11.木漏れ陽 


「エーディン様。」
 突然呼び止められ、エーディンは思わず立ち止まった。気付かないふりをして立ち去ってしまえば良かったかもしれない、そう思いながら恐る恐る後ろを振り向く。

「‥‥‥どちらへ行かれるおつもりですか?」
 後ろを見て一番に目に入ったのは、翡翠の様な髪に、女性の様に優し気な顔つきをした青年が、その顔に似合わぬ気難し気な表情をしている姿だった。
 青年が口を開く。

「お一人で森まで行くのは危険ですからおやめ下さいと、何度も申し上げているのに―――」
「ミデェール、さっきシグルド様が呼んでいらしたわ。」
 エーディンは相手の言葉を遮って、全く関係のない話を切り出した。
 ミデェールは疑わし気な顔を向ける。が、礼儀正しい彼には「本当でしょうね?」と聞き返すまでは出来ないらしい。
「‥‥‥わかりました。それよりいいですか、お一人で城を出たりしてはいけませんよ。」
 念を押すように言って、その場を立ち去る。

 ‥‥‥‥その後ろ姿を見届けて、エーディンは再び城の門へ向かってそっと歩き出した。


 エバンス城の側の、小さな森の中にて。

 鮮やかな緑が、目に眩しい。

 ‥‥‥木漏れ日の中でみずみずしい空気が全身を取り巻き、あたりには草の匂いが漂っている。幹の半分以上が苔で覆われ、蔦の巻いているその巨木の下、ひんやりとした感触をその背に受けながらジャムカはそこに仰向けになっていた。
「‥‥‥あいつ、また姿が見えないな‥‥‥。」
 背を預けているその木の梢を下から見上げながら、ぽつりと呟く。


 何故かヴェルダンから彼についてきてしまった、変わり者の小鳥。それが、最近ではあまり姿を見せない。部屋で籠に入れて飼っている訳ではないので、向こうが近付いて来ない限りはどこにいるかも定かではないのだが‥‥‥‥。

 ‥‥‥また、エーディンの所かな。
 以前、たまたま彼がその小鳥を探してみた時、見つけたのは彼女の元でだった。あまり人になれない筈のその鳥は、エーディンに怯える事は無いようだった。その理由も彼にはわからない。
 さして意外そうでもなかったエーディンの様子からすると、度々彼女の元へと行っているのだろう。
「全く、一体誰についてきたつもりなんだか。」
 微苦笑を漏らして、ジャムカはまた呟いた。
 エーディンか。
 ジャムカの頭にその笑顔が浮かんだ、丁度その時だった。


「こんにちは、ジャムカ。」
 聞き覚えのある声がして、仰向けになって上を見ていた彼の視界の隅に、突然思い浮かべていた通りの笑顔が映る。
「‥‥‥。」
 ジャムカはゆっくりとその場に身を起こした。


「‥‥‥また来たのか?」
 呆れた様に言うが、エーディンは数歩離れてこちらを眺め直すと、意に解した様子もなく笑顔のまま返事をする。
「ええ、だってここは気持ちが良いもの。‥‥‥あ、でも今日はこの子も一緒よ。」
 そう言うと、どこからともなく褐色の小鳥が姿を現した。やっぱりな‥‥‥と、ジャムカは思わず苦笑した。
「あなたも、あまり城に居ないのね。」
 小鳥に向けて手を差し伸べながら、エーディンが何とはなしにそう訊ね返す。ジャムカは僅かな間、黙り込んだ。
「‥‥‥まぁな。」
 短く、それだけ答える。

 ―――身分をあまり公にしたくなかった為に、ジャムカは傭兵の様な扱いする様にと、そうシグルドに申し出た。彼は、城に居ると、ごく稀にグランベルの正規兵に絡まれる事がある。兵士を連れて来なかったジャムカは、弓使いと、一部の剣士を交えた小さな傭兵隊を指揮する事になったのだが、そんな彼が自分達の上官と同等以上の扱いを受けているのが気に入らないらしかった。まぁ、無理もないといえばそうだった。
 あまりに非礼な行為には相応の報いを受けさせる所ではあるが、今の所、一応はそれらを聞き流しているし、余計な揉め事を増やすくらいならむしろ城を出ていた方がいい。自分の行動を最小限にとどめていてもなお、絡んでくる輩はいるものだった。
 ‥‥‥だが、そんな事をわざわざこの娘に知らせて、不安に思わせる必要もないだろう。

