15.狩人 


 意識を回復してから数日後。
 目を覚ました時、見回した室内に人の気配は感じられなかった。
 ジャムカは窓に目をやった。部屋に差し込む日の光をみて、昼前辺りかと見当をつける。
 やがて意識がはっきりしてくると、今まで臥せっていたせいか、無性に歩きたくなった。
 多少は動ける様になっただろうか‥‥‥そんな事を考えながら、自分の額に手をやる。先日の様に、起き上がろうとする度に頭痛がするのでは、歩く事もろくに出来ない。しばらくは大人しく寝ていたのだが、食事はとれるようになったのだし、貧血気味なのはわずかでも解消されているはずだ。
 ジャムカはゆっくりとベッドから起き上がり、側にあった服を身に付けて部屋を出た。
 
 起き上がる事が出来たはいいものの、どこへ向かう宛てがあったわけではない。たまたま人の通りがなかったらしく、誰に会う事もなかった。そのせいで、かえって行く先が定まらなくなってしまう。 さて、どうしたものか。考えるうちに、ふと、デュ−に言われた言葉を思い出した。
 
 流石に疲れてたみたいだけど‥‥‥
 エーディンさん、泣いてたよ?

「‥‥‥‥。」
 とりあえずは、ジャムカは城壁の上で風に当たる事にした。


 外は、良い風が吹いていた。
 よく晴れていて、以前にも眺めていたような、アグストリアの美しい景色を望む事が出来た。草原に、合間に見える小さな教会。点在する森。外にいるものにとっては、この城すら景観の一部として違和感なく溶け込んで見えているのだろう。
 きれいな所だ。
 ジャムカは思った。この国以外にも、地方特有の美しい景色を持った所は沢山あるのだろうとも。
 だが、彼にとって「一番綺麗な場所」は、ただ一つなのだという事も、またわかりきっていた。

 所詮は、「よそもの」なんだろうな。
 ジャムカは心の中で呟いた。

 彼は自分の故郷が好きだった。
 単に「好き」であるだけではなく、彼にとって必要不可欠なものだった。彼が生涯を捧げるとすれば故郷以外にはなく、それを失ってしまうのは、彼が彼自身を失うのと同じだった。祖国の守り人である事が、彼の信じる己の存在意義だった。
 ある種の縛の様なものかも知れない。ジャムカが祖国に望みを残している限り、彼は決してそこを離れては生きていけない。今でも、彼は「死ぬのなら故郷がいい」と思っている。

 何より、故郷以外の場所で、本当に「彼らしく」在るのは不可能だった。これは、かつて随分とそりの会わなかった二人の義兄、それに義父にも共通した感覚があったかもしれない。彼等が他所に対してどんな感情を持っていたとしても、本当に安らぐ場所があるとするならば、祖国ヴェルダンに他ならないだろうと。
 元々他のどの国とも起源を異にする彼等は、故郷での全てを捨去れない限り、どこへ行っても「異邦人」なのかもしれなかった。ジャムカがヴェルダン以外の場所で暮らしていける日がくるとすれば、ヴェルダンが彼無しでも、彼の望み、かつて彼が見た静かな時を刻める様になった場合、それを除いては無かった。

 身勝手な生き方をしていると思う。自分がかつて何より尊いと思った時間、それだけの為に彼は生きていた。彼を慕ってくれるもの、支えてくれるもの、彼等に対して何一つジャムカは応えてやるものを持たなかった。自分の生き方を変えない、ただそれ以外には。
 他人に打ち解ける事に、臆病になっていただろうか。昔から、浮いた噂は見られなかった。自分で女性を遠ざける癖があったのかもしれない。何もしてやれる事など無いのだからと。時に小競り合いを鎮めに繰り出しては、他の誰よりも人を殺めて戻ってくる。いつか、幼い頃死んだ彼の父の様に、恨みを持った人間が命を奪いに来るとも知れないのに。 血を浴び、泥に塗れるのは自分一人で充分だと、そう決めている彼が、一体どうして一人の女性にしてやれる事があるのか。
 仮に心惹かれる娘が現れたとしても、そんな事で相手の負担になるしかないのなら、近付かないのが一番だと。
 ‥‥‥そんな事を思えたのは、自分の内に潜んだ気性を甘く見ていたからだったのかもしれない。

