一体、何の弓なんだろう?

 エーディンはジャムカの手にしたそれに目をやった。見慣れぬ暗褐色の弓は、青年の手の中であるべき所に収まっているかの様に見えた。
「ジャムカ王子、あなたの弓術‥‥見せていただけないかしら?」
 やがて、エーディンは思い付いた様に言った。ジャムカが少し意外そうに振り向く。
「見たいのか?‥‥‥ああ、ユングヴィのお姫様だからか?」
 そう言った後、まぁいいか と呟いて、近くに生えていた鮮やかな赤い花から、花びらを一枚摘み取った。手のひらよりはひと回り程小さいだろうか、割と大きい花弁だ。この地にはこんな花も咲くのかと思い、エーディンはその事を訪ねたかったが、馴れ馴れしいかもしれないと思うと少し憚られた。
 やがてジャムカが先に口をひらいたので、エーディンは結局花の事を問い掛けられずに終わった。

「その代わり‥‥‥「王子」と呼ぶのはやめてくれ。最近はそう呼ばれたい気分じゃない。」
 最近は、呼ばれたくない‥‥?
「‥‥‥わかりました。それなら、私の事も「エーディン」で結構です。」
 エーディンは微笑んで答える。
 ジャムカの言葉に引っ掛かるものを感じたのだが、あえて聞き返そうとはしなかった。訪ねても答えてくれない気がしたのだ。


 やがて、ジャムカは摘み取った花びらを小鳥にくわえさせた。小鳥はそのまま二人の正面を真直ぐに飛んでいく。
 どうするつもりだろう?
 ジャムカは矢筒から矢を抜き取り、弓につがえて構えた。
 弓をひくその様子も、どこかエーディンの知っている弓騎士達の弓術とは違った雰囲気である。
 ‥‥綺麗に弓をひくのね。

 動きやすい草色の麻の服に、暗褐色の弓、褐色の髪と瞳。その外見は、お世辞にも華やかであるとは言えなかったのだが。
 ユングヴィの弓使い達、中でも特に弓術に秀でたバイゲリッタ−に所属する騎士達は、一人一人が一部隊を指揮するだけの特権を認められている。そんな彼等は、確かに弓の腕は良いのだが、それ以上に周囲の指揮を高揚させる様な、見た目も気にした戦い方をする。つまり、時には不要とさえ言える芝居がかった行動も取るのだ。
 しかし、目の前の青年の弓術は、実用性を重視している様だった。

 エーディンの見慣れぬ、彼の手にしている暗褐色の弓は、徹底的に軽量化されている様だ。不要な装飾も何もかも、その身には一切施されていない。
 ジャムカの扱う、その手つきは慣れたものだ。しかし、やはりエーディンの知る騎士達のそれとは違う様に見える。

 そう、狩人の手つき‥‥‥って、あんな風なのかしら。
 そんな事を考えながら、エーディンは弓を引いて狙いを定めている青年を眺めやった。
 ユングヴィの弓術とは違う。しかし、目の前で構えた青年の姿、それはやはり美しかった。
 
 飾らない優しさ‥‥‥そんな感じね。マ−ファのお城を見た時と、同じ‥‥‥


 突然、矢が放たれた。
 再び風を切る音がしたかと思うと、正面にあった木に矢が突き刺さる。
「いつも、上手くいく訳じゃないんだが‥‥‥こんなものでいいのか?」
「え‥‥‥?」
 大きく息をついて振り返ったジャムカの言葉に、慌ててエーディンは矢の飛んでいった方へ目を向けた。

 矢の刺さった場所には、先程の小鳥が落としたらしい深紅の花びらが射止められていた。


 すごい‥‥‥
 エーディンは呆然として返事が出来なかった。エーディンの見たジャムカの技量は、ユングヴィのどんな騎士よりも優れたものだったに違いない。
 やがて、役目を終えた小鳥が再びジャムカ達の元へと戻って来た。立ち尽くしているエーディンの手元に舞い降りてくる。