「この子、一緒に来たのだから名前がないと不便でしょう?‥‥‥『木漏れ陽』って呼んでるんだけど‥‥‥いいかしら?」
 近くに腰を下ろし、小鳥を眺めていたエーディンが、やがてそう言った。考え込む所を中断されたのは、むしろ良かったかもしれない。
 地面に降り立ち、側を跳ねていた小鳥は、エーディンの声を聞いて再びその側へ飛んでくる。信じられない事ではあるが、ひょっとしたら、呼ばれ慣れているのだろうか。全く、この小鳥も、それを気にした様子のないエーディンも変わっている。

 『木漏れ陽』か。
「‥‥‥好きにすればいいさ。別に、俺が飼っているわけじゃない。」

 ‥‥‥‥正直、悪く無いと思った。
 強く、明るすぎる日射し。それが森のなかで、重なる深緑の木の葉とその隙間を通り、地面に降りた時に「木漏れ陽」となる。その光は柔らかく、それを浴びているのがジャムカは好きだった。

 「木漏れ陽」か。
 その小鳥は、変わり者だった。

 

 ある日ジャムカが故郷の森の中を歩いていた時、その鳥は地面で羽をばたつかせてもがいていた。彼は弓の練習に来ていたのだが、巣立ったばかりでうまく飛べなかったのだろうか。枝で傷つけでもしたのか、羽に傷を負っていたため、その小鳥を連れ帰り怪我の手当てをした。やがて傷も治り、飛べるようになった所で元の森に放してやったのだが、以来彼が森に行くと時たま姿を見せる様になった。
 彼の祖国にしか棲まないその鳥は、本来警戒心が強く、人に懐くような事はまずない。まして、ジャムカは狩人だった。常に護身用の刃を帯びてもいたし、そんな人間には他の野生の獣もまず近付くような事はしないものだ。それでなくても、基本的に、人間を知っている獣は、皆人間を恐れる。
 怪我を治してやったくらいで、懐くはずはない‥‥‥。

「‥‥‥似てるな。」
 心の中で思っただけのつもりの言葉は、つい口を出てしまったようだ。
 エーディンがこちらを振り返る。


「何?」
「‥‥‥いや。聞こえたか?」
 口にしてしまった言葉を撤回する訳にもいかず、ジャムカは思い浮かんだ疑問をそのまま続けた。

「君は平気なんだな。俺の側にいても。」
「平気?何が?‥‥‥どうしたの、ジャムカ?」
 何を言っているのか分からない、と言った表情で問い返してくる。ジャムカは苦笑まじりに答えた。
「俺は、君達が『蛮族』と呼んでる人間の一人だ。‥‥‥それに、この弓。」
 そう言って、傍らのキラーボウに目をやる。彼は、国を出てからというもの、一度もこの弓を側から離した事はない。
「‥‥‥『死の弓』の使い手だ。大抵の人間は、どっちも嫌がるんだけどな。」

 見下し、蔑むか―――もしくは恐れるか。彼が会った他国の者、特に王女や公女と言われる身分の高い女性達が示した反応が、それだった。勿論それらの中に、好意的な視線と言うものは全く無かったと言ってもいい。
「そいつもだ。‥‥‥『木漏れ陽』も。‥‥‥狩人に怯えない小鳥なんて、居るもんじゃないと思ってたんだが。」

 ジャムカは不思議で仕方がなかった。村人の一人からさえ身を隠そうとする筈のこの小鳥は、なぜ一度助けてやったくらいで、これ程ジャムカに気を許しているのだろうか。

 ‥‥‥なぜ、エーディンは自分の側にいても平気なのだろうか?
 誰をも傷つけかねないこの身が、 恐ろしくはないのだろうか。
 厭わしくはないのだろうか?

