08.決意 


 ジャムカはシグルド軍を攻撃するにあたって、森の中を進軍する策をとった。
 戦いには不向きな場所ではあったが、地元の人間と比べ、他国の者には勝手が違う場所だろう。兵力の差を考えると、他に有利となる戦場はなかった。グランベルの騎兵達には進みにくい場所でもあるのだ。
 しかし、部隊を進める間にも、やりきれない想いが彼の頭のなかに疼いていた。

 ‥‥‥なぜ、この場所を血で染める様な所業をする?

 精霊の森。それは彼が安らぐ場所の一つだった。限り無く不可能に近い勝利の為にその場を犠牲にする事は愚行としか言えない。しかし、「指揮官」として、戦術を考えた上で彼はその場所を戦場に選ぶ他なかった。

 ‥‥‥勝利を得られたとして、それが一体何になる?

 侵略戦争を始めたのは自分達だ。しかし、それを口実にグランベルがヴェルダンに軍事介入を始めた以上、それを防ぐのは「王子」としての、彼の役目だった。
 たとえそれが決して望まぬ戦いであったとしても。何も得るものがなくても。

 ‥‥‥俺は一体何がしたいんだ?

 願いは届かなかった。こうなるまでに、自分は父を止める事が出来なかった。破局を避けるために、戦いを止めさせる事は叶わなかった。そして、今彼は戦場にいる。
 彼が選んだ道であった。

 ‥‥‥違う。


 次々に浮かぶ疑問。しかし、その全てに「彼」は答える事が出来なかった。
 何故、今「この弓」を手にする?

 ‥‥‥「何」と戦う気でいるんだ?

 
 

 やがて、戦いが始まった。


「サンディマ」
 バトゥは王座から、傍に控えていた魔導士に声をかけた。サンディマは恭しくその前に畏まる。
「ジャムカも言っていたが‥‥‥もう、和平の道はとれぬのか?確かにガンドルフ達は殺されてしまったが、こうなった以上、むしろ今以上の犠牲は無意味ではないのか?‥‥シグルド公子は、高潔な人柄だと聞いている。」
 戸惑いを残し、それでも一つ一つ考えを改める様に続ける。
「儂は、グランベルの土地を望んだ訳ではないのだ。ヴェルダンさえ無事で、争い無く済むというなら、それにこした事はなかった。既に被害は大きくなってしまったが、今ならまだ間に合うのでは‥‥‥」

 ‥‥‥最愛の息子が身を投げうって成した諌言が、老いた王にかつての聡明さを呼び戻したのだろうか?そんなかすかな希望を胸に、その場に居合わせたザハは黙って国王の言に耳を傾けた。
 すると、サンディマが答えて言った。

 その言葉は、どこか今までのものとは違っていた。礼儀のありあまった言葉遣いは変わっていない。
 しかし、どこか、底の知れない嘲りが含まれていて。

「‥‥‥今更停戦などされては困るのですよ、陛下。」
 言って、薄笑いを浮かべた。


「‥‥‥貴様!?」
 途方もない不吉さを感じて、ザハは携えていた短剣を抜いてバトゥとサンディマとの間に割って入った。
 しかし、それを気にとめる風もなく、数歩後ろへ下がってサンディマは何事かを呟き始めた。ザハは用心のため、用意しておいたバリアリングを身につけて、闇色の魔導士に斬り掛かっていく。
 その時、サンディマの魔力が放たれた。

「『ヨツムンガンド』」

 闇が襲い掛かる。
 ザハのナイフがサンディマのローブを今にも切り裂こうとした時、その小さな呪文の呟き一つで、彼は後方に弾き飛ばされた。彼を守っていたバリアリングが高い音をたててひび割れる。
「っ‥‥‥!」
 予想を上回る威力を受けて、ザハは後方の壁に激突し、その場に崩れ落ちた。
「サンディマ!お主は‥‥‥」
 バトゥがその場に立ち上がった。しかし剣を取り身構える間もなく、再びサンディマの暗黒魔法が襲い掛かる。
 かつて「賢王」と呼ばれた老人は、闇に飲まれた。


