13.聖弓 


 グランベルによるヴェルダン王国制圧は、グランベルの西、ヴェルダン北方に位置するアグストリア諸国連合にも波紋を広げた。アグストリアの諸公が、グランベルに対して危機感を抱いたのだ。
 そんな中、和平を主張し、反グランベル派を退けていたアグストリア王イムカが、突然何者かに暗殺された。
 彼に代わって王位についた長子シャガールは、平和とは無縁の主張を受け入れた。
 対グランベルを掲げ、ヴェルダンへの侵攻の命を諸公に下したのだ。

 この事態に、諸国連合が一、ノディオン王国の主エルトシャンは、シャガールを諌める為に王都へと赴いた。しかしそれも空しく、諌めはシャガールの怒りに触れ、エルトシャンは城に幽閉される身となった。主の不在となったノディオンへは、かねてからその妹姫に興味を示し、何度となく近付いては彼女にすげなくあしらわれていた、隣国ハイラインのエリオットが騎士団を率いて攻め込んでいったという。

 エルトシャンの旧友でもあったシグルドは、彼の妹、ラケシス王女の救援の為に彼の地に赴き、ハイライン、アンフォニ−、マッキリ−の三城を制圧するに至った。しかし、囚われの身となったエルトシャンは、以前王都の獄中にある。友の虜囚の身からの解放を求め、シグルドはそのまま現国王シャガールの元へ軍を進めていた。
 剣闘士ホリンや傭兵ベオウルフ、踊り子のシルヴィアに吟遊詩人のレヴィン、さらにシレジアの天馬騎士フュリ−を仲間に加えて(その話によるとレヴィンはシレジアの王子で、彼女は彼を探してやって来たのだと言う)、シグルド軍のその軍様は、当初に比べかなり充実したものとなっていた。


「よ、アゼル。」
 軽い口調で話し掛けられて、彼は振り替えった。視線の先に居るのは、確かめるまでもない、彼の『親友』である。何か良いことでもあったのか、やけに機嫌が良い。
「‥‥‥レックス、どうかしたの?」
 なんとなく聞き返してしまった。勿論ちゃんと答えてくれる事をあまり期待していなかったが、アゼルには彼の上機嫌の理由がなんとなくわかっていた。そして、わざわざ話し掛けて来たのは、おそらく自分をからかうためだろう、とも。
 レックスの方は「別にからかってなんかいない」と主張するが、真面目に心配してくれているにしろそうでないにしろ、アゼルは結局最後に「からかわれてる」と思わざるを得なくなる。

 まぁ、僕の事を考えてくれてるのは本当なんだろうけどね。
 
 そんな事を考えていると、案の定レックスは「彼女」の話を切り出した。アゼルの質問は無視した‥‥‥というより、聞いていなかったらしい。それとも、ひょっとしたら「どうしたの?」という言葉を、自分の様子を訪ねられたものと介さなかったのかもしれない。
「で?あれから進展はあったのか?」

 やっぱりなぁ‥‥‥。
 内心苦笑する。最近はアゼルも、「彼女」の事をレックスに隠し立てしない様になっていた。一人思い悩むよりは、からかわれてしまうにしても彼に聞いていてもらう方が、気は楽だ。
「‥‥‥特に、何も。」

 アゼルと「彼女」の間に、おそらくレックスが期待している様な特別な事は何も無かった。
 想い人であるその女性とは、同じ城内にいるためか、確かに以前よりはるかに話す機会は増えていたし、彼から積極的に話し掛けてもいた。しかし、彼自身の性格のせいか、いま一つ思い切って踏み出す事が出来ない、そんな状況である。
 あの人は、僕には眩しすぎるのかもしれない‥‥‥。
 
 「何も」と言ったのを聞いて、レックスが呆れた様な顔を見せた。そんな事じゃ駄目だと言う風な事を、まくしたてる様に喋り出す。その内容も何度も聞かされていた様な気がしていたので、アゼルは苦笑して聞き流していた。
「今のままじゃ駄目なんだろうなって言うのはわかってるけどね‥‥‥」

 

