12.月光  

 月に魅せられた男が居た
 儚き白銀の光を求め それでも手は届かず
 白き輝きに焦がれて 男は思い悩んだ

 それを月と思えば そこに決して手は届かぬ。

 それが月でないとしたら‥‥‥


 ミデェ−ルは自室の寝台に腰を下ろしていた。膝の上に頬杖をつき、ため息をつく。
「全く‥‥‥どうしてそう外へ出たがるのか‥‥‥。」
 危険ですと、何度も申し上げているのに。
 苛立ちのこもった声で呟く。


 昼間、城を抜け出そうとしていたエーディンをみつけ止めようとしたときに、「シグルド公子が呼んでいる」と言われてその場を後にしたが、いざシグルドの部屋を尋ねてみると、返って来た答えはこんなものだった。
『エーディンが?確かに用はあったんだが、自分で伝えておくからいいと言ったのに。』
 ‥‥‥矢の不足がないか調べておいて欲しい、と言うことだったが、確かに今は別に一刻を惜しんでする事でもない。そして、戻って来た時には既にエーディンの姿はなかった。

「‥‥‥今日こそはきちんと申し上げよう。」
 呟いて立ち上がると、ミデェ−ルは部屋を後にした。


「あ‥‥‥ミデェ−ル‥‥」
 憮然とした表情を隠しもせずにミデェ−ルがその視線を向けている先には、ばつの悪そうな顔でこちらを見ているエーディンが居た。自分の名を呼んで黙り込んでしまったエーディンを見て、仕方なくミデェ−ルは自分から話を切り出した。
「‥‥‥今日も城を出ていらっしゃったんですね?」
「‥‥‥」
「一人で森まで出歩くのは危険ですと、何度も申し上げたでしょう?‥‥‥そして、今日も。」
 出来るだけ咎める様な口調をしないようにと気を使いながら、諭す様に言ったつもりである。エーディンはやがて俯き加減だった顔を上げ、口を開いた。
「‥‥‥心配かけてごめんなさい。どうしても行きたかったから‥‥‥あそこは気持ちがいいから。」
 そう言うと、やや慌てて、付け足すように言った。
「あ、でも、もう一人では行かないわ。彼が一緒に行ってくれるって‥‥‥」
「‥‥‥彼、というと?」
 予想していなかった言葉に、ミデェ−ルは眉をひそめて訪ね返す。
「あ、ええと‥‥‥ジャムカよ。」
 エーディンが慌てたように言い直す。

 ‥‥‥また、あの方か。

 一瞬の動揺を隠して、ミデェ−ルは極力平静に言った。
「‥‥‥わかりました。そう言うことならとやかく申しません。しかし、頻繁に外出するのはお控え下さい。‥‥‥御迷惑にもなりかねませんよ。」
「ええ、わかってるわ。ありがとうミデェ−ル。‥‥‥今日は、ごめんなさい。」
 ミデェ−ルの言葉を聞いて、エーディンは嬉しそうに言った。
 ミデェ−ルは一礼すると、踵を返してその場を後にした。「ありがとう」と言った時のエーディンの笑顔を、あまり見ていたくなかった。


 ‥‥‥あの方は、少し変わられた。

 ヴェルダンでの再開を果たしてからというもの、ミデェールはエーディンに、しばしばそんな印象を抱いた。
 以前であれば、彼にこう何度も咎められてまで、エーディンは同じ事を繰り返したりはしなかっただろう。それ以前に、こう何度も咎められるような事すら無かったと言ってよかった。ミデェールにしてみれば、どうも身辺の警護というより、口喧しい目付け役にでもなった様な気分だった。
 ‥‥とはいえ、実の所、彼女の変化それ自体を煩わしく思っているわけではなかった。彼が知っているよりも、いきいきとして、素直に感情を表に出すようになった様に感じる。以前よりもよく笑顔を見せてくれるとも思う。
 そして、一人の青年がエバンスを訪ねて来た時も、エーディンは素直に彼との再開を喜んだ。

 エーディンがヴェルダンから戻って来て以来、彼女がその青年の名を口にする度に、ミデェ−ルはどこかやりきれない気分になった。褐色の髪と澄んだ瞳を持った青年。ヴェルダンで何があったのか、彼にはわからないだけにもどかしさが募る。

 よりにもよって、何故あの青年なのだろう。

 何も、彼でなくても良いだろうに。名を聞く度、そんな思いが頭をよぎる。
 エーディンが、マーファからの脱出の際に手をかしたというヴェルダンの王子。だが、ミデェールは彼にはあまり好意が持てなかった。彼は和平を求めたというが、一時は確かに自分達に弓を引いたのであるし、何より、エーディンは、彼に撃たれかけたのだ。至近距離からの一矢だったから、当たればおそらく彼女の命は無かっただろう。わざわざその身を危険に晒したのはエーディンの方だったとは言え、殺されかけたと聞いて、ミデェールは穏やかではいられなかった。
 何より。いかに彼が反戦を唱えていたにしろ、彼の血縁にあたる男達が攻め入って来なければ、エーディンは戦に巻き込まれる事も、危険に晒される事もなかった事を思う。彼には、ミデェールが相対したもう一人の王子と似たものを感じた。
 彼が、エーディンを連れ去ったあの男の様に粗暴だと言う訳ではない。人間的に言えば比較にならない程、信頼に値する青年だろう。
 おそらく悪い面で「似ている」と感じた訳ではないのだろうという事は、ミデェール自身にもわかっていた。欠点と言う訳では無いのだ。だが、それをなんと呼べばいいのだろうか。自分達とは違う、何か。
 ‥‥‥身に纏う空気、雰囲気とでも呼べば、一番近いかもしれない。本来、違った所でどうという事はないのだろうが、ミデェールは好ましい気分にはなれなかった。エーディンは、彼をとりまくそんな空気が気にならない―――どころか、ひょっとしたら好意的に思っているのかもしれない。

