05.呼び名 


 翌日、エーディンは再び町へと出た。
 同行しているのは、ザハという名の青年である。ガンドルフが二度と許可するとは思えなかった要求が受け入れられたのは、彼が同行を申し出てくれたせいらしい。
 ジャムカ曰く、
「どうせ、美人と二人で町を歩きたいだけだろ。」


 ザハはジャムカと仲が良い様子だったが、ガンドルフがそれでも軽々しく扱えないのは、おそらく有能で地位のある青年だからなのだろうとエーディンは考えた。だが、エーディンに話し掛けてくるその気さくな様子からは、あまり近寄りがたい雰囲気と言うのは感じられない。
「良い町でしょう?ユングヴィほど華やいではいないでしょうが‥‥‥」
 ザハのそんな言葉に、エーディンはすぐに答えた。
「そんな事はありません。どんな国でも、人心に澱みさえなければ町は活気づきます。‥‥‥こんな時ではあるけど、バトゥ陛下が、人々に慕われている証拠だわ。」
 笑顔で答えられ、ザハは少々意外に感じた。

 へぇ‥‥‥一応、捕虜になっている身だって言うのに。結構な器だ。グランベルの姫君なんて、どうかと思ってたんだけどな。

 ヴェルダンは一般に「蛮土」として蔑まれ、あちこちで偏見を持たれている。そのためか、他の国の貴族達など、彼の国を蛮族の住む未開地だと見下すものが多かった。ザハがエーディンの態度を意外に感じたのも、無理からぬ事だった。


 不意に、エーディンが呟いた。
「あの人は‥‥‥」

 エーディンの視線の先にいたのは、銀の髪の少女である。その神秘的な雰囲気は、エーディンが前日森で妖精と見間違えた人物のそれと同じであった。
 突然足を早めたエーディンを、ザハが慌てて追いかける。
「どうしました?突然。」
 やがて追い付いてから、ザハはエーディンに声をかけた。
「あの人‥‥森で見たわ。」
「‥‥‥人?」
 エーディンの言葉に、ザハはその視線をエーディンと同じ方向へ向けた。
 エーディンはその先にいた少女の方へ歩み寄り、声をかけた。


 紫水晶のような輝きの美しい銀の髪を持ったその少女は、名前を教えてくれなかった。森に居た事についても、訪ねてはみたものの、あまり話したがらない。何か事情があるのだろうと思い、エーディンは軽々しい詮索を避けた。
 一方で、好奇心の塊のようなその少女の方は、エーディンの話をやたらと聞きたがった。思わず道端で話し込みそうになる娘二人を見て、ザハは自分の行きつけの店へ少女とエーディンを連れていく事にした。

 エーディンは、知る限りの様々な話を少女に聞かせたが、少女がとりわけ興味を示したのは、彼女の幼馴染み、シアルフィの公子シグルドについてだった。
 清廉で勇敢な騎士の話。エーディンは憧れるような目で自分の話を聞いている少女に、何処か悲しげなものを見た気がした。儚気な少女の雰囲気からは、抜け出せない運命の中に居る‥‥‥そんな感じを受けるのである。
 しばらくして、やがて、少女は「もう戻らなくては」と言うと、エーディン達に礼を言って去っていった‥‥‥。


 少女と別れてから、エーディンは再びザハと町を歩き出した。
 エーディンは、城を出る前のザハとジャムカの様子を思い出し、仲が良いのか、と訪ねた。ザハは笑いながら、「腐れ縁ですよ」と答える。
 エーディンも笑ったが、やがてふと思い付いた事を口にする。
「あなたの笑った顔、ジャムカとよく似てるわ。」

 普段はそうでもないのにね、と付け加える。すると、ザハは意外そうな顔で、妙な事を聞き返してきた。
「彼が、笑ったんですか?」

「ええ‥‥どうして?何か、変な事でも?」
「いえ‥‥‥」
 エーディンが首を傾げて問い返したが、ザハは言葉を濁して、黙り込んでしまった。

 ヴェルダンにサンディマが現れ、グランベルとの関係が不安定なものとなって以来、ザハはジャムカが明るく笑った所を見ていなかった。澄んだ瞳の奥には常に苦悩の色が隠され、思い悩んでいる様が伺えた。
 しかし、ジャムカが森でエーディンと会った事を自分に話した時も、どことなく表情が安らいでいた事を思い出す。
 あいつ‥‥‥。