 ‥‥‥‥あの鳥、怯えてないのか?
 ジャムカは内心驚いて小鳥の様子を見ていた。
 元来その小鳥は警戒心が強く、人には懐かない種類である。怪我を治してやったくらいでジャムカについて回るのが不思議なくらいだった。当然、彼以外の人間に懐いた事も無い。
 一度、彼の親しい友人と出逢った時など、怯えて全く近付こうとしなかったものだ。
 変わりものだし、ただ単に美人が好きなだけかもな‥‥‥そんな事を考えながらも、意外さを禁じえずにエーディンの方を見ていた。
 小鳥はエーディンの周りを飛び回っていたかと思うと、その髪をつついて引っ張り出す。どうやら、遊んでいるつもりらしい。ジャムカがそれをきょとんと眺める。
「きゃっ!ちょっと‥‥‥やめて!」
 エーディンは叫んだが、小鳥は髪を放さない。すっかり楽しんでしまっている。
「っく‥‥くくっ‥‥‥はははっ」
 ジャムカが笑い出す。エーディンは憮然としてジャムカの方をみたが、青年は笑いを堪える事が出来ない様だった。
 エーディンは一瞬気を悪くしたものの、ジャムカがこんな屈託の無い笑顔を見せてくれた事は、少し嬉しかった。


 ふと気付くと、たった今までエーディンの髪とじゃれていたはずの小鳥の姿が見えなくなっていた。きょろきょろと辺りを見回していると、やがて再び姿を現し、エーディンの元へと戻って来た。
 嘴には深い藍青の色をした花をくわえている。
「綺麗な花‥‥‥ありがとう」
「その花は‥‥‥。」
 小鳥に向かって微笑むと、ジャムカが何事か呟いた。エーディンが振り返ると、再び口を開く。
「‥‥‥気に入ったのか?」
「ええ。‥‥‥とても綺麗。こんなに青い花、初めて見ました。」
 笑顔で答えるエーディンに、ジャムカは少し考え込むような仕種をする。
 やがて、彼は「ついて来な。」と言って歩き出した。
 エーディンが、慌ててその後を追った。


 だんだん森の奥へと入って行く様だ。エーディンが何処へいくのか訪ねても、「もうじきわかる」とだけ答えて、ジャムカはどんどん先へ進んで行ってしまう。
 やがて二人が足を止めた場所は、エーディンの手にしたものと同じ、藍青の花の咲き乱れる小さな空き地だった。


「‥‥‥綺麗‥‥‥」
 エーディンは感嘆の声をもらし、かがんで幾つかの花を手にした。

 足下に咲き乱れた青い花が、、木漏れ陽をうけて輝いている。その様子は、さながら藍青の宝玉が地面に敷きつめられているかの様だった。木の葉を通した柔らかな日射しが降り注ぎ、深い青い色が次々に目に飛び込んでくる。
「良い所だろ?」
 ジャムカの言葉に、エーディンは花を手に振り向いた。「ええ」と答えかけて、ふと、些細な疑問が沸き上がり、片手を唇にあてて考え込む。
「‥‥けれど、陽射しの弱い森の中に、どうしてこんなに沢山の花が?見た感じでは動物が荒らしてしまう様な事もないみたいだし‥‥‥」
 疑問を口にすると、ジャムカはやや皮肉っぽく、口の端をゆがめて笑った
「‥‥‥流石に、教養は深いな。城の本か、それとも教育係にでも教わった知識か?」
 何故、この男が自分に向ける言葉には、刺々しい響きが含まれる事があるのだろう。エーディンは気分を悪くしたと言うより、むしろ質問した事を責められた様な気になって、僅かに首を竦めた。
 ジャムカは気のなさそうな声で言った。
「‥‥‥確かに、森の中にこんな花が群生するなんて事は、知らない者には考えにくいだろうな。」

 日当たりは当然悪く、木々が密生したこの場所では、獣が通れば細い茎もすぐに折られて、全て萎れて絶えてしまうに違いなかった。だが、僅かな毒ももたない筈のこの花を獣達は決して踏み荒らす事が無く、降り注ぐ僅かな日射しは、それを決して枯らす事がないのだという。
「頭の堅い者なら、そんな花が存在する筈はないと言うんだろう。大体、色一つとっても、滅多に見られない種だ。青い花冠なんてな‥‥‥。‥‥‥だが、現にこうやって存在するんだ。ここを、人の知識で推し量ろうとするのが間違ってるのさ。」
 この土地には、数々の逸話が語られているという。その元となったのと同じ神秘性を持つ場所の一つは、確かにここであった。
「不思議な所ね。‥‥‥けれど、素敵な所。」
 何となく呟いたその言葉に、何故か、ジャムカは意外そうな顔をした。
「‥‥‥君の口からそんな言葉が聞けるとはな。」
 言って、微笑する。

