06.別れ 


「‥‥‥鍵は?」
「持って来た。大丈夫だ。」
 ザハの問いに、ジャムカが小さく答えた。

 ジャムカの元にキンボイス殺害の報が届いた翌日の夜。僅かな間、見張りの抜ける時刻である。
 松明の明かりを受けた牢の岩壁は、ひんやりとした感触をたたえていた。薄暗い通路を、二人はそっと中へと進んだ。薄暗い通路を静かに歩いて行くと、やがてジャムカは目的の人物を探し当てた。
「エーディン‥‥‥起きてくれ。」
「‥‥‥ジャムカ!?」
 牢の中で、眠っていた金の髪の僧侶が目を覚まし、驚きの表情を浮かべた。ジャムカは「静かに」、と注意する。
 ザハは鍵束をジャムカから受け取ると、牢の錠を開け始める。それを横目に見ながらジャムカが再び口を開いた。
「これから君を街の外まで連れていく。‥‥‥グランベルのシグルド公子が近くまで来ているらしいから、街道を逃げて合流しろ。夜道を行く事になるが‥‥‥昼間だと人目につく。我慢してくれ。」
「シグルド様が‥‥‥?」
 エーディンは少し考えた風な顔をして、やがてジャムカに問い掛ける。
「‥‥‥あなたはどうするの?」
「俺はザハと二人でヴェルダンに戻ってもう一度親父を説得する。‥‥‥これ以上の交戦は何の益にもならない。」
 それが、ここに至るまでにジャムカ達が出した結論だった。


「開いたぞ。‥‥‥それよりジャムカ。このお姫様一人で無事にグランベル軍の所までたどり着けるのか?」
 牢の扉を開け、ザハが口を挟んだ。言われて、ジャムカが考え込む。と、向かい側の牢に入っている人物が声をかけて来た。
「おいらを出してよ。エーディンさんを、シグルド公子‥‥だっけ?その人の所へ連れていけばいいんだろ?」


「デュ−?あなた‥‥‥」
「あれ?お前、昼間の盗賊小僧か?」
 ザハは意外そうな顔で、声のした方を振り向いた。
 鉄格子の向こうの少年は、むしろ場違いな、人なつっこい笑みを浮かべている。ジャムカが訝しげな表情を見せると、エーディンが「話し相手になってくれたの」と言った。
「おいらが一緒なら、森の中も抜けられるよ。逃げたのがばれても、エーディンさん一人だと思って追手の目も街道沿いを行くんじゃない?」
 エーディンがその言葉に続く。
「ジャムカ‥‥その子を出してあげてくれませんか?一人で行っても、辿り着く自信がないわ。」

「‥‥‥ザハ。その錠も開けてくれ。」
 ジャムカは少し考え込んだ様だったが、やがて口を開くとそう言った。ザハが言われるまま、少年の入っている牢の扉を開ける。中から出て来た少年に向かって、ジャムカが言った。
「名前は?」
「デュ−だよ、王子様」
「『ジャムカ』でいい。いいか、解放してやる条件は2つだ。一つは、二度と盗みは働かない事。もう一つは‥‥‥エーディンを必ず、ジェノア方面にいる筈のグランベル軍へと送り届ける事。無事にな。‥‥‥出来るな?」
「勿論。わかったよ、ジャムカ。」
 笑顔で少年が答える。その時、牢の出口の方からザハが「早くしろ」と声をかけた。
 ‥‥やがてジャムカは二人を連れて、薄暗い牢を後にした。


 

 街の入り口まで来ると、ジャムカはかぶっていたマントのフードを外した。「急ごうよ」と既に少し離れた場所に居て声を上げているデュ−を後目に、エーディンの元に歩み寄る。
「必ずこんな戦は終わらせてみせる。そうしたら、もう‥‥‥俺達には関わらないでくれ。」
 暗い表情だった。戦いをしかけたのは彼等の方ではあったが、そう言ったジャムカの心中は察するにあまりある。エーディンも悲しげな顔になった。
 ジャムカが再び口を開く。
「‥‥‥これを。」
「この花は‥‥‥」
 ジャムカが差し出したのは、青い花を模した木彫りのブローチだった。ブローチを受け取ると、エーディンは不思議そうな顔でジャムカの顔を見返した。
 暗闇の中で、エーディンの繊細な顔立ちが薄らと浮かび上がる。ジャムカはそれを見ながら、低い声で言った。
「もう、あの場所へは連れて行けない。‥‥‥受け取ってくれ。」
「‥‥‥‥。」
 エーディンは無言でブローチを握り締め、踵を返してデュ−の方へと小走りに走っていった。
 ジャムカは少しの間二人を見送っていたが、やがてザハが先を急ぐ様促すと、「ああ」と短く答えて歩き出した。