 何を捨てても構わない。奪ってでも欲しいと。
 そんな事を思う日が来るとは思いもしなかったからだった。


「‥‥‥‥。」
 ジャムカは何かを決めたように、城の中へ向かって歩き出した。。

 どうせ身勝手にしか生きられないなら。
 彼の勝手を受け入れてくれるかどうか、それは「彼女」に決めさせればいい。

 今、彼にとって耐えられない事があるとすれば、「彼女」が笑ってくれなくなる事だけだった。


 町の喧噪が耳に飛び込んでくる。それらを振り切ろうとする様に頭上を見上げると、抜けるような青空の中を澄み切った風が吹き抜けていた。降り注ぐ、強い日射しが目に眩しい。やがて、再び視線を足元に落とした。

 アゼルは、アグスティの城下町に居た。

 レックスが城を出たかったらしい―――付き合って、外出したのである。すぐ横には、郡青の髪をもつ彼の親友が肩を並べて歩いている。
 もっとも、大した用事はなくとも、どこかゆっくりと散歩などしたい気分ではあった。先日の王都近衛隊との戦いの事後処理で、城ではあまりのんびりはしていられない。レックスは当然の様に自分の時間を優先、つまりさぼっているのだが、その行動に、どちらかと言えば真面目なアゼルが付き合おうと言うのも珍しい事ではある。
 レックスも、その事実に多少の不信感を抱いたようだ。
「‥‥‥なぁ。アゼル。」
 友人の声を聞きながら、アゼルは足を止めず先へと進んでいく。返事が返って来ないかと思い、レックスが次の言葉を探し始めた時、アゼルは口を開いた。
「何だか‥‥‥もう何も言えなくなっちゃって。」
 視線を足元に固定したまま、独り言でも呟くかの様に言う。


 王都近衛騎士部隊との戦いの時、乱戦の中で敵兵の槍に狙われたエーディンの前に飛び出した青年の姿を、偶然にアゼルは見ていた。苦戦しながらも、何とか決着がついてから城へ様子を見に行くと、エーディンは彼を必死に看病していた。青年は、生死の境を彷徨っていたと言う‥‥‥。


 エーディン、泣いてたな‥‥‥‥。
 かける言葉もみつからず、アゼル達は先に占領したアグスティへと移動した。エーディン達はジャムカを含めた負傷者が動ける様になるまで、マッキリ−城にとどまる事になっている。
 おそらく次に会う時には、彼女の側にもう自分の居場所はないだろう‥‥‥アゼルはそう思っていた。

「‥‥‥何も言えないよ。」
 レックスは歩きながら、黙ってアゼルの言葉を聞いていた。
「本当に、好きだったんだけどね。‥‥‥気付いたら、いつの間にか自分で距離をとっていたのかもしれない。」
 ユングヴィが襲われたと聞いて、居ても立ってもいられずに、兄の許可も得ず城を飛び出した。アゼル自身も、あの時は無我夢中だった様に思う。
 しかし、あまりに彼女の存在を眩しく思うせいか、何処かに自分自身が生んだ隔たりができていたのだろうか。
 女神でも見るかの様な視線で、彼女を見ていたかもしれない‥‥‥。


「ずっと‥‥‥憧れてたんだけどね。好きだった。けど‥‥‥」
 それが憧れだったからこそ、それ以上踏み出そうとしなかった。
 綺麗な人。自分の目には美しく見え過ぎて。