 ‥‥‥しばらく考えた後、ミデェールは苦笑したくなった。どうやら、変わったのはエーディンだけではないようだ。

 主人に留守を任されたにも関わらずその姫を連れ去られた力の無さを悔やみ、とっさの判断で馳せ参じる事になったが、冷静に考えてみれば、彼は来るべきではなかったかもしれない。大義のない戦とはいえ、敗戦の為に彼女は「捕虜」となったのだ。ミデェールは、任された城の守りこそ優先させるべきだったかもしれなかった。だが、何もせずにユングヴィに残る気にはなれなかったのは確かだ。
 再会を果たしたその時点で、時間を費やして説き伏せてでも、エーディンを連れてユングヴィへ帰るべきだったのだろう。だが、戦の顛末を見届けずに帰れないという彼女の要望を、彼は容れた。ミデェールの方にしても、シグルドにかけた世話を返さなくてはならなかった。
 では、「今」はどうなのだろう?
 何故、いままだここに留まっているのだろう?
 
 ‥‥‥色々と理由をつけてはみたものの、結局の所、自分でもあまり認めたく無い理由が一番大きい様に思えた。

 どんな理由があるにしろ。彼女の側に仕える事が出来るのなら、どこでも構わなかったのかもしれない。そして、「変わった」と感じた今のエーディンは、彼の目からみて、以前よりも魅力的に思えた。‥‥‥思いを偲べなくなるかもしれないと感じながら、どこかで、まだここに留まろうとする己がいる。
 今の自分には許されない思いである事を感じていた。ならば、それを忠誠心に変えれば良いと、そう思って今までやってきた筈であったが、今になって感じるこの息苦しさは何なのだろうか。

 ミデェールは心の中で繰り返し思った。

 変わったのは、自分も同じだ。


 ‥‥‥ミデェ−ルは、やがてその場に足を止めた。歩いていこうとした先に見知った人影を認めたのである。
 深く澄んだ瞳と、褐色の髪を持った精悍な青年。

「昼間は悪かったな。お姫様を勝手に連れ出して。」
 ミデェ−ルはわずかに眉をひそめる。しかし、すぐに無表情となり、事務的な口調で言った。
「いいえ。‥‥‥私が目を放したばかりに、御迷惑をおかけして申し訳ありません。」
 青年―――ジャムカが苦笑する。やがてこちらへ歩いて来たかと思うと、ミデェ−ルの脇を通り過ぎていこうとした。
 すれ違おうとするその時、小さな呟きがミデェ−ルの耳に入った。
「‥‥‥もう少し気を配っておくんだな。彼女は‥‥‥すぐにどこかへ飛び立ってしまう。」

 ミデェ−ルは後ろを振り返った。そのまま立ち去ろうとする青年に、低い、どこか非難する様な響きの声を投げ掛ける。
「‥‥‥あの方が羽を休めるのは‥‥‥‥あなたの元ではないか。」
 ジャムカが足を止める。
「あの方が向かう先は‥‥‥あなたの元ではないのですか?」
 立ち止まり、微動だにしない青年の後ろ姿に向かって、なおミデェ−ルは続けた。‥‥‥やがて、ジャムカが顔だけをミデェ−ルの方に向け、口を開いた。


「‥‥‥買いかぶり過ぎだな。‥‥‥お前は、俺にはやれない事が出来る。」
 俺は、たった一人のためだけに生きる事は出来ない。

 言葉に続いた内心の声は口にこそ出ないものの、その表情の意味するものはわかる者には一目でわかるものだった。しかし、ミデェ−ルはその限りではなかった。

「その言葉こそ、買いかぶりです。私には、何もできない。」
 一介の騎士であるが故に、私にはあの人を幸せにする術がない。

 呟く様に、ミデェ−ルが言う。

「あなたにはわからない‥‥‥私の手は、あの方には届かない。触れる事は許されない。」
 ミデェ−ルの言葉に、ジャムカは陰鬱な声で言葉を返した。
「わからないのはお互い様だ。俺は‥‥‥これ以上、彼女に関わる訳にはいかない。」
 ジャムカの言葉を最後に、二人は黙り込んだ。

 やがて、どちらからともなくその場を立ち去って行く。


 既に日は暮れていた。空は深い闇に覆われ、地平線には宝石をちりばめた様に様々な色の星が輝いている。 
 ミデェ−ルは、戻って来たばかりの自室の窓から夜空を見上げた。星の光さえくすんでしまいそうな輝きが、彼の頭上にある。

 彼女は月。
 どれ程欲しても、どんなに近くに見えても、そこに手は届かない‥‥‥。

 

 様々な思いを内に秘め、その日の夜が更けていく。
 銀色の輝きが、静かな城壁を照らし出していた。


 
 
 

Continued.



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