 ふと、エーディンの方を見る。ヴェルダンでは滅多に見られない、金の髪と透き通った白い肌を持ったプリーストの乙女は、まだ怪訝な顔をこちらに見せていた。
「なんでもありませんよ」
 そういって微笑んでみせる。エーディンは疑問符を浮かべたままの表情だったが、「そう?」と言っただけで、何も聞いてはこなかった。
 
 二人は尚歩き続けた。やがて、エーディンがある一つの事を思い出し、ザハに訪ねてみた。この青年ならば知っているのではないかと思っただけであって、ほんの気まぐれ以上のものではなかったのだが。
「ジャムカの持っていた弓‥‥‥あの弓は?」

 ザハの表情が、変わった。


 正確には、雰囲気が変わったというべきだろうか。話すべきか否か、迷っている様だ。
 先程よりいささか真面目な面持ちでエーディンの方をしばしじっと見つめた後、やがてザハは口を開いた。彼が口にしたのは、弓についてではなかった。
「彼には‥‥‥ジャムカには、ヴェルダンの民による二つの呼び名があるんです。御存じですか?」
「‥‥‥呼び名?」

 急に、何の話をしているのだろう。怪訝な顔をするエーディンに何を説明するのでもなく、ザハは淡々と話し始めた。
「ええ。一つは、その弓の技量を評してつけられた‥‥『神技の王子』」
 言われて、エーディンは、射止められた小さな深紅の花びらを思い出した。ユングヴィの名だたる騎士達でも及ばないであろうその腕は、確かにその二つ名に相応しいかもしれない。
「多分、大陸でも有数の使い手でしょう。ここは狩人の国‥‥‥『鳥の目も射抜く』、などと言う人間も居ます。‥‥‥私は彼が実際にそんな事をしたところを見た事はありませんがね。」
 すこし苦笑して、言葉を続ける。
「そして、もう一つ。」
「‥‥?」
「もう一つは‥‥『魔弾の射手』。魔に魅入られた矢を放つ、人に死をもたらす禁忌の弓使い。」


「ジャムカの弓の名は、『キラーボウ』。この国で作られたものです。」
 返す言葉を無くしたエーディンに構わず、ザハは話し続けた。
「‥‥‥この国は狩人達の国。当然、その弓術は狩猟生活の中で発展しました。あなたがたの『騎士の弓術』とは、やや認識が異なるのでは?」
 問われて、エーディンはジャムカの構えに対して感じたかすかな違和感を思い出す。
「‥‥‥キラーボウは『狩人の弓』。大きさはせいぜいがショートボウより大きいかどうか、だがその威力は並の弓じゃ到底かなわない。良質の木に獣の腱を裏打ちし、骨や角とも合わせて威力強化されています。丈夫なこと比類ないですし、徹底的に軽量化され、照準も素早く合わせられる様に作られています。ただのショートボウでは、軽いし森の中にいてもかさ張らないが、威力は低い。だが、あの弓は軽いだけじゃない、尋常じゃない威力だ。そうですね‥‥‥一般の弓の、半分の重さもないんじゃないでしょうかね。といっても、彼は修理する者以外、他人にはあの弓に触れさせませんが。」
「半分もない‥‥?でも、それで威力強化したのでは、かなり扱いにくいのではないの?」
 エーディンは口を挟んだ。ザハが感心した様に続ける。
「流石は弓の国の姫君。‥‥‥使い手にもかなりの技量が要求されますよ。それに、筋力もいる。かなりのね‥‥‥。威力を考えて作られただけあって、ショートボウでは仕留められない大型の獣でも、狙いさえ正確であれば容易に仕留められる程ですから。」
 言って、小さく肩を竦め、ザハは小さく苦笑した。