「全く、世話になりましたな、陛下。」

 サンディマは、一人の兵士を呼びつけると、「国王が乱心者に斬りつけられた」と言って、バトゥを自室へ連れて行く様に命じた。そして、その場から動けずにいたザハを牢へ入れ、明朝の処刑を指示する。
「陛‥下‥‥‥。サンディマ、貴様‥‥‥」
 ザハが呻く。兵士は乱心の疑いがかけられた人物を見て、一瞬、不審そうな顔をする。重傷を負ったという、国王の様子も何かがおかしい。しかし、何か逆らいがたい圧力を離れた場所に居るはずの魔導士から感じて、やがてザハを部屋から連れ出して行った。
 サンディマは部屋を去ろうとし、その際に一人の兵士を呼びつけ何事かを言い付けた。

「‥‥‥至急、ある娘を捜し出せ。紫水晶の様な輝きの銀髪と、高い魔法力を持った娘だ‥‥‥‥」


「ジャムカ様!部隊はほぼ壊滅です‥‥‥。付近にも、もうほとんど味方は残っていません」
 傷だらけの兵士が息を切らしながら戦況を報告する。ジャムカも後方からの援護に努めていたが、大半の矢を既に撃ち果たしてしまっていた。矢筒に残るのは、僅かである。
 たとえ地形の点で分があっても、ふたつの部隊の兵力の差は歴然としていた様だ。ましてや、一方の指揮官には迷いがあった。戦いの勝敗は、目に見えていたのかもしれない。
「‥‥‥これまでか。」

 ジャムカは、報告に来た兵士の青年に、戦場を離れる様に伝えた。兵士は腕を斬り付けられたのか、血まみれの手でもう一方の腕を押さえていた。これ以上戦える状態にはとても見えない。

「父上に、この戦いの報告を頼む。グランベル軍に見とがめられたら、逆らって余計な事はするな。降っても構わない‥‥‥どうせ負け戦だ。今更、死者を増やす必要はない。」
 俺一人が責を負えば済む事だ。ジャムカが最後にそう呟くのを聞いて、青年は少なからず彼の事を気にした様であったが、やがて「行け」と促されて、足早にその場を立ち去っていった。

 今更、迷いを残すのか。ジャムカは思わず苦笑した。
 強く諌言する事もできなければ、指揮官として戦に徹する事もできない。それが、ひどく情けなく思えた。
 何をしても、中途半端だな。俺は。

 ‥‥‥やがて、付近に誰も居なくなったのを確かめると、ジャムカは中身の残り少なくなった矢筒から、一本の矢を取り出してキラーボウにつがえ、近くに身を潜めて気配を隠した。

 ―――どうせ最期に臨むのなら、中途半端なままで終わるのは愚かな事だ。
 兵力を失った以上、彼のすべき事は一つだった。



 エーディンは辺りを見回した。

 最初は自軍の負傷兵の治療にあたっていたものの、相手の軍の指揮官の名を聞いて急いでやってきたのだ。しかし、彼女がいくら探しても、目的の人物は遺体の中には見当たらない。まだ無事なのだと思って一瞬安心しかけたが、やがてふと足をとめた。
 死者の一人の前にかがんで、小さく祈りの言葉を呟いてから、その様子を調べ始めた。

 ‥‥‥遺体には幾つかの外傷はあるものの、それらによる出血がほとんど見られなかった。死亡してから、乱戦に巻き込まれてついた傷だろう。
 死してなお傷つけられねばならなかったというのは気の毒な事だ。エーディンはもう一度祈りの言葉を手向けた。それにしても、直接死につながったものは一体何なのだろう。彼女が視線を動かすと、それはすぐにわかった。

 一本の矢が、喉を貫いている。

 はっとして、エーディンは立ち上がり、周囲を見回した。
 彼女の周りには、たった今認めた様な死に様のシグルド軍の兵士の身体が、幾つも転がっていた。どれも、直接死につながったような、戦斧による裂傷などはほとんど無い。その代わりに、どれにも一様に突き立てられているのは、それぞれ場所は違っていても正確に急所をついている、ただ一本の矢。
 どの死者も、ただの一矢によって、その命を奪われていたのだった。