 「彼女」に想いを寄せる男が、自分の他にも多数いる事をアゼルは知っていた。しかし、その数多の視線の中に2つ、どこか他とは違うものがあった。恋のためだけに想い悩むのではない、何か別の苦しさを感じさせる二人の青年の視線。

 自分の思いが他の男のものより浅いものだとは思っていない。だが、焦がれた姫は既に晒されていた危険から抜け出しており、今では明るく笑う姿も見られる。
 彼女が無事なら。幸福でいてくれるのならそれでいいのではないかと、そうも思えてくる。
 自分の為に馳せ参じたと聞いて、無理をさせてしまった、何故戦嫌いの優しいアゼルがそんな事を、そう思ってはいる様だったが、「彼女」は心から感謝してくれた。親しくなれたという点では、「友人として」なら、破格の扱いだった。彼女はアゼルに会うと嬉しそうな顔をする。しかし、それはアゼルには、彼女が幼馴染みのエスリンに会った時に見せるそれと同じ様なものに思えた。
 ‥‥‥だが、彼女が幸せならそれで良いと思う気持ちが、彼の中には確かにあった。
 それが余計に、アゼルを思い切るのを妨げている。

 アゼルは、小さく呟いた。
「‥‥‥ひょっとしたら僕はもう何も出来ないのかもしれない。」

 

「ん?‥‥‥何か言ったか?アゼル。」
 最後の呟きは、友人の耳には聞こえなかったらしい。アゼルは「何でもないよ」と答え、不得要領な表情をしている親友をその場に残してさっさと歩きだした。
「おい、アゼル?」
 レックスが慌てて駆け寄ろうとするのをみて、アゼルは歩きながら振り向いていった。
「こんな所で油を売っていていいの?さっき向こうでアイラ王女が男の人に話しかけられてたよ。ホリン‥‥‥‥っていったっけ?あの人。」
 レックスが意表を突かれたように立ち止まった。
 アゼルは反応を予想していたので、そのまま彼をおいて立ち去った。 
 
 レックスは、どうやらあの王女を気にしているらしかった。
 会った時彼が機嫌が良かったのは、どうせ彼女に会ってでもきたのだろう。だが、他人に対しても決して愛想のいい女ではないとはいえ、普段からレックスに対する態度はかなりきついものだった。彼自身は知っていても気にせずにいるようだが、それこそ進展はあったのだろうか。

 僕に構ってる場合じゃないんだよな。‥‥‥少しは自分の事を気にしてくれないと。

 そんな事を考えながら、実際は「普段からかわれている仕返しをしてもいいよな」という思いもアゼルの心にないわけではなかった‥‥‥。


 マッキリ−城の屋上からは、澄み切った空の元でアグストリアの景観の一部を望むことが出来る。比較的平坦で広大なその土地は、あちこちに小さな森林が点在している。豊かな農地も見え、また、草原の広がる中に、旅人の立ち寄る、美しい造詣の教会が点となって見えている光景は、画家達が競って自らの作品の題にした。‥‥‥この国の景色の美しさのもう片翼である、なだらかな海岸線をもつ浜辺は、生憎とマッキリ−城からはほとんど眺める事が出来ない。

 ジャムカは広大な景色を眺めながら、何をするのでもなく風に当たっていた。ここ数日は進軍のための準備を整えるために割り当てられていたのだが、彼の場合、主な事以外は他人任せにしがちだった。元々、「自分達の事は自分でする」主義の傭兵達が、部隊員の大部分を構成している。
 相手はアグストリアの精鋭、油断は禁物なのはわかっていたが、正直な所、元々今回の戦いにはあまり積極的に参加する気にはなれなかった。極端な事を言えば、対グランベルの軍がヴェルダンを通るのでなければ、シグルドへの義理だけの為に、全く不本意に戦っていたのかもしれない。
 不審な想いを禁じえない。

『賢王は何者かに暗殺され、跡継ぎの男は父親とはまったく違い、強欲で野心家。』
 ‥‥‥国王が血迷ってるなんて、な。

 苦々しい思いを隠しきれない。祖国ヴェルダンでの一件と言い、何かが狂っていると思えてならなかった。現国王シャガールは、王位についてまだ日が浅いと言う話だ。彼の王位継承の裏面に何があったか、名誉とは縁のない噂の数々も、密かにあちこちで囁かれている。