 ―――単純な好意の表れではない。かといって、皮肉を言っているかの様な刺々しさも、そこには無い。
 寂し気な苦笑ともとれるその微笑みは、どうやら、エーディンが理解できる以上に複雑なものが含まれている様であった。エーディンは花を手にしたまま、ジャムカのその顔をじっと見返した。


 ジャムカは自分をじっと眺めている娘の顔を、奇妙な目つきで眺めかえした。
 変わった娘だ。そんな事を考えたとき、ふと、感じたことのない衝動が内に沸き上がって来るのに気付いて、戸惑った。

 この娘と もう少し話をしてみたい


 先ほどの小鳥がどこからともなく飛んできて、再びその嘴にくわえてきた藍青の花の一輪を、今度はジャムカの差し伸べた手の中に落としていった。自分の手のひらの小さな花に、遠くを見るような目を向けて、ジャムカは話し始めた。
「‥‥‥この花は、奇跡なんだとさ。」
 言って、手のひらを傾け、花を地面に降らせる。
「存在する筈のない花。たとえ皆にそう言われても、誰にも気づかれなくても、それは荒らされること無く確かに咲いている。青い色のその小さな奇跡は、まだ見ぬ幸福、いつか叶う願いの象徴なんだと。この森にしか咲かない、けれど、確かにそこには存在していると‥‥‥。」
 足下に目をやったまま、人に聞いた話をそのまま告げるかのように、どこか遠い眼差しでジャムカはそう話した。エーディンは、自分がかがんでいた側に落ちてきた花を拾い上げ、自分が手にしていた中にその花を加えて眺めやった。
「随分、詳しいのね。」
「‥‥‥俺の母親が好きな花だったんだ。今の話は小さい時に教えてもらった。」
 ジャムカがぽつりと呟いた。エーディンはジャムカを見上げた。

「あなたの‥‥‥お母さま?」
「ああ。俺が子供の頃、流行り病で死んだが。‥‥父親も、同じ頃‥‥いや、少し後か。」
 ジャムカは淡々と、そう続ける。
 エーディンは一瞬言葉に詰まったが、やがてふと思い付いた事を口にした。
「あの、ひょっとして、あなたと、ガンドルフ王子は‥‥‥」
「本当の兄弟じゃないさ。俺の父が、ガンドルフと‥‥‥ああ、もう一人キンボイスと言う王子が居るんだが‥‥‥その二人の兄だった。俺の母が亡くなってから‥‥‥2〜3ヶ月してからか。事故でな。‥‥‥この場所は母さんが教えてくれた。」
 ジャムカが無表情に続ける中、エーディンは黙って次の言葉を待った。
「今の父‥‥‥バトゥが、養子として俺を引き取ったんだ。王太子としての地位も継がせてな。」


 ジャムカが齢十程の頃だっただろうか。当時母を亡くしたばかりであった少年に起こった出来事は、当時、誰にとっても意外な事であった。
 彼の国では一代の英雄であった男が死んだという。自らの手で討ち果たした賊の残党だという男に刺されたと教えられ、腹部を血に染めて生色を失った父の姿を、ジャムカは他の者と同じく信じられない様な気分で眺めやっていた。だが、言葉を失ったまま自分を見つめる息子に、その男はやはり二度と応える事も笑いかける事もなかった。
 世継ぎを失い、ヴェルダンの王宮は一時騒然となった。
 現国王バトゥには、まだ二人の王子がいる。次男のガンドルフと、そして三男のキンボイスと。しかし、両者共に些か器にかけると判断したバトゥは、二人にマーファとジェノアの城をそれぞれ与え、しばし様子を見る事にした。
 父を失ったばかりの子供。バトゥはジャムカを養子に迎え、第三王子として自らの手元に置いた。
 幼かった少年は、甘やかされはしなかった。期待されていたのだろう。ジャムカの方はというと、彼も周囲の期待に応えた。
 しかし、それは周囲に望まれての事ではなかった。亡き両親が彼に託したものは、その記憶の中で失われずに残っていた。