 ‥‥‥自分の元に運ばれてきた負傷者の身体に、こんな矢はあっただろうか?
 エーディンは必死に記憶を探ったが、その矢は良質で、おそらくそれなりに高価なものだろう、彼女の元にやってきた負傷者の中にこんな矢による傷の治療を頼みにきた者はいなかった様に思う。
 この矢による傷が、「怪我をする」だけに留まらないものなのだとすれば‥‥‥


 ―――急所を射抜かれれば、まず助からない―――
 いつであったか、ジャムカの弓について聞いた話を思い出して、エーディンの背中を冷たいものが走った。

 エーディンがすぐには動けずにいるうちに、突然、背後から声をかけられた。



「エーディン?なぜ前線へ?ここは危険だ。」
 現れたのは、彼女の留まる軍の指揮官であった。
 シグルドはエーディンの側へ歩み寄った。その左手には、彼の愛馬の手綱を取っている。

「シグルド様。まだ戦は続いているのですか?」
 エーディンの問いかけに、シグルドは眉を顰めて答えた。
「敵の大方は討ち取った筈だ。‥‥‥だが、正直、これほどてこずるとは思わなかった。馬が足をとられるものだから、騎兵達が思う様に動けない。おまけに、どうやら相手側には相当な腕の弓使いがいる様だな。」
 弓使い?
 エーディンが慌てて話の先を促すと、シグルドは苦々しい表情で言った。

「ただでさえ馬が進みたがらない所を、騎兵達が狙い撃ちされている。‥‥‥馬上だと余計に狙われやすいのかもしれないな。馬上から射落とされて、何人もやられた。目の前をかすめた矢に驚いた馬が暴れ出して、落馬して死んだ者もいる。おまけに、どこから撃たれているのか、さっぱり見当がつかない。馬から降りて戦う様に皆に伝えたが、だからと言って、狙撃の狙いが逸れる訳でもない様だし‥‥‥‥指揮官は、君を助けてくれた彼と同一人物だと聞いたから、あるいは話を聞いてくれないかとも思ったが‥‥‥。」
 言われるまでもなく、エーディンも「指揮官」と話をするためにやってきたのである。だが、肝心のジャムカは、話をするどころか、その姿すらシグルドの前に見せていないらしい。
 むしろ、話を聞く気など無いのではないか。エーディンは不安にかられた。

 そう簡単に彼が捕らえられないのは当然だ。人間の踏み込めるような範囲であれば、彼は誰よりこの森について熟知しているだろう。自分の遊び場の事を知らない子供がいない様に、彼はこの場所に親しんでいる。
 ‥‥‥そして、子供が自分の遊び場を『戦の道具』に使うとすれば、まず後が無く、勝たねば先が無い、そんな時なのではないだろうか。
 ジャムカは本気で戦う気だ。エーディンはそう思った。

「これから、私は残兵の処分にもあたらなければいけない。降伏する負傷者もまだ増えるだろう。味方の治療も含めて、君には早く戻ってそちらにあたって欲しい。‥‥‥何より、君に何かあれば、皆の苦労が水の泡だ。危険な事はしないでくれ。」
 シグルドの言葉の最後の部分は、ほとんどエーディンの耳に入っていなかった。
 残兵狩りという事になれば、降伏を拒むものは殺されるだろう。戦うつもりでいるジャムカが、降伏を受け入れてくれるだろうか?おそらくは無理だろう。
 ‥‥‥早く、彼を見つけださなければ。

「エーディン?どうし‥‥‥」
「シグルド様、失礼します!」
 突然、エーディンはシグルドが連れていた馬の手綱をひったくり、そのまま騎乗した。思いもよらぬ行動に慌てて制止の声をあげるシグルドを無視し、駆け出す。
 呆気にとられてシグルドがすぐに追えずにいるうちに、エーディンと彼の愛馬の姿は、森の奥へと消えていた。