 大体、ヴェルダン侵攻だと?
「これ以上、他人に好きな様にされてたまるか‥‥‥。」
 あの地に、触れるな。

 気に入らない。何もかも。



 ‥‥‥ふと、背後に人の気配を感じて、ジャムカは振り返った。視線の先に立っていたのは、長い金の髪の、純白のローブを身に纏ったプリーストである。しかしその手にしているのは、彼女がしばしば負傷兵の治療の為に持ち歩くリライブの杖ではなく、不思議な輝きを持つ、美しい黄金の弓だった。
 しかし、弓は手入れの行き届いていなかったためか、すっかり弦がゆるんでしまっている。
「これを直したいのだけど‥‥‥お願い出来ないかしら?」
 エーディンは手にした弓に目をやりながら言った。ジャムカは体の向きを変える。
「‥‥‥出来ない事はないけどな。あの騎士はやってくれないのか?」
「ミデェ−ルは忙しそうだったから、頼まない方がいいと思って。そういえば、あなたの部隊の調整は‥‥‥?」
 成程、暇そうに見えたのか。
 ジャムカは苦笑した。
 この所戦続きであったから、以前の様に外へ誘われる事も無く、あまりエーディンとは話していなかった。長い時間会う事すら無かったと言っていいので、妙に思い悩む事が無く、正直ややほっとしていたと言えばそうだった。だが、弓の手入れ程度の事を頼まれたからと言って、断らなくとも良いだろう。
「‥‥‥俺の方は大した準備はないさ。その弓の弦を張り直せばいいんだな?‥‥‥ついてきな。俺の部屋に予備の弦がある。」
 そう言って歩き出す。エーディンは慌ててその後に続いた。

 

 ‥‥‥ジャムカは自室の扉を開いて中に入ると、エーディンにも入室する様に薦める。エーディンは一瞬躊躇った様子だったが、やがて室内に足を踏み入れた。
「確か‥‥‥‥ああ、あった。‥‥‥弓を貸してみな。」
 どこからか、細い針金の様なものを取り出す。‥‥否、エーディンにはそう見えたのがだが、よく見ると少し違うようだ。硬い針金よりもはるかにしなやかで、その様子はむしろ糸か紐に近い。
「みてくれはともかく、生半可な代物よりはよっぽど丈夫な筈だ。」
 言いながら、小机に道具を置いて小さな椅子に座ると、ジャムカは弓の弦をはずし始めた。エーディンはじっとその様子を見ていたが、ジャムカがちらりと彼女を見て言った。
「立ちっぱなしで待っているつもりか?‥‥‥そこの椅子に座るといい。」
 エーディンは薦められるまま側にあった椅子に座ると、再び黙って作業を始めたジャムカの様子を眺めやった。
 ‥‥‥しばらく沈黙が続いたかと思うと、不意にジャムカが口を開いた。
「‥‥‥何かあったのか?」


「え?‥‥‥どうして?」
 エーディンは少し驚いて言った。ジャムカは彼女の方を向きもせず答えた。
「‥‥‥‥今日は随分と静かだな。それとも‥‥‥城の中ではいつもそうなのか?」
「『城では』って‥‥‥?」
 エーディンは困惑した。
 今まで城内にいて誰かにこんな事を言われた事はない―――元々修道院を出て以来、城で生活するのが彼女の常なのだから当然だろう―――が、城で長く二人で話す機会が意外と少ない彼には、外での自分は何か違って見えるのだろうか?
 たとえそうだとしても一体何がどう普段と違うのか、エーディンにはよくわからなかった。時折ジャムカと森に出たりして、二人だけの時はもっとよく喋っているのかもしれない。
 ジャムカに会うまでは感じなかった事であるが、夜は恐くても、今では昼に森にいるのは気分が良いと思える様になった。それで口数が増えているという事はあるかもしれないが、単にそれだけの事なのだろうか。
「‥‥‥別に、私はいつも通りよ?」
 そう言ってはみたが、ジャムカは何も答えず、ひたすら作業を進めていた。
 しばらく、二人とも無言だった。

「‥‥‥さて。出来たかな。」
 やがて、作業を終えたジャムカがそう言った。
 立ち上がり、手にした弓を引こうとする。‥‥‥が、精緻で美しく、どちらかと言えば華奢な感すらあるその弓は、彼が弦をひこうとすると、それまでとは別の物であるかの様に重く感じられた。これで使い物になるのだろうか、そんな気すら起こる。ジャムカは眉をひそめた。
 何だ‥‥‥?