 ほんの一時、立ち止まって振り返る。


 もっと違う形で出会えていれば良かったのだろうか。
 ―――否。
 出逢う事が出来たからこそ。
「これで‥‥‥終わりにしてみせる。」


「‥‥‥エーディン、君とはもう一度会いたい。その時は‥‥‥」


「オイフェ、城下の様子はどうだ?」
「キンボイス王子はよほどの悪政を行っていた様ですね‥‥‥‥城下の人々も大分落ち着いたようです。そろそろアーダンさんあたりの部隊に守備を任せて、マ−ファへ進軍を始めてもいい頃だと思います。」
 まだ13才程の少年は、問いかけにすらすらと答えてみせた。
 その言葉を受けて、少年をオイフェと呼んだ、涼しげな青い瞳の青年―――シアルフィ公子シグルドは、頷いて出撃の準備をするように伝えた。
 オイフェが部屋を出ていくのと入れ違いに入って来たのは、翡翠の髪と瞳を持った青年である。青年はシグルドの元へと歩み寄った。

「‥‥‥やぁ、ミデェ−ル。今、出撃準備をする様に伝えた所だ。エーディンはマ−ファ城にいると聞いている‥‥‥待たせてすまなかったな。一刻も早く助けに行きたかっただろうが。」
 シグルドの言葉に、ミデェ−ルは首を振った。

「いいえ、シグルド様には本当に御迷惑をおかけしています‥‥‥軍に同行したいなどと、我が侭を言ってしまって、申し訳ありません。本当なら、ユングヴィの守りにつかなければならない身でしたのに‥‥‥」
 生真面目なその返事に、シグルドが苦笑して再び口を開いた。この性格には、エーディンも随分と思うところがあったのだろう。
「否、我が軍に弓使いはいないし、君に参戦して貰えて助かってるよ。‥‥もう、体調はいいのか?」
「ええ、もう完全に。‥‥‥あの時‥‥‥負傷したその時に、エーディン様に傷は塞いで頂きましたから‥‥‥。」
「そうか。」
 シグルドは様子を見てそれだけ言うと、ミデェ−ルにも出撃準備をするように勧めた。やがて、ミデェールは、一礼して部屋を去っていった。


「おーい、アゼル。」
 ヴェルトマ−公子、アゼルを呼び止めたのは、彼の友人―――彼と共に、ヴェルダン討伐に向かうシグルド軍に同行を申し出た、ドズルの公子、レックスだった。
「もう準備できてるのか?早いなぁ‥‥‥出発は明日だぞ?」
「明日とは言っても朝早くだよ。‥‥‥支度が出来てたって別におかしくないだろ。」
 わざわざ声をかけてきたレックスの意図に気付いて、アゼルの答える声はやや険悪な調子になった。レックスの方はと言うと、アゼルの反論などどこ吹く風で、さも今思い付いた様に、白々しく言った。
「‥‥‥ああ、そうか。そういや次の目的地はマ−ファ城だったし、当たり前か?」
 アゼルが友人の顔を睨む。やや幼く、穏やかで繊細さを感じさせるその容姿の中の、その髪と同じ炎の様な緋色の瞳がレックスの方を向いた。
 しかし、どんなに睨んでみた所で、レックスにとっては彼の瞳の緋色は激しく燃えさかる業火ではなく、穏やかで温かい暖炉の炎の様にしか思えないのである。

「‥‥それ、どう言う意味?」
 アゼルのきつい視線も気にせず、レックスはしれっと言い放った。
「エーディンはマ−ファのガンドルフがさらっていったって言うからな。お前も知ってるだろ?」
「僕は別にっ‥‥‥」
 アゼルはむきになって反論しようとする。‥‥が、言葉が続かなかった。夕闇の中に浮かび上がる、青空の様な髪をした青年は、面白そうにそれを眺めている。やがて、怒った様にアゼルが口を開いた。
「‥‥レックスも早く支度しろよっ。」
「はいはい。わかってるよ。」
 苦笑して、レックスは歩き出した。
 ‥‥‥全く。あれで隠してるつもりかねぇ?あいつは。

 ―――アゼルがエーディンに想いを寄せている事は、半ば公然の秘密だった。


 部屋で戦仕度を整えたガンドルフが広間へ向かおうとした時、部屋に一人の兵士が飛び込んで来た。‥‥‥牢屋で番をしている筈の兵士だ。
「どうした?‥‥何があった?」
「ユングヴィの、エーディン公女が‥‥‥」
 そこまで言った所で、今度は別の兵士がやってきて、ジャムカ達が城を出たと報告する。
 おおむねの事情をそれとなく察して、ガンドルフは忌々し気に吐き捨てた。
「あの馬鹿‥‥‥公女を逃がしたな。」
 すぐに兵士の一人に追手を差し向ける様に伝える。しかし、またもや慌ただしく別の兵士が飛び込んで来た。

「ガンドルフ様!グランベル軍がこちらへ向かっていると言う情報が入りました!」
 立て続けに飛び込んでくる報告にガンドルフは頭を抱える。が、すぐに落ち着きを取り戻すと、準備の整った一隊をグランベル軍へと向かわせる様に指示を出し、残った兵士に残りの兵力で守備を固める様に伝えた。

 

 ‥‥‥何かがおかしい。そう感じずにはいられなかった。戦いが始まった時、自分達は有利だったはずではないか。その状態を維持するための策は、本城にいるあの魔導士が考えていたはずだった。それなのに、今、彼は窮地に立たされている。

「くそっ‥‥‥嫌な予感がするな‥‥。」


 
 
 

Continued.



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