 ジャムカは息を潜めて待っていた。
 彼がやろうとしているのは、敵指揮官―――シグルドの狙撃である。
 戦場において、兵士としての彼に出来る事は、今ではそれだけだった。この戦いに一体何の意味があるのか、その疑問だけはいくら頭から振払おうとしても消えなかったが、一度戦場に出た以上彼は戦うつもりだった。
 しばらくして。
 どこからか、馬の嘶きが聞こえてきた。


 ‥‥‥その馬術はごく拙いものだったが、エーディンはどうにか馬を鎮める事に成功すると、羽織っていたマントのフードを目深にかぶった。

 シグルドの馬を借り、自らがジャムカの狙う「獲物」になれば、彼は自分の前に姿を表すかもしれない。ザハに聞いた話を思い出せば、それなりの根拠のある思いつきだった。敗戦となってしまっても、ジャムカは独りでも敵対者を討とうとするだろう。
 となると、辺りを見回すのは勿論の事、ごく近い場所にも彼の姿が無いか注意を払わなくてはいけない。遠い場所から狙われるのなら、当然相手の姿もよく見える場所に現れる筈だ。狙撃に失敗した時には後がないのだから、むしろ余計に、成功率の高い近くから撃たれると考えた方がいい。
 果たして、ジャムカは囮になれるだけの「獲物」として、自分の姿を認めてくれるだろうか。エーディンは今更ながら、多少無理があるようにも思った。だが、いずれにせよ後には引けない。身長の差なども含め、どうにもならない点は多々あるが、どうにかするしかない。
 要は、「貴人らしく」さえあればいい。馬に乗っていれば、狙われやすくもある。

 これ以上、誰も撃たせる訳にはいかない。

 エーディンは幼い頃、闊達な姉につられて少々馬術を習った事があった。無論の事、名人どころか、まともに乗りこなす事すら満足には出来なかったし、その乗馬はかなり不安定なものではあったが、乗っている馬がシグルドの愛馬というだけあって、大人しく利口なものだった。エーディンを主人の知人だと知っているのだろうか、彼女を振り落とそうとはせず、おとなしくその意図する方向へとゆっくり進んでくれる。なんとかなるだろうと思い、馬をなだめながら少しずつゆっくりと進んで行った。



 ジャムカは馬の嘶きを聞いて、弓を構えた。
 ‥‥‥ゆっくりと、精緻な装飾の施された馬具をつけた馬と、それにまたがる人影が姿を現す。
 乗っている人間は木の陰に隠れている上、マントをまとい、フードを目深にかぶっているので顔は見えない。しかし、馬の方は活力に溢れた目をした、体格のいい立派な馬だ。おそらくシグルドか、それに匹敵する指揮官クラスの将だろう、とジャムカは見当をつけた。男にしては小柄であるから、あるいはシグルドではないかもしれないが、数少ない矢が、全くの無駄になるという事もあるまい。
 
 馬上の人物に狙いをさだめる。この距離であれば、たとえ気付かれても外しはしないだろう。
 ‥‥‥と、やはり物音と気配に気付いたのか、相手がこちらを向いた。
 驚きの声が上がる。
「ジャムカ!?」
 自分の名を呼ぶその声を聞いて、一瞬動きをとめた。

「なっ‥‥‥‥」
 ‥‥‥エーディン?

 思いもよらぬ者の声に手元を狂わせ、つがえられていた矢が放たれた。
「‥‥‥!」



「‥‥‥避けろっエーディン!!」
 思わず、ジャムカは叫んだ。その声に、エーディンは反射的に身を竦めた。矢はかろうじて彼女の頭上をかすめる程度にとどまり、奥の木に突き刺さった。馬が、高く嘶く。
 ‥‥‥ジャムカは安堵の息を洩らした。だが、すぐにそんな場合では無いと気付いて舌打ちする。戦の最中に、自分は一体何をしているのか。