「‥‥‥昔、ジャムカが『稽古で痛めた』と言っては、人に世話をかけるのは悪いからと、しょっちゅう 私に手当てをさせてたんです。いい迷惑でしたよ。まぁ、それはともかく‥‥‥よく、指を痛めていたんです。皮手袋を付けている筈なのに、かなりひどい傷の時もあって、一体どんな稽古をしてるのかと訝ったものですが‥‥‥一度、『ちょっと持っていてくれ』と手渡された時に、試しに弦を引いてみようとしたんです。‥‥‥どうなったと思いますか?」
 問われて、エーディンは首を振った。聞き返すまでもなく、すぐにザハは答えた。苦笑しながら。
「素手で引くもんじゃありませんでしたよ。ひどく固かったんで、無理をしたら‥‥‥指が、切れました。」
 言って、右手の指を目の高さまで掲げて軽く振ってみせる。 
「つくづく、とんでもない代物だった。まぁ、『引いた』と言えるほど引く事もできませんでしたから、少々血が滲んだ程度ですが。‥‥‥無茶をするなと、後で散々怒られましたよ。元々弓自体が固いだけじゃなかった。手入れをする所を見せてもらった事があるんですが‥‥‥あの弓、弦を外すと、逆に反るんです。」
 ‥‥‥‥エーディンが返す言葉も出ないうちに、ザハは話を戻した。
「‥‥‥正直な話、彼の手にあるキラーボウは、ユングヴィの名弓『勇者の弓』にも決してひけをとらないでしょう。あれは『狩人の弓』だ。狩人達の獲物である獣達は、人間よりもはるかに俊敏で慎重‥‥‥キラーボウはジャムカの手の中にあって、強靱な熊も、素早い兎も射抜く矢を撃ち出す。」 そういってから、ザハはエーディンの方にむかって、些か皮肉めいた笑みを向けてみせる。
「驚かれましたか?ユングヴィの物以上かもしれない弓が、こんな辺境の小国にある事に。」

「‥‥‥そんな事‥‥。」
 エーディンが否定しようとしたが、困惑するばかりで、かろうじて呟き返すばかりだった。ザハは気に止める風もなく話の先を語った。彼の視線は、何処を見ているともわからない。何を思って、こんな話をエーディンに聞かせるのだろうか。

「‥‥‥その威力故に人間を相手にするには過ぎた武器だ。あれで急所を射抜かれれば、まず助からない。そして、ジャムカは『神技』と呼ばれる技量の持ち主だ。」
 ザハはその先を口にしなかったが、その言おうとする事はエーディンにも理解できた。
 ジャムカは役目上、例えば収集のつかなくなった騒動、盗賊などの討伐でも戦場に立つ事はあっただろう。しかし、その弓と技量は、称えられると同時に恐れられるものでもあったのだ。

 ―――狩人の弓さ。

 ジャムカが自分の弓の名を言いたがらなかった理由。
 エーディンの頭を、小鳥に手を差し伸べていた青年の穏やかな表情がよぎった。

 自分が一矢で人の命を奪える弓使いである事実を口にするのが嫌だったから‥‥‥?


 ―――数刻後、城に戻ったエーディンは、あてがわれた自室でテーブルに置いてあるイチイバルを眺めていた。
 ユングヴィに伝えられる宝弓は、わずかに光を放っている。

 イチイバル。聖弓。聖戦士ウルの用いたと言われる神器。
 そして、ユングヴィの騎士達が愛用している勇者の弓。それは相応しいものしか扱う事を許されない、一種の勲章であった。
 しかし、エーディンが実際に目にして来た中で、最も優れた技量を持っていた青年の持つ弓は、そのいずれでもない。
「キラーボウ‥‥‥『殺しの弓』‥‥‥」
 小さく呟いた。