 ジャムカの率直で正義感の強い人柄は、民に愛された。誰よりも弓術に秀で、軍事においては有能な将ともなって、若すぎるとの一点のみで彼は十年間太子の地位を授からずにいた。正式に世継ぎとなったのは、つい最近、二十歳を迎えてからの事だ。それにしても、まだ若すぎるとも言われていたのだ。実情はさておき、形式的には、彼以外に継ぐべき王子が居ない訳でも無いのだから、そう簡単に事を決める訳にはいかなかった。
 現国王のバトゥは既に高齢であり、如何に人望があろうとも、万が一の時に経験の浅い若者が王位に就くというのには不安がある。結局彼の地位が認められたのは、以前より彼に仕える、二歳程年上の、一人の有能な文官の存在の為だ。
 彼が、第三王子を補佐するのであれば。そんな経緯で二人は立場を固めたのだが、補佐に就いた文官の青年がジャムカの若さを補う程に有能であったと言うよりは、むしろ、年若い二人、合わせて一人前と見てもいいだろうとの周囲の感触が強かった様に思われる。

 二人の兄が、義理の弟を多少疎ましく思ったと言うのは、無理からぬ事ではある。だが、独自の文化を持ち、複数の少数民族が集まって出来た国の中で、彼等の結束は元々固いものでもあったし、生前の実兄に対してガンドルフにキンボイス、両名は共に一目おいていた。ジャムカがそれを継ぐに足る男となるならば、既に一城を与えられているのである、二人も殊更に異論を挟もうとはしなかった。
 何より、対外関係においてどこか閉鎖的なヴェルダンの主となって、グランベルやアグストリアと外交をするというのは、随分と重荷であった。バトゥの代になるまでしばしば小競り合いが続いていた現状を、ジャムカより遙かに年長の二人は自分の目で見ている。この先に起こるかもわからない苦労を、敢えて引き受ける事もなかった。

「実の父じゃない。それでも、優しい人だったし、何不自由なく育ててくれていた。勿論、跡継ぎという身分のせいも無い訳じゃなかっただろうが。‥‥‥俺の話も、昔から、よく聞いてくれた。」
 ジャムカの表情に、陰りがさした。澄んでいた瞳が、わずかに曇った様に思えた。
「今は‥‥‥どうしたんだろうな。以前なら、あんな事は‥‥‥自分から無用の争いを起こす様な事は、絶対になかった‥‥‥。」

 

 エーディンはしばらくじっとして話を聞いていたが、やがて何を思ったか、かがんだまま何かを始めた。花を摘み、何かを作っている様だ。
 ジャムカは不思議そうに、じっとその様子を見ていた。
 
 やがて、エーディンが、編み上げたばかりの藍青の花輪を手に立ち上がった。
 ‥‥‥僅かに露を光らせている花の冠は、青玉の様な深い色合いと、宝石の様な冷たく冴え渡った輝きとは違う、溢れる生気故の美しさの二つを合わせ持っていた。萎れてしまうまでの束の間の美しさだろうが、だからこそ余計に、ジャムカの目にはそれが地上のどんな宝よりも貴重なものの様に映った。 予想もしなかった事につい面喰らった顔をするジャムカの頭の上に、エーディンは無造作に冠をのせた。
「‥‥‥俺には似合わないな。」
 慣れない状況に、ジャムカは戸惑った様に頭に手をやって、苦笑した。
 しかし、エーディンは気にした様子もなく「そんな事ないわ」と微笑んで、一言口にした。

「あなたにも、いつか幸せが訪れます様に。」
 ‥‥‥何故か、ジャムカにはその言葉がひどく嬉しかった。


「‥‥‥ありがとう。」
 ジャムカは少し照れた様に微笑んで答えた。
 笑顔を返すエーディンをみてから、「もう戻ろう」と告げる。
「今頃大騒ぎになってるかもな。部屋から出られなくなるかもしれないぜ?」
 エーディンは「ええ」と答えて立ち上がり、歩き出そうとして何気なく振り返った。その時。
 ‥‥妖精‥‥?

 銀色の髪の女性の姿が見えた様な気がした。‥‥‥が、次の瞬間には、既にその姿は消えていた。
 気のせいだったのだろうか?
「どうした?」
 ジャムカが振り返って声をかける。
 エーディンは「何でもないわ」とだけ答え、ジャムカの後について歩き出した‥‥‥。


 
 
 

Continued.

 ジャムカの家族構成はTresureを参照して捏造してみました。



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