03.青い花 


 翌朝、エーディンが目をさますと、14、5の少女が部屋にやって来た。
 少女は「侍女の役を仰せつかった」らしい。簡素であるが丈夫そうな服を身に纏って、身の周りの細々とした雑用を手際良く片付けていった。
 くるくるとよく働くその姿に好感を持ったエーディンが家族の事などを訪ねてみると、話し相手になる事が嬉しかったのか、少女は楽しそうに様々な話を聞かせ出した。
 自分の事、家族の事、友人の事、住んでいる城下町の事‥‥‥‥それらを聞いているうちに、ふとエーディンはある事を思い付いた。
 少女にガンドルフに会わせてもらう様に頼む。


「‥‥城下町を見たいだと?」
 ガンドルフが怪訝な眼差しでエーディンを眺めやった。まさか、こんな申し出があるとは思っていなかったのだろう。
 エーディン自身も、ここに来た当初はまさかこんな事を考えるとは思っていなかったが、ヴェルダンと言う国に僅かな興味を抱いたのも事実だった。不謹慎と咎める気持ちも少なからずある。だが、この国を知る事自体は、決してマイナスではない筈だ。
「ええ。見張りが居たって構いませんから‥‥‥逃げたりしませんから。」

 ガンドルフは疑わし気な様子であったが、やがて兵士を一人呼びつけると、エーディンに街の案内をしてやるようにいいつけた。
 エーディンは兵士に「お願いしますね」と言って微笑んだが、兵士は無愛想に頭をわずかに下げただけだった。
 ‥‥‥なんだか固そうな人ね。案内なんて出来るのかしら?


 エーディンは案内役の兵士と共に町へと出た。
 町の中は、かなり人通りが多かった。
 道端では吟遊詩人がリュートの弾き語りをし、旅商人が品物の叩き売りをする。立ち並ぶ店にはそれまでエーディンが見た事のない珍しい品々が、店頭を飾っていた。
 商店街は賑わい、町には活気が溢れている。良い光景だ、と思った。
 しかし、エーディンがそれらの店を眺めたり、詩人の詩を聞こうとしたりしても、兵士はガンドルフに早く戻るよう言い付けられているのか、帰る事を勧めるばかりで彼女の要望をほとんど聞き入れようとはしなかった。
 これじゃ見物なんて出来ないわ‥‥‥

 無愛想に、兵士が口を開く。
「‥‥もう戻りますよ。ガンドルフ様が心配されます。」
 そういって、彼が振り向いた時。
 エーディンは、いつの間にかその姿を消していた。


「もう居なくなったかしら?」
 自分が来たばかりの道を振り返って呟く。
 エーディンは人込みに紛れて逃げ出した後、何の事はない、自分達がいた場所の隣の通りに来たのだった。
「いくら見張りって言ったって、あれじゃ町に出て来た意味がないわ。案内役だとも言ったのに。」
 しかし、呟きながらも一人で行くあてもなく、エーディンは仕方なく城に戻ろうと来た道を引き返す事にした。
 町を歩きまわるのはもう無理だろうし‥‥‥‥今逃げても、すぐに捕まってしまうだろうし。
「‥‥‥一人で戻った方が、ゆっくり出来るわよね。」
 いずれにせよ、わざわざ自分からあの「案内役」とやらを探す気にはなれない。戻る事にして、せっかく出て来たのに、と思いながら歩き出す。
 しかし、機会を惜しんで辺りを眺めながら歩いているうちに、エーディンはいつの間にか知らない通りへと出てしまった。それでも同じ方向へ歩いていくと、少し離れた場所に、町の外にあった筈の森が見えてくる。
 どうやら、気付かぬ内に目的と逆の方向へ、それも門を出てしまったらしい。目立たぬように髪を隠していたせいで、呼び止められることもなかったようだ。

「困ったわ‥‥‥」
 誰かに、道を訊ねてみようか。少し途方にくれた気分になりながら、あたりを見回す。
 すると、あることに気付いて、エーディンの視線がとまった。

「あれは‥‥?」
 森の、かなり近い場所から、一筋の細い煙が上がっていた。火事の様な物とも違う。誰かが小さな火でも炊いている様だ。
 森の向こうは、湖だったかしら?
 好奇心にかられて、エーディンは煙の立ち上る方角へと歩き出した。


 狩人や、薬草を取りに来た村人が歩くのだろうか。森の近くまで来ると、獣道でなく、どうやら人のためのものらしいその細道が見つかった。
 この道なら、多分すぐに戻れる―――そう思って、エーディンは迷わない様、懸命に注意を払いながら進んでいった。
 昼も薄暗い森の中で、鳥の鳴き声が響く。木の根につまづき、自分の小枝を踏み折る音にすら驚きながら、最初の内こそ、エーディンは興味半分で森へ足を踏み入れた事を後悔した。だが、慣れてくると、新緑の中、むせ返る様な草の匂いと、みずみずしい空気は、ひどく心地良くも感じられる。見知らぬ土地への恐怖心は残っているが、好奇心を押さえきれず、なおも足を進めた。
 少し行くと、鏡の様な湖面が目の前に現れた。