 ‥‥‥しかし、エーディンはジャムカの顔を見返すと、こともなげに答えた。
「‥‥‥だって、あなたはいい人よ。嫌がる理由なんて、別に無いでしょう?」
 あっさりとそう言って、「ね?」と小鳥の方を見やる。『木漏れ陽』が頷いたかどうかは怪しいものだったが。
「‥‥‥それはどうも。」
 苦笑したまま、ジャムカは言った。

 どっちも変わり者だ。
 そんな事を思いながら、その存在がジャムカには心地良かった。彼が何者であるかを知っても、彼女達は何も変わらない。
 それで、十分ではないか。

 ‥‥‥それ以上、何を望むと言うのか。

『誰も、お前一人が何もかも背負って生きる事なんか望んじゃいないんだからな』
 ふと、かつて友人に言われた言葉が脳裏に蘇った。
 だが、すぐにそれを打ち消すかの様な感情が心に沸き上がる。
 ‥‥‥どうしろって言うんだ。

 

 ジャムカは、確かにエーディンに惹かれていたし、その自覚もあった。自覚していたからこそ、彼にはそれを押し通す気はなかった。それを彼女が受け入れてくれないとすれば詮無い事であるし、もし受入れてくれるなら―――
 
 彼女には、帰る場所がある‥‥‥それはヴェルダンじゃない。
 
 彼がエーディンと出会った訳。それは彼女が彼の国へとさらわれて来た事に始まった。そして、今ジャムカが帰るべき故郷は、王を失い、自身が国境を侵した事とその圧倒的軍事力の差により、隣国には逆らうことの出来ない立場にある。
 たとえどれだけ困難であろうと、彼は自分でその国を建て直すつもりだった。しかしその道のりの長さを思うと、エーディンにそれを共に歩ませようと言う気にはとてもなれなかった。
 自分に何が必要なのかもわからない今の彼にとって、恋心などは不要なものだった。
 何より、ヴェルダンの民は、自分達を「蛮族」と蔑む者の多いグランベル人に好意を抱いていない。エーディンがそんな人間ではないにしても、それが皆に受け入れられるとは限らない。ジャムカ自身も何度となく感じ、彼が生まれる以前からヴェルダンの民が抱いて来た反感は、深く、根強い。
 そんな想いの渦巻くの中で、彼女が幸福になれる筈がない‥‥‥。

 ‥‥‥馬鹿馬鹿しい。
 結果は変わらない。最後には、離れていくだけだ。
 何もしてやれる事などないのに、一体何を求められると言うのか。自分以外に構っていられる余裕さえ無いのに。
 こんな感情は、必要無い。


 心を無くす事が出来たら、どんなに楽になれるだろう。
 今までに何度となく感じた事のある思いが浮かび上がっていた。
 煩わしい感情。晴れない気持ち。
 なのに、捨てきれないのは何故だろうか‥‥‥?

 

 再び、視線をエーディンに向けた。
 木漏れ陽の中で、煌めく流れる様な金色の髪。光に透ける、白い肌。
 純白の服を纏った娘は、彼の方を見て柔らかな微笑みを向けている。

 不意に、言い様の無い息苦しさに襲われて、ジャムカは大きく息をついた。
 頭痛がする。
 ‥‥‥気が変になりそうだ。


「‥‥‥ジャムカ?」
 しばし黙り込んだジャムカに、エーディンが不安げに声をかける。何かまずい事を言ってしまっただろうか、そんな顔だ。
 ジャムカは別の話を振った。
「あの騎士が心配してるんじゃないのか?」

 突然の問いに、エーディンは一瞬驚いた様だった。が、すぐにごまかすように少し笑って言った。
「ミデェールの事ね。‥‥‥人が呼んでるって言ってごまかして来ちゃったわ。そうでもしないと出してくれないんですもの。」
「‥‥‥‥」
 ‥‥‥当たり前じゃないか。
 ジャムカは思わず呆れた顔になった。