「でも‥‥‥彼は役目でその弓を取るのでしょう?自分達を守ってくれる人を、そんな風に呼ぶなんて‥‥‥。」
 エーディンの言葉に、ザハは首を振った。
「あなたの国の騎士達とは違うんですよ。ユングヴィの掲げている、聖弓‥‥‥イチイバルならどんな威力を持とうと、使い方さえ誤らなければ射手がそんな風に呼ばれたりはしないでしょうね。『勇者の弓』にしても同じ事。その力は、名誉であり、何より人々を導く『正義の証』でしょうから。しかし‥‥‥」
 ザハの表情が曇る。
「キラーボウは違う。あれは、一撃で人の命を奪う『死の弓』だ。」
「‥‥‥‥。」
「騎士達を誉めたたえる者が、殺し屋の技量を認めますか?弓聖の技に憧れる者が、死に神の力を欲しますか?‥‥‥『魔弾』とは、『悪魔の矢』。キラーボウと、その使い手の優れた技量は、恐怖の対象になるんですよ。それに‥‥‥想像なさってみるといい。」
 苦笑して、ザハは言葉を一度切った。
「この国の民は、狩人として自らも弓をとる。剣や槍とは違う、兵士たちだけのものではない、とても身近な道具だ。それだけに‥‥‥弓使いの戦士と聞いた時、考えてしまうのですよ。今、自分が兎や鹿に向けているこの矢が、もし、同じように自分に向けられていたら、と。」
 視線を逸らしたザハの顔から、笑みが消えた。
「‥‥‥弓をひく狩人であれば、つい、想像してしまう。木の陰から、茂みの裏から―――姿の見えぬ、気配すら感じさせぬ狩人のつがえた矢に、その存在に気付かぬ獣のように、己が獲物として狙われた時の恐怖を。それは、あまり縁のない剣や槍で狙われたときを思うよりも、よほど我々の背筋を凍らせる。戦場をしらぬ民間人であっても、容易に感じられる恐怖の源‥‥‥キラーボウは、禁忌なんだ。」
 ‥‥‥納得がいかない。そう思いながらも、エーディンは頭の片隅でその感情が理解出来る気がした。

 続けて尋ねる。
「何故、彼はあの弓を‥‥‥?あまり、気をよくしていない様子だったけれど‥‥‥」
「戦略上、それが一番犠牲が少ないからでしょうね。どんなものであれ、戦場では強さが必要だ。」
 ザハが答える。
 弓使いの役目は『後方からの援護』、そして『狙撃』。狙撃には極めて優れた能力を持ったその弓で相手の指導者を射止めてしまえば、敵軍はもうその形を為さない。降伏を呼び掛ける亊も可能になるし、指導者を失った軍は脆く、味方の犠牲は確実に減る。あるいは、たとえ一人でも相手に致命傷を与える事が可能であり、後方の自軍がいる場合には確実に有利になる―――

 ザハの説明をエーディンは黙って聞いていたが、やりきれない想いがその心中にはこみあげてきていた。
「‥‥‥キラーボウは彼の覚悟そのものだ。あの若さで、既に老いている国王の太子の地位に就く。多少なりとも責任というものを知っている人間になら、それがどれほどの重荷になるか。あなたもおわかりになるでしょう?」
 ザハはじっとエーディンの姿を眺めた。もっとも、その視線を受け止めるには、エーディンの方に覚悟が些か足りなかったかもしれない。
 彼の話によれば、彼等の内では民衆の支持というものは絶対なのだという。
 民が、直接に王を選ぶ訳ではない。だが、他の国とルーツを異にするヴェルダンは、閉鎖気味の国内で、民族の間の結束を固く暮らしていた。地方の一民族にはしばしば見られる傾向だ。当然、誰を自分達の長に据えるか、彼等の関心は高い。
 彼等の意に反した選択がなされれば、当然、国は乱れる。勿論、これはヴェルダンに限った事ではない。程度の差はあれど、古今東西、どの様な国でも見られる事だ。元々気性の荒い者の多いこの国では、特にそれが顕著に表れるらしい。
 バトゥは民に慕われ、荒くれ達をも従えてきた。それは、彼が穏健中正であるが故だ。その事実は、度々国境を侵し、蛮族と蔑まれてきたヴェルダンの民が、実際には少なからず平穏を希求している事に他ならない。
 そう説明を加えるザハの口調がやや厳しいものになったのを感じたが、エーディンは返す言葉を持たなかった。

