「よぉ、ジャムカ。」

 聞き慣れた声に、ジャムカは振り向いた。一言だけでもそれとわかる、友人の声。
「ザハか。」
 ジャムカは白いバンダナを頭に巻いて、薄いマントを身につけている。旅支度だ。何も話していなかったのだが、ザハは「何処へ」とは聞いてこなかった。

「行くのか?」
「‥‥‥ああ。今の俺にはまだ無理な気がするんでな。」
 返事を聞くと、ザハはわざとらしく声を大にして言った。
「はぁ‥‥。やっと事後処理が終わったってのに、国王どころかその後継者すら不在。また俺の仕事が増える羽目になるな。どうしてこう、世話の焼ける奴ばかりなんだか。」
 気心のしれた幼馴染みの言葉に、悪いな、と苦笑まじりにジャムカは答えた。


 彼に王位継承の役目を放棄する気はなかった。むしろ、王が不在となった今、その責任は彼にとっては何より優先するべきものだ。
 だからこそ、今すぐにそれをする事は彼には躊躇われる。

「しばらく、シグルド公子に同行させてもらう。‥‥‥まだ、裏に何かありそうな気がしてならないしな。彼と居れば、真相がつかめるかもしれない。‥‥‥武者修行なんて言うのも変だが、そんな所だ。不思議と、城下の者もあの男を信頼している。彼の人となりを確かめるのにも、いい機会だ。‥‥‥本当に信頼に値するかどうか、な。」
「兵士は?連れていかないのか?」
「そんな余裕が無い事くらい、わかってるだろう。‥‥‥一人で行くよ。連絡はなんとかする。気ままな傭兵暮らしってのも、悪く無いな‥‥」
 ジャムカの言葉に、ザハはわずかに皮肉を言ってやりたくなった。その顔から、笑みが消える。
「全く、気ままな生活だ。俺はその間やりくりに駆け回る事になるだろうな。国王が側近に国事を任せて留守にする挙げ句、傭兵暮らしか?」
 流石に、ジャムカもその言葉には多少の棘を感じたらしかった。苦笑しながら、謝罪の意も込めて口を開く。
「‥‥‥俺より向いてる奴を見つけたら、俺の帰りなんか待たず、王に据えればいいさ。お前の目なら確かだろ。」

 ザハは再び、わざとらしく大きな溜め息をついた。
「‥‥‥全く、随分と気が弱くなったもんだ。確かに、多少気合いを入れ直してきた方がいいな。お前さんは。帰って来たら散々口やかましく言ってやるから、せいぜい立派になって戻ってきな。」
 ジャムカはもう一度苦笑した。言い分がわかるだけに反論する気もおきない。散々世話をかけているが、それはこの男が自分を主人として認めてくれているからだということを、ジャムカはわかっていた。その信頼に応えなければ、とも思う。
 やがて、ザハが何とはなしに口を開いた。
「‥‥‥そういや、あのお姫様は?」
 ジャムカが黙り込む。


「ああ、別に反対しないぜ。経緯はどうあれ、随分と、大した姫君だ。器も、度胸の方もな。」
 ザハの言葉に、ジャムカは怪訝そうに訪ね返した。
「‥‥‥?一体、いつの間に‥‥‥‥」
 言い差して、ジャムカは言葉を切った。ザハがエーディンの人となりを確かめたのは、二人で町に出た時意外には考えられない。
「‥‥‥余計な事を。」
 苦々し気な顔で、可能な限りの悪態をついたつもりだったが、ザハには何の効き目もない様だった。
「余計な事?それは悪かった。そうして欲しかったものとばかり思ってたんだが。‥‥‥違うか?」