 レックスが突然立ち止まった。
 訝し気にアゼルも足を止め、振り返って友人の顔を見やる。と、訪ねるより先に相手の方が口を開いた。
「飲みにでも行くか。」
「‥‥‥飲みにって‥‥‥今から?」
 まだ昼なのに‥‥‥。そう呆れた様な声を向けられても、レックスは無邪気な笑みを浮かべるだけだ。
 気を遣ってくれているのだろうか。

 ―――なんとなく、気の良い親友が居てくれた事に、アゼルは感謝したい気分だった。
「‥‥‥そうだね。行ってみようか?」

 思わずつられて笑い出しそうに―――泣き出しそうになりながら、アゼルは頷いた。


 マッキリ−城は、先日までより人が少なくなったためか、どことなく閑散として、以前より広く感じられた。シグルド達はアグスティへと軍の多くを移動させているので、この城にいるのは負傷兵の多くと、グランベルから治安のためにやってきた役人達である。
 以前より少々活気がなくなった城内を、ミデェ−ルは歩いていた。


 ミデェ−ルは先日から、王都へと出立する準備を整えている最中であった。
 目を覚ましたらしい「彼」が動ける様になるのに、そう長くかかったりもしないだろう。近日中の出発を見込んで、さほど多くはない残留の部隊に、ゆっくりと用意をすすめるよう伝え、彼自身の主にもその事を言っておこうと、部屋へ足を進めていた。
 疲れていた様子であったため、慌ただしい出立の報告をするのも多少気が引けた。部屋で休んでいたりしなければ良いが、と少し気弱に考える。流石に疲れている主が休息をとっているなかに、「既に出立の準備を始めさせていますから、そのつもりで」とは言えない。

 しかし、今は何かをしていないと気が紛れない。


 ‥‥‥あんなに取り乱したあの方を見たのは初めてだ。
 ミデェ−ルは胸中で呟いた。

 城が落とされ、捕虜となってユングヴィを後にする時でさえ、エーディンはその凛とした態度を崩さなかった。瀕死の傷を負い、意識はおぼろではあったが、彼女が立ち去る姿だけははっきりと覚えている。それは、彼が惹かれていたエーディンそのものの姿であったから。
 守られたのは、自分の方だった。そして、今度こそは命懸けででも守ろうと思っていたのに。
 彼が仕えたその女性は、美しく、気高く、そして時には凛々しくさえ見える姫だった。しかし、そんな彼女が、自分を庇って倒れたある青年のために取り乱し、泣いていた。
 必死に励まし、助かるとは言ったものの、正直さほど彼女に意味のある言葉をかけてやる事が出来たとは思っていない。

 青年の話をするとき、エーディンの表情はどこか違って見えた様にも思う。普段のミデェ−ルが見て来た様な気高さや強さは感じられず、感じたのはむしろどこにでもいる少女の様な弱さや、健気さ、儚さだった。むしろ、それこそが彼女の強さの元だったのではないかと、今ではそう思う。公女たる娘の、自分の弱さを支える為の強さ、人の寄せる信頼や期待を裏切らずにいるための気高さだったのではないかと。かつて自分の半身の様な姉を失った、たった一人きりの娘には、他にどうしようもなかったのではないか。
 やりきれなさが募り、青年の言葉を思い出す。
「もう少し気を配っておくんだな」

 間違っていたのだろうか。
 その娘を手の届かないものの様に思い、近付こうとはしなかった。近付けば、手に入る筈がないと思いながら、余計に惹かれてしまうに違いなかった。
 誰よりも、側にいたのに。気付く事が出来た筈なのに。

 彼女を夜空の月の様に思っていた。
 どれ程欲しても、どんなに近く見えても、そこに手は届かない。そう信じていた。

 しかし、淡い金色の光を放つ月を夜空から射落としてしまったのは、褐色の髪と瞳を持った一人の狩人だった。


 
 
 

Continued on Page 2. *15章は2ページあります



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