「ジャムカも私も、陛下の穏やかな治世の元育ちました。他国の領土など、ましてや戦なんて望んではいない。民衆だって同じだ。野心家の軍人がいきり立ってむやみに戦をする事が、どれだけの国の害になる事か‥‥。」
 顔をしかめて、ザハは呟いた。やがて、思い直したように表情を和らげる。
「‥‥‥話が逸れましたね。詰まるところ、ジャムカには力が必要なんです。さっきも言ったとおり、キラーボウを使いこなすまで、鍛練を重ね、筋力をつけて、何度も手を傷だらけにして‥‥‥それでも手放そうとはしなかった。無力なままでは何も出来ないから、己の持ち得る力を求めた。たとえ、それ自体を望むのでなくても。彼の気質に反していても、ね。もっとも‥‥‥」
 言ってから、ザハはやや苦笑してみせた。
「森の守護と湖の恩恵をうけ、自然を崇めている私達が、その理に反せざるを得ないというのもおかしな話ですが。自分の身に危険が迫りでもしない限り獣が同族同士では争わない様に、狩人が狩るのも人間であってはならない筈なんでしょうがね。それを為すことで与える恐怖は‥‥‥先程、申しました通り。それでも、自分の誓いを貫こうとする限り、ジャムカはキラーボウを手放す訳にはいかない。‥‥‥それがたとえ禁忌であっても。真に人を脅かす者は人に他ならないのだから、それを『狩る』為に。」
 
 彼は、あの弓を「手放す事は出来ない」。


 ‥‥‥やがて、ザハは元の様に、友好的な笑顔を作ってみせた。
「さて、少しは御希望に沿う事ができましたか?」
「‥‥‥ええ。でも、どうしてこんなに詳しく聞かせて下さったの?‥‥‥私は囚われの身に過ぎないのに。」
 エーディンは不思議に思い、問いかけてみた。と、ザハは奇妙な目つきでエーディンの方を眺めて来た。エーディンが首を傾げると、小さく「失礼」と呟き、答えた。
「‥‥‥私は主の意に従うだけですよ。」

 ザハの返事は、エーディンには理解し難いものだった。主とはバトゥ王の事か、と訪ねると、
「陛下は‥‥‥まぁ、虜囚の身とは言え今の所あなたがガンドルフ王子の婚約者である限りは、この国を知ってもらいたいとお考えになるかもしれませんね。」
と答える。その口振りからすると、どうやらバトゥが望んでいるから話した、という訳ではないらしい。
「では、どなたが望まれているのですか?‥‥何故?」
 エーディンは再び問いかけたが、ザハは再び先程とおなじ奇妙な目つきを返した後、「いえ、大した事ではありません」と、言葉を濁していた。

 ‥‥‥‥やがて城に戻った後、エーディンはあてがわれた自室へと戻り、聖弓イチイバルを目にして、昼間の会話を思い出したのだった。


 エーディンは黄金の弓を眺めたまま、小さく溜め息をついた。

 ジャムカには、一体今の状態は、どう感じられるのだろうか?

 自身が傷を負うことも厭わないあの青年にとって、迷走をつづける祖国の姿を見ているしかないのは、剣で斬り付けられるよりもひどい痛みであるに違いなかった。


「おや?随分早いな、王太子殿」
 数日後の朝、ザハが起き出した時、ジャムカは何処かへ出かけようとしていた様だった。
 相変わらずのからかうような言葉で、ジャムカを呼び止める。

「城下町へ、注文しておいた矢を取りにな。それにしても‥‥‥その呼び方、どうにかならないか?」
 苦笑しながらそんな事を言って歩き出そうとしたジャムカに、ザハは同行を申し出た。
 曰く、
「城に居ても暇だしな。」


 ジャムカとザハの二人が城下町へ降りた時、町の人々が慌ただしく行き交っていた。
 ―――グランベル軍がエバンスにまで来ている―――ジャムカがその報告を聞いたのはつい先日だったはずだ。しかし、城下の民には、既にその噂が広まっていたのだろうか。