 木漏れ日と空を映して輝くその湖の水は、深く澄んでいた。そよ風が吹く度に、その湖面が小さく波立ち、光の波紋を生み出して輝き出す。木々の緑と、合間に見える蒼天がそっくり湖面に映されて、僅かに風を受けて波が起きる度、その姿も揺れながら、混じりあい、形を為してはまた崩し、更に複雑で微妙な色合いを生み出す。空を映す中央部の湖水は、青玉を溶かしたかの様に青い。だが、足元の、木々の影になるごく身近な場所のそれをよく見ると、澄んだ深い褐色であった。先日、エーディンが見知ったばかりの青年の瞳を形容したのは、この湖水によってである。改めて真昼の日の光の元でそれを見ると、輝く湖面がなんともいえず美しかった。

 グランベルにもその名の響く、水の清さ、広大さ、景観の美しさを含め、様々において「ユグドラル一」と謳われた、ヴェルダンの広大な湖だった。

「やっぱり、綺麗‥‥。」
 エーディンは思わず溜め息をついた。この国へ連れられるその道中の、晴れやかとは言い難い心境で見てさえ、この湖は美しかった。囚われの身でなければもっと素晴らしいものと思えたに違いないのにと、その事がエーディンには残念だった。しかし、憂いの残る心境を通して見ていながら、それでも目の前の光景は、エーディンの不安や心細さを慰めたようだった。
 しばらく湖面を眺めているうちに、ふと森の外から見えた煙の事を思い出し、辺りを見回す。
 確か、この辺りだった筈だ。

 やがて、立ち上るその薄く細い煙を見つけ、その元の方へと向かった。しかし、煙りの元のあるのは、どうやら今度こそ人の歩かぬような、奥へと入り込んだ場所のようであった。あまり進むと戻れなくなるかもしれない‥‥‥歩きながらもそう思い、先へ進むのを躊躇し始める。
 すると、その時、行く手に現れた大木の一つの元に、エーディンは、とうとう人影を一つみつけた。
 一応用心して、すぐには気付かれない様、足下に注意して、忍び足でその人影に歩み寄る。


「‥‥‥ジャムカ王子?」

 蔦の這った巨大な樹の根元に横になっていたのは、褐色の髪の青年だった。側に、火が炊かれている。エーディンが探したのは、この煙だったらしい。虫除けか何かだろうか、獣避けにしてはそれはあまりに小さすぎる気がした。

 それにしても、まさかこの青年がこんな場所にいるとは。エーディンは不思議に思って、木陰からそっと、身動き一つもしないその男の顔を覗き込んだ。
 眠ってる‥‥‥?

「‥‥‥誰だ?」
 目を閉じたまま、青年が突然口を開いた。


「えっ?あ、あの‥‥‥ごめんなさい、お邪魔だったかしら‥‥?」
 唐突な誰何の声に、エーディンは戸惑いながら返事をする。
「‥‥‥エーディン公女か?何故こんな所にいる?」
 ジャムカは起き上がり、驚いた様に問い掛けた。
 澄んだ瞳がエーディンを見つめる。 


 エーディンは、その場に至るまでの経緯を話して聞かせた。
「‥‥‥随分思い切った事をする。今頃兄貴が大慌てで町を探させてる頃だな。‥‥‥思ってたよりお転婆な姫君らしいな、君は。」
 町での事を話終えると、ジャムカは苦笑して言った。しかし、呆れた様なその声に、咎める様な調子はなかった。彼も、むやみに束縛されるのは嫌いなのかもしれない。
「で、煙が気になってこんな森の中まで来たとは‥‥物騒な話だ。野盗にでも会ったらどうするつもりだった?兄貴の花嫁にでもなった方がましだと思う位の目にはあわされたかもな。自覚は無いのか、お姫様?」
 ‥‥‥それまでは無口であまり喋らないのかと思ったのに、急に喋る様になった途端の皮肉気な彼の物言いに、憮然としてエーディンは問い返した。
「あなたはここで何をしているの?」
「昼寝さ。‥‥‥ここが一番落ち着くんだ。」
 ジャムカは短く答えた。

 一瞬、口調が柔らかくなったように思えたのは、エーディンの気のせいだっただろうか。城で出会った時より、どことなく安らいだ様な表情を見せる青年を、不思議そうにじっと見つめる。

「‥‥‥森の中で寝ていて平気なのですか?獣が近付いて来たり、危険ではないの‥‥‥?」
 問われて、ジャムカはつい苦笑を漏らす。『危険な所』とやらで、自分はたった一筋の煙に対する興味だけでやってきたと言う事は、この娘には大した事では無いのだろうか。
「君みたいな不用心な奴には相当危険だろうな。」
 苦笑を浮かべながら言ってみる。と、エーディンは改めて自分の事に気付いた様で、やや戸惑った顔をした後、憮然とした表情を浮かべた。からかわれた様に思ったに違いない。随分と理解り易かった。
「慣れてるからな‥‥‥気配が近付けば、わかる。それに、火も炊いて‥‥‥こちらの存在を強く主張しておけば、何も近寄ってきやしない。不用意に縄張りにでも入らない限りはな。人間なんかを襲うより、割のいい獲物は沢山いる。何より、奴等は‥‥‥と言っても、君にはわからないか。」
 言って、再び苦笑する。エーディンが怪訝な顔をみせると、苦笑したそのまま、ジャムカは告げた。
「人間を恐がるんだ。」