 ユングヴィで、エーディンの側近として仕えていた、彼女の騎士。翡翠の髪と瞳を持った、女性の様に優し気な顔立の、生真面目な青年。
 彼は、ユングヴィがシグルド軍によって解放された後、自分から従軍する事を望んだらしい。

「優しくて、真面目で‥‥‥いつも心配されるわ。それで、よく最後には『あなたを守る事が、リング様から仰せつかった私の役目です』って言うのよ。」
 リングというのは、私の父の事なのだけど‥‥‥そんな説明を交えながら、エーディンは彼の事を語るとき、よくこんな言葉を使った。そして、それを言うときのエーディンの顔には、いつもどこか複雑なものが混じっていた様に見えた。

 ‥‥‥やっぱり、あの騎士を気に入ってるんだろうな。

 彼女は気付いていない様子だが、ジャムカはミデェールがわざわざヴェルダンまで出向いたのは、ただ単に彼が生真面目だったせいではないだろうと考えている。当主に娘の護衛を任されていた、それ相応の責任感と言うものを持っているようだったが、レンスターからの救援や他の公国からの公子の参戦など、優秀な一軍を連れたシグルドが攫われた姫の救援に向かったと言うなら、彼はむしろユングヴィに留まりその守備に就いていた方が役割としては理にかなっていたのではないだろうか。
 それをせず、知人であるとはいえ、他の公国の一公子に独断で付き従ったのだ。自分の力不足で護るべき公女を奪われた、その償いの為だけというには、少々無理がある。とはいえ、よほど未熟な者であるならば話は別だが。
 だが、それを思うと彼自身も少々複雑な気分だった。
 彼女が確かに幸せになれるとしたら、彼女の故郷で、だろう。そこは本来エーディンがあるべき場所なのだから。そして、ただひたすら誠実に、彼女のためだけに生きている騎士がそこにはいる。
 ‥‥‥彼の生き方が羨ましかったのかもしれない。


 ‥‥‥情けないもんだな。
 ジャムカは胸中で一人呟いた。何が最良か自分でわかっている筈なのに、簡単に想いを断ち切る事は出来そうになかった。
 調子が狂う。
 何かが、変わった。


「‥‥‥昼間とは言え、仕えてるお姫様が一人で森へ行こうとしたら、止めない訳がないだろう?決して安全な場所じゃないんだ。」
「でも、あなたはいつも一人で来ているでしょう?」
 エーディンが言い返す。
 ‥‥‥俺の真似なんかするなよ‥‥‥『慣れ』が違うだろうに。
 ジャムカは、グランベルにヴェルダンの様な深い森があるとは、聞いた事が無かった。もう一度、呆れた声で言い聞かせる。
「‥‥‥俺はヴェルダン育ちだ。こういう所は慣れてる。動きやすい様な服装も考えなきゃならないし‥‥‥それに、こう言うのもなんだが‥‥‥女の君には、向いていないんじゃないのか。」
 それを聞いて、エーディンは少し首を傾げる。やがて、言った。
「‥‥‥体力なら、通っているうちについてくると思うけれど?」

 ‥‥‥駄目だ、これは。
 ジャムカは言い聞かせるのを諦めた。


「‥‥‥ここへ来たいのなら、俺がまだ城に居る時に声をかけてくればいい。だから一人で来るのはやめるんだ。」
 どうやら何を言っても無駄らしい。そう思って、仕方なくジャムカは疲れた声で言った。放っておく訳にもいかないだろう。
 エーディンが再び小首を傾げ、やがて笑顔を見せる。
「そう?じゃぁ、そうするわ。ありがとう、ジャムカ。」
「‥‥‥‥どういたしまして‥‥‥。」

 ‥‥‥何やってるんだ、俺は? 
 エーディンに返事をした後、思わずジャムカは自分自身に問い掛けていた‥‥‥‥。


 
 
 

Continued.



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