「どうした、何かあったのか!?」
 馬の鳴いた声が聞こえたのか、立派な身なりの槍騎士がエーディンの元へと駆け付けて来た。
 ユグドラル大陸東部、トラキア地方北部の小国レンスターの王子、キュアンである。シグルドの妹エスリンの夫である彼は、親友でもあるシグルドの出撃に伴い、妻と共にその救援に駆け付けていたのだった。
「くっ‥‥‥」
 呻いて、ジャムカは携えていたナイフを抜くと、キュアンに相対した。エーディンが止める間もなく、目の前で短剣を構えたヴェルダン人らしき見知らぬ青年を見て、キュアンが鋭い一撃を繰り出す。
 いくらジャムカがその扱いに慣れていたとはいえ、彼の得物は弓であり、ナイフや短剣はあくまで護身程度のものだった。並の騎士ならまだしも、短剣一つで槍騎士ノヴァの直系であるキュアンの槍を止められるはずもなく、ジャムカは右肩に鋭い一撃を受けた。
 服に、赤黒い染みが広がっていく。
 ジャムカはその場に膝をついた。愛用のナイフが手からこぼれ落ちる。

 これまでか。そう思いながら、「死」に逃げるのも悪くはないかと、そう考える。
 死に場所がこの森なら、文句はない‥‥‥。


 キュアンが、さらに一撃を加えようとした時、突然、エーディンが二人の間に割ってはいった。

「キュアン様、お待ち下さい!」




 愛馬の手綱を突然エーディンにひったくられた後、慌ててその後を追って来たシグルドは、やがて奇妙な場面に出くわした。

 一人の見慣れぬ青年が、樹の根元に腰を降ろしている。その青年が右肩に負った傷に、横にいるエーディンはかがんでリライブをかけているらしい。いつやってきたのだろうか、キュアンは事情がさっぱり飲み込めない、と言った顔で頭の後ろに片手をやってその場に佇んでいた。青年が受けた傷が、キュアンの槍によるものだと気付いて、シグルドは青年の元に歩み寄った。
「君が‥‥‥ジャムカ王子だね?」
 確かめる様にいって、改めて青年の姿を眺めてみる。

 褐色の髪に、日に焼けたやや浅黒い肌。髪と同じ褐色の、澄んだ瞳。
 顔立ちは整っている方だと思うが、線が細い訳では無く、むしろ精悍そのものだ。今は状況が状況であるせいか疲労と焦躁の色が濃いが、往時に彼が先頭に立って軍を指揮する姿を想像すると、グランベルの騎士達のそれとは異なる雰囲気のせいもあるだろうが、ひどく鮮烈な印象を受けた。

 どことなく風格もあり、初対面の相手に、それなりの身分だと言って通用しそうだ。何よりエーディンがキュアンからかばうような人物と言うと、彼女を助けたというこの国の第三王子以外に、彼には心当たりは無かった。もっとも、当のエーディンは今青年の傷の治療の真っ最中で、彼が問いかけても答えてはくれなそうだった。

「‥‥‥‥。」
 青年の沈黙は、この場合おそらく無言の肯定なのだろう。そう考えて、シグルドは、「ジャムカ」に向かって自分達に協力してもらえるよう申し出た。


「私達がここへ来たのは侵略が目的ではない。エーディンを取り戻すために来たんだ。勿論、エバンスに到着した時に、本国から「討伐せよ」との指令は受けたが‥‥‥」
 『討伐』と言う言葉で気を悪くしたなら許してほしい、と付け加えて、続ける。
「君が国王の説得に力を貸してくれるなら、陛下に和平を働きかけてみるつもりだ。」
 その言葉に、ジャムカは初めてシグルドに反応らしい反応を返した。とはいえ、それはどんなものかと言うと、頭を振って低い声で答えただけであったのだが。