 ‥‥‥‥一刻ほど経って、辿り着いた職人の元で注文した矢を受け取った帰り道、ジャムカはふと立ち止まった。すぐわきの、店頭に並べられていたもの。
 青い花を模した、小さな木彫りのブローチだった。地元でも馴染みの薄い花だというのに、随分と稀なもの売っているものだ。
 それを見た時、ジャムカの脳裏に浮かんだのは二人の女性の顔だった。一人は花の事を彼に教えてくれた彼の母、もう一人は‥‥‥‥。
「‥‥‥何か見つけたのか?ジャムカ。」
「なんでもないさ。気にするな。」
 ザハは怪訝そうにジャムカの顔を見たが、ジャムカはそれきり何も言わなかった。


 しばらく街を歩き回り、二人が城へ戻ろうかと考え出した、その時だった。
「おっと!?」
 人にぶつかったザハが短く叫び、一瞬後に、その傍を、ぶつかった金髪の少年が走り抜けていく。その後を慌てて走り出したザハに、ジャムカが「どうした?」と声をかける。
「あいつ、盗人だ!財布をすりやがった!」
 ザハが走りながら後ろを向いて叫んだ。
 それを聞いて、ジャムカは自分の携えていたナイフを素早く鞘から抜くと、先を行く少年の足下へと投げ付けた。短剣とも呼べそうな大振りのそのナイフは、護身用に彼が常に持ち歩いているものである。
 地面にナイフが当たる固い音と共に、柄につまずいた少年が声を上げて転倒し、ザハは呆気にとられて立ち止まった。
「危ねぇなぁ‥‥‥」
 ザハは呆然と呟くが、当のジャムカの反応はあっさりとしたものだ。
「当ててないだろ?」
 しれっと答えると、呆れ顔のザハを無視して地面に座り込んでしまった少年の元へ歩み寄り、襟首を掴んで引き起こす。

「いてて‥‥‥‥。‥‥‥あーあ、失敗したなぁ‥‥‥」
 少年がぼそぼそと呟く。
 肩の下辺りまでのばした、癖のある金髪を紐でくくっているその少年を見て、ザハが思い出した様に言った。
「金髪の盗賊小僧‥‥‥‥ガンドルフ王子が財布盗まれたの、こいつか?」
「‥‥‥かもな。」
 二人の話が聞こえたのか、少年の顔色が変わった。「見逃してよ」と、情けない声を出す。
 どうやら間違いないらしい、と二人は顔を見合わせた。
「‥‥‥どうする?兄貴に差し出したりしたらただじゃすまないよな、やっぱり。」
「一日二日牢に放り込んで釈放してやったらどうだ?もう懲りただろ。」
 苦笑まじりに言うザハを見やって、「そうするか」と答えると、少年の襟首をつかんだまま、再びジャムカは城へと歩き出した。


 その日の夜。
 ジャムカは、自分の手の中のブローチに目をやり、苦笑した。
 昼間の店で購入していたものである。

 ‥‥‥どうするつもりだ?これ。
 自問する。答えはわかっているはずだが、それをする決心はつかない。
「‥‥‥馬鹿馬鹿しい。」
 
 そもそも、こんな事をした所で何の意味もないではないか。そんなことを思い付いてから、ブローチをテーブルに放り出し、ベッドに横になった。
 さっさと寝るか‥‥‥‥。
 次の瞬間。

「ジャムカ!まずい事になったぞ」
 血相を変え、ひどい勢いでノックもせず入ってきたのはザハだった。ひどく慌てた様子の友人を目のあたりにして、不躾な訪問を咎めるのも一瞬忘れ、上半身を起こして何事かと問い掛ける。
「今朝、俺達が出かけた後で連絡があったらしい。グランベル軍に、キンボイス王子が殺された‥‥‥ジェノアは落城寸前だ。」
 ジャムカは跳ね起きた。

「ガンドルフ王子に、今更エーディン公女を返す気はない。騒動の間に逃げられたら面倒だといって、夕刻彼女を牢屋に‥‥‥。それから、戦準備を始めていたそうだ。戦うつもりだ、あの人は!」
「なんだと‥‥‥?」


 
 
 

Continued.

 ※ウェーバー作「魔弾の射手」は、同じ狩人でも得物はおそらく「鉄砲」なんですが、まぁ気にしないで下さい。



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