 口の端に笑みすら浮かべながら、からかうように答える。
 ‥‥‥ジャムカ自身でさえ、はっきりとは自分の内心には気付いていなかったのに、随分と早くに見抜かれてしまったものだ。
「ま、多少風当たりの強いのはなんとかしなきゃいけないだろうが‥‥‥。それはお前がやる事だ。」
 何でもない事の様に言ってのけるザハに、しかしジャムカは賛同する事は出来なかった。
「言うな。‥‥‥もう彼女は関係ない。」
 険しい視線を受けながら全く怯んだ様子も見せずに、むしろ呆れたような表情でザハは友人の顔を見返した。

「‥‥‥お前さ。また何か気にしてるのか?」
 返事はない。
「彼女がここへ来たのはグランベルから攫われてきたからだって言うのか?それとも俺達が『蛮族』なんて呼ばれてるからか?周りが認めるはずがない?」
「‥‥ザハ、やめろ。」
 ジャムカは黙っていたが、やがて制止の声をあげた。が、ザハは構わずに続ける。
「それとも‥‥‥‥彼女にこの国の重責を背負わせるのが嫌か?これから長く迷走を続けるに違いないこの国を、生まれ故郷から引き離してまで。『それをさせるだけの価値は自分にはない』‥‥‥そんな所か?」
「やめろと言ってる!」
 ジャムカは思わず怒鳴り、すぐにそれが失態であったかのように黙り込んだ。

 幼い時から兄弟の様に育ったこの青年に、ジャムカは隠し事が出来た試しはない。どんなに隠そうとしても、気付かないふりをしながら、側で彼を励ましていたのが、兄の様なこの男だった。しかし、そんなザハでさえ出来なかった事をやってのけたのは、たった一人、それも異邦人である娘だけだった。
 ジャムカを戒めていた鎖を断ち切ったのは、輝く金の髪を持った、一人のプリースト‥‥‥。


「‥‥‥なぁ、ジャムカ。」
 ザハは一度口を閉ざすと、やがて静かに言った。
「何かにつけて考え込むのも、悪い事じゃないけどな。‥‥仕事以外に関しては程々にしておけよ。お前一人が何もかも背負って生きる事なんか、誰も望んじゃいないんだからな。亡き殿下や妃殿下だって、お前を不幸にするために後を継がせた訳じゃないんだ、絶対に‥‥‥。」

 ジャムカは怪訝そうに、自分に微笑して見せる幼馴染みの顔を見やった。しかし、ザハは口を開くと、それまでの話題をあっさりと打ち切った。
「ま、好きにしな。‥‥‥それより、何か不備があったらすぐに戻れ。シグルド公子はともかく、おそらく、グランベル本国の奴等、何かあった時には簡単に俺達を切り捨てるぞ。‥‥‥特に、交易上の利点があるわけでも無いしな。」
「‥‥‥‥わかってる。」
 眉をしかめて、ジャムカは答えた。
 国を留守にする。それをする以上、留守の間の政務を滞らせない事と、帰って来た時になんらかの成果を上げる、その二つが彼には要求されている。もはや、彼しか王族は残っておらず、彼以外にその責務を無条件に負おうとする者は居ないのだから。それでなくとも、各国の信頼を失い、彼の知る以前の「蛮土」という認識に戻されてしまったヴェルダンを、今度こそ、その信頼が崩れる事のないまでに建て直さなければいけない。並大抵の仕事ではなかった。


「よし。‥‥‥ほら、さっさと行かないと、置いていかれるぜ。」
 笑いながらジャムカの背中を叩く。やがて自分も苦笑一つもらして、ジャムカは答えた。
「‥‥‥ああ。じゃぁな、ザハ。後は頼む。」
「任せておけ。‥‥‥‥死ぬなよ?」
 ザハの言葉に、ジャムカは歩き出そうとした足を止め、少し振り返って、笑みを浮かべながら答えた。
「俺を誰だと思ってるんだ?」


 やがて再び歩き出したジャムカの、その後ろ姿に向かって、ザハはその場に恭しく片膝をつき、呟いた。
「――どうか、御武運を。我が君‥‥‥。」


 
 
 

Continued on Chapter 2.



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