「説得など‥‥‥ここに至るまでに何度試みた事か。父は、もうかつての賢王じゃない。誰が何を言おうと無駄だ。そして説得が無理な以上、俺はあなた達を先に進ませるわけには行かない。協力は断わる。‥‥‥殺せ。」
 シグルドは言葉に詰まった。しばらく思案にくれた後、やがてまた口を開く。
「だが‥‥‥どちらにせよ私達は進撃しなければならない。主命なのでね。そうすれば、君の父上との戦いは避けられない。バトゥ殿は、知っての通り今までは確かに我が国と友好関係を築いておられたんだ。エーディンが無事に戻った以上、私にはこれ以上の戦いは忍びない。‥‥‥どうか、もう一度、話し合ってくれないか?」
「‥‥‥‥」
 ジャムカは下を向いて黙り込んだまま、返事をしない。シグルドが困った様にそれを見つめていると、おもむろにエーディンが立ち上がった。
 どうやら治療は済んだらしい。

「シグルド様。少し‥‥‥二人で話をさせて下さいませんか?」



「‥‥‥随分無茶をするもんだな。君が乗馬ができるとは知らなかった。」
  シグルド達が立ち去った後、ジャムカは開口一番、皮肉気にそう言った。顔をあげず、エーディンの方を見ようとはしない。
 「無茶」と言うのは、エーディンがシグルドの馬を使って囮になった事を言っているのだろう。エーディンは言い返した。
「無茶はあなたの方よ。たった一人残されたからと言って、シグルド様を狙撃しようなんて。」
「俺は軍人だ。役目がある。‥‥‥君は違う。」
 無意味な反論をしてから、思い付いたように口を開く。自分の手元の弓に目をやりながら。
「‥‥‥狙撃の事がばれてた、って事は‥‥‥ザハにでも聞いたのか?この弓の事を。」
「‥‥‥‥。」
 エーディンの表情を眺めて、ジャムカは苦笑し、ぽつりと洩らした。
「‥‥‥余計な事を。」
 エーディンは答えなかった。


 顔を上げないまま、ジャムカは再び口を開いた。
「‥‥‥何故、こんな所にいる?これ以上関わるなと言った筈だ。」
 咎められても、エーディンは一歩も譲る気がない様だった。
「‥‥‥私のせいで、多くの人を巻き込んでしまった。見届ける事もせず、ユングヴィで一人安穏とはしていられない。」
「‥‥‥剣も扱えないプリーストが、軍に残って何が出来るというんだ?」
 ジャムカは皮肉を言ったが、エーディンにひるむ様子はなかった。
「そうね、戦場でなら私は大して役にたたない。けれど、私には傷付いた人の治療ができる。何より、この戦を終らせる為にいるんだもの。‥‥‥あなたもよ、ジャムカ。」
 迷いなく言い切られて、ジャムカは一瞬、言葉に詰まった。思わず顔を上げると、エーディンは続けて問いかけた。
「バトゥ王を説得しに行ったんでしょう?‥‥‥何故、あなたがここにいるの?」
 彼女の問いに、しかし先程シグルドに言った時と同じ表情で、ジャムカは答えた。再び俯いて、視線を地面に落とす。
「さっきシグルド公子に言った通りさ‥‥‥。今、王宮を制しているのはサンディマ‥‥‥あの魔導士だ。」
 そう答える彼の声にあるのは、無力感ばかりの様だった。

「親父は奴の言いなりだ。‥‥こうなるまでに、あいつをさっさと追出していれば、こんな事にはならずに済んだかもしれないのにな。否、『俺が』迷っていたのかもしれない‥‥‥。グランベルの見下した態度には、誰でも一度は腹を立てるものだからな。」
 言って、一瞬、力無い苦笑いを浮かべる。エーディンは何も言い返さなかった。
「‥‥‥それでも、何度も止めようとした。この戦いで得るものなど何一つない。だが、結局聞き入れてはくれなかった。」

 ジャムカは言葉を続けた。全て話してしまう事で、迷いを全て吐き出してしまおうとしているかのようだった。
「止められやしなかった。そんな事を思ううちに、多くの兵士が命を落とした。‥‥‥本当なら、迷う事すら俺には許されていなかったんだ。俺には、向かってくる相手がいる以上、それを討たなければいけない義務がある。それすら出来なくなった今‥‥‥俺がここにいる事に、何の意味がある?」
 自嘲気味に言い放つ。エーディンはジャムカをじっと見つめた。