 怪訝な顔をするジャムカを見て、エーディンが思い出した様に言った。
「あ、ごめんなさい。‥‥‥その弓はある人にしか扱えないの。」
 それを聞いて、ジャムカが振り向いた。
「まさか‥‥‥ユングヴィの聖弓か?銘は‥‥‥そう、確か『イチイバル』だ。」
 エーディンは小さく頷いた。「ふぅん」とだけ呟いて、手にしたそれを眺めやる。
「それを扱う事が出来るのは‥‥‥行方知れずの私の姉だけなの。」
 
 エーディンは視線を宙に彷徨わせながら、呟くように話しつづけた。
「ブリギッドと言う名で‥‥‥双児だったの。活発で、さっぱりとしていて‥‥‥芯のしっかりした、強い人だったわ。いつも、何処へ行くのも一緒だった。でもね‥‥‥。」
 ジャムカは再び椅子を引き寄せて座ると、黙ってエーディンの話を聞いていた。
「ブラギの塔‥‥‥‥この国よね‥‥あの塔があるのは。あそこに皆で巡礼に行ったの。辺りを縄張りにしてたって言う海賊に襲われて、姉様は‥‥‥攫われてしまった。」
「‥‥‥。」
 一瞬言葉が止まり、刹那の沈黙が流れる。やがて、僅かながら口調を明るく変えて、再びエーディンは口を開いた。
「ずっと行方がわからなかったけど、きっと姉様はこの国にいるわ‥‥‥。必ず。」
「‥‥‥わかるのか?」
 ジャムカが訊ねた。エーディンは少し考え、「ええ」と答えた。
「根拠なんて無いわ。‥‥‥けれど、わかるの。」
「今まで見つからなかったのにか?‥‥‥聖弓の継承者と言えば、ユングヴィでは大事な後継ぎだろう。散々、探した後じゃないのか?」
 意地が悪いかな、と思いながらも、ジャムカは訊ねた。‥‥‥彼には、いつもの明るさに欠けたエーディンの表情が不審に思えたのだった。彼の言葉に対するエーディンの頑な態度も、どうも彼の知るその姿には似つかわしく無い様な気がする。
 エーディンは静かに言った。
「‥‥‥皆が諦めていたとしても。お父様さえ諦めていたとしても、私にはわかるの。姉様は、この国にいる‥‥‥」


 不意に、ジャムカがその場に立ち上がった。エーディンは少し驚いて、褐色の髪の青年を方を向いた。
「何を思いつめているかは知らないが。‥‥‥不安なのか?生きている筈の姉に会えるかわからないのが。それとも、何か含む所でもあるのか?」
「‥‥‥‥」
 エーディンは答えなかった。自分が思いつめている様に見えた事さえ、よく理解出来ていはなかった。もう一度「私はいつも通りよ」と言おうとしたが、聞いてはもらえない気がして、やめた。それほど、ジャムカには自分の様子がいつもと違って見えているのだろうか?
 ジャムカは返事のないのを見越していたのか、黄金色の弓を手にとると、そのまま部屋の入り口へ向かって歩き出した。すれ違い様に、慌てて立ち上がったエーディンにイチイバルを受け取らせる。ドアに辿り着いたところで振り返り、口を開いた。
「見当違いなら、妙な事を言っていると思われるんだろうがな‥‥‥。」
 開け放していたドアをくぐりながら、更に一言口にする。
「‥‥‥双児ね。今の君は、鏡を見ても姉の面影しか映らないのかもしれないな。」

 それを最後にジャムカはもう何も言わず、エーディンを残してどこかへ歩いて行った。
 開け放したままのドアを見つめながら、エーディンは金色の弓を手にしたまま、主が不在となった部屋に一人立ち尽くしていた。


 
 
 

Continued.



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