同じ過ちをくり返さないために。故郷の平穏が失われる事のない様に。今度こそ、互いが信じあえる様に。
 彼が得た安らぎを、心優しきプリーストの笑顔を失わないために‥‥‥。

 

 ‥‥‥祈りたくなるというのは、こんな時だろうか?

 ジャムカの故郷ヴェルダンでは一人の「神」を崇める様な宗教はあまり一般的なものではなく、深い森と澄んだ湖に囲まれてそだった民は、その自然そのものに対する畏敬の念を、精霊を奉る事によって信仰としている。そんな中で生まれ育ったジャムカにとっても、やはり自然の恵みと精霊達の声こそが近しいものであり、何かに願いを託して祈るという行為は通じるはずのないものだと感じられていた。

 祈りなど、意味のない事だと思っていた。
 彼女に出会うまでは。

 ジャムカは目を伏せた。
 気が向いた以上のものでもなかったので、それ以上の事、手を組んだりなどの仕種まで真似ようとは流石に思わなかったのだが。


 願わくは、目の前に立ちこめる不吉な霧の晴れん事を。
 全ての不条理を問いただす力を、懸命に生きる者達の行く先に相応しい幸を‥‥‥
 どうか‥‥‥。


 
 
 

Continued.



前のページへ
小説のページへ





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送