 初めて会った時に彼女が強く惹かれた、湖の様に澄んだ褐色の瞳。それは、ジャムカが俯き加減で話しているためか、今は翳るばかりだった。
 エーディンは、静かに言った。

「あなたは、何のために戦ったの?」



「?だから‥‥‥」
「違うわ。私が聞いているのは『ヴェルダンの王子として』ではなくて、『あなた自身はどうしたいのか』。」
 ジャムカは思わず顔を上げた。何かを言おうとすると、それを遮ってエーディンが再び口を開く。

「あなたが『王子』であろうとするのは何のためなの?あなたがその弓を手にしているのは何のためなの?‥‥‥あなたがここで命を捨てる事、それこそ一体何の意味があるの?」
「‥‥‥‥‥」
「あなたがここで命を落としても‥‥‥何も戻っては来ないわ。この国に残された人達もそのまま。そして、和平が成立しないならば‥‥‥この国は本当に無くなってしまう。」

 エーディンの言葉は静かだったが、その一言一言ははっきりジャムカの耳に届いていた。こんな時に奇妙な気分ではあったが、澄んだ声がひどく心地良く思える。
「ここを守りたいんじゃなかったの‥‥‥?」

 ‥‥‥急に、ジャムカは頭の中にかかっていたもやが晴れた様に思えた。思考を遮るものの無くなった脳裏に、エーディンの言葉の一つ一つが飛びこんでくる。
 お願い、力を貸して。エーディンはそう言うと、言葉を切ってジャムカの言葉を待った。その双眸は、まっすぐにジャムカを見つめている。今度ばかりは、目を逸らしようがなかった。

 改めて見て、自分に向けられるその瞳を、ジャムカは綺麗だと思った。


 ‥‥‥なんだ。こんな簡単な事だったのか?
 あの男を殺してでも、親父にわからせればいい。それだけだ。
 逆らう事になろうと、構わないではないか。無意味な戦を続けるよりは。無駄に血を流すよりは。

 目に見えぬ鎖に縛られる必要など無い。
 見栄も体裁も下らない―――「命も惜しまぬ」と、本当に思えるのなら。


 やがて、ジャムカは大きく息をついた。



「‥‥‥率いる軍は壊滅状態、その上敵軍を手引きし、国王の側近に刃を向ける‥‥‥反逆だな、これは。さもなきゃ生き恥か。あるいはここで死ぬ方が楽かもしれないが‥‥‥まぁ、いい。」
「‥‥‥‥」
 目を伏せ、微苦笑を浮かべて自嘲気味にそう呟いた後、不安な心持ちで自分を見ているエーディンに、顔を上げてジャムカは言った。

「君がそこまで言うのなら―――手を貸そう。親父はあの男が居る限り、軍を収めない。‥‥‥俺は奴を殺す。その為に、君達に協力する。‥‥‥‥否、『協力してもらう』か。たとえ裏切りの汚名を着ようと、誰にも邪魔はさせん。」
「‥‥‥ジャムカ」
 口を開きかけたエーディンに、ジャムカは「その代わり」と続けた。
「親父に戦を続ける意志が無くなった場合、一切の危害を加えない事、これについて君と、シグルド公子の確約が得られない限り、俺は一切の協力を断る。‥‥‥これ以上、この国に災いをもたらす者は、何人たりとも許しはしない。たとえ、君でもだ。」
 警告の意志をこめて、険しい目つきでエーディンを見返す。が、エーディンは一も二も無く、嬉しそうに答えた。
「ええ、ええ、勿論よ。‥‥‥ありがとう、ジャムカ。」
 ‥‥‥‥無邪気にそう言ったエーディンを見て、ジャムカはやや毒気をぬかれたようだった。

 ありがとう、か。

 ジャムカは胸中で呟いた。
 いつの間にか、ひどく気分は冴え渡っている。

 ‥‥‥こっちの台詞だ。


 鎖は断ち切られた。


 
 
 

Continued.



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