 獣が、人間を恐がる?そんなものなのだろうか。確かに、エーディンにはそれを実感するのは難しい様だった。だが、ここに住む者が言うのだから確かな事なのだろう。エーディンはそう思う事にした。
「気配でわかると言ったけれど‥‥‥眠っていても?」
「深くは眠れないな。‥‥‥だが、それが好きなんだ。」
 再び、「わからないだろうな」とでも云いそうな顔をして、ジャムカは小さく肩をすくめた。
 研ぎ澄まされ、鋭くなった感覚。それで感じられる、この森独特の静謐な空気が、ジャムカにとってはこの上なく心地良い。単に休みたいだけであるならもっと安全でくつろげる場所があるのだろうが、彼はその緊張感が好きだった。だが、ここに来たばかりのエーディンに、それがわかるはずもない。エーディンの方にしても詳しく問うのは何とはなしに憚られて、その話題は打ち切られた。
 しばらく沈黙の続くうちに、やがて、エーディンがふと視線を外し、ジャムカの座っている傍に弓が置かれているのに気付いた。


 暗い褐色の弓だった。その材質は、エーディンが一目見ただけではよくわからない。弓術に関しては他のどんな国よりもさかんなはずのユングヴィでさえ、見かけた事の無い物だ。
「あなたは弓使いなの?その弓‥‥‥見た事のないものだけど‥‥‥。」
 見慣れぬその弓に目をやりながら、エーディンが訪ねる。ジャムカは対して気に止めた風もなく答えた。
「まぁな。‥‥‥さっきまでここで稽古をしていた。」
 この弓は‥‥まぁ、見た事はないだろうな と付け加える。
 エーディンは弓の銘を訪ねたが、ジャムカは一度口を閉ざし、やがて「狩人の弓さ」とだけぽつりと答えた。
「狩人の弓‥‥‥?」
 教えたくないのかしら?


 しばらくして、ジャムカが思い出した様に口を開いた。
「‥‥‥昨日は、悪かった。」
「え?」
「昨晩の事だ。‥‥‥きつい事を言ってすまなかった。気を遣ってくれたのに。」
 そう言ってジャムカはエーディンの方を見たが、唐突な言葉と気まずそうなその視線に、エーディンは笑顔を返した。
「ああ、そんな事‥‥‥構いませんわ。」
 エーディンの言葉を聞いて、ジャムカは彼女の顔をしばし不思議な気分で眺めやった。
 プリーストだと聞いていたが‥‥‥あんな事を言ったのに、怒らないのか?

 他の者から見れば神への冒涜にも等しかったに違いない言葉を、聖職にある筈の彼女に否定も、戸惑いや困惑の一つもされずにあっさりと受け流された。その事が、ジャムカには意外だった。自分の信仰を否定されたはずなのに、エーディンが見せたのは哀しげな微笑一つだ。
 一体、彼女には自分の言葉はどう聞こえたのだろうか?

 ‥‥‥まぁ、俺には関係無いな。


 

 突然、頭上で激しい羽音が聞こえた。
 二人が見上げると、小鳥が鷹に襲われていた。鋭い爪が今にも小鳥の小さな羽を引き裂かんばかりである。為す術もなく上空を見上げたままエーディンが立ち尽くしていると、やがてジャムカが弓を取って立ち上がった。
「何を?」
 エーディンの問いには答えず、無言で矢をつがえる。 風を切る音と共に矢が放たれ、小鳥と鷹との間をすり抜けて飛んでいく。鷹はその矢に驚いて何処かへ飛び去って行ってしまった。
 残った小鳥はと言うと、何故か下へ降りて来た。ジャムカは別段驚いた風もなく、近付いてくる小鳥に手を差し伸べた。

「その鳥は‥‥‥?」
「‥‥‥三ヶ月程前かな。巣立ちに失敗して怪我をしている所を拾ったんだ。手当てして、放してやったんだが‥‥‥以来、こんな調子だ。人には懐いたりしない筈なんだけどな。ましてや弓を持った狩人なんかには、な‥‥‥‥。」
 変わり者だ、こいつは。
 そう言って、苦笑しながら手にとまった小鳥を見つめる。褐色の瞳が小さな小鳥に向けられている様を、エーディンは不思議そうに見ていた。
 ジャムカの表情は穏やかだった。

「多分、また不用意に近付こうとした所を、さっきの鷹が狙ったんだろう。‥‥‥来なけりゃいいのに。人間に近付いたって、良い事なんかないってのに。」
 言って、やや自嘲気味に、苦笑してみせる。

 狩人‥‥‥‥森で寝たりして獣が襲わないのは‥‥‥その弓に怯えているから?


 
 
 

Continued on Page 2. *3章は2ページあります



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