01.闇色の魔導士

「父上、どうか兵を収めて下さい!」
 城の一室に男の声が響く。

―――時はグラン暦757年。
 

 イザーク国の一族リボーが、グランベル保護下にあったダーナを襲撃し、この討伐のためにグランベルは大軍を率いて出兵、イザークと戦争を始めた。
 グランベルの南、ヴェルダン王国は、これを機にグランベルとの同盟を破棄し進撃した。ヴェルダン第一王子ガンドルフはグランベル公爵家の一つ、ユングヴィ公国へと向かい、進軍の真っ最中だと言う。

 ユグドラル大陸、南西の端。
 ヴェルダン王国―――森と湖の国と呼ばれるその国は、その名の通り鬱蒼とした森に囲まれ、広大な湖をその中心にたたえている。
 湖の西に位置する森の一画は「精霊の森」と呼ばれ古より聖なる地とされており、他国にはほとんど知られる事のない神秘的な逸話の数々が、彼の国には伝えられている。
 その地に暮らす住民達は漁業や狩猟生活を営み、その文化の違いからか、彼等は近隣の諸王国から「蛮族」と呼ばれ蔑視される事が多い。そのためか、グランベル王国とアグストリア諸国連合、二つの大国と国境を接して、それを侵すと言う事がしばしばあった。
 しかし、現在の国王の温厚な人柄は、民の荒れた心を鎮め隣国との和平を保つ事に成功していた。その平穏は、彼が健在である限り、半ば永久に続いていくものと誰もが考えていた。

 しかしその平穏は、他ならぬ現国王、バトゥによって破られていた。
 

 王都ヴェルダンの城の一室。自室であるその場所で、バトゥは肘掛け椅子に腰をおろし、目の前の青年に困ったような視線を向けていた。
「‥‥‥しかし、元はと言えばグランベルが攻めて来ると言う話だったからこそ、ガンドルフの出撃を許したのだぞ?」
 その視線の先にいたのは、褐色の髪と日に焼けた肌をもった20歳前後の青年だった。

 背が高く、均整のとれた体躯には生気が溢れている。精悍そのものの、端正な顔立ち。その中に輝くその髪と同じ褐色の瞳は、その祖国の湖の様に深く澄んでいる。
 第三王子ジャムカ。王太子の地位にもある彼は、ヴェルダン一と名高い弓使いであった。
 その瞳も、今は義憤の色に染まっている。
「‥‥‥その話も、元はと言えばあの『預言者』とやらの言葉でしょう?確たる証拠もなしにこちらから攻め込んでは、それこそ戦いの口実を作る事になります。むやみな戦は、民を苦しめ、部下を傷付けます。‥‥‥どうか、戦はおやめ下さい。」
 懸命に父王をなだめようとする。そこへ割って入った者があった。

「‥‥‥私が陛下を騙していると一一一そうおっしゃるのですか?」

 嘲る様な声と共に部屋に入って来たのは、闇色のローブを身に纏った一人の魔導士だった。
 その顔は、ローブと同じ闇色のフードに隠され、表情を見せない。
「サンディマ。貴様‥‥‥。」
 憎しみすらこもった声で、ジャムカは魔導士の名を呼んだ。

 ある日宮廷に突然姿を現したこの男は、様々な「奇跡」を見せ、「予知」をした。「予言」と称したその言葉は、国で起こった様々な事件を予測し、国王はこの祈祷士を賓客として迎えた。
 しかし、フードの隙間から見え隠れするその男の暗い双鉾に、ジャムカは底知れない不吉な予感を抱いていた。
『いつの日か、この男は必ずこの国に仇をなす』

「これは心外ですね‥‥‥このヴェルダン城に来てから、陛下は私にこの上もない厚遇をもって迎えて下さいました。その御恩に報いるため、よかれと思い今度の出兵を進言したまでの事‥‥‥」
 その言葉に、ジャムカは皮肉気に答える。
「‥‥‥そうして父上に取り入り、この国を意のままにしようと言うのか?恩に報いようと言うなら、何故国を乱し、人心を惑わせるのか。『よかれと思い』だと?恩返しが聞いて呆れる!」
 そう言って、父親の方に向き直る。
「父上、本当にグランベルが我が国を侵略しようと言うのなら、私はこの命にかえてでも彼等を止めてみせます。どうか虚言に惑わされず、賢明な御判断を‥‥‥。」
「もういい。‥‥‥下がりなさい、ジャムカ」
 バトゥはゆっくりと首を振って言った。

「父上!」
「話は後日聞こう。下がりなさい。」
 バトゥは静かに息子の言葉を遮った。
 ジャムカは失望の色を浮かべたが、仕方なく引き下がり部屋を出ていく。
「サンディマ‥‥‥‥貴様の思い通りにはさせない。」

 息子の退室を見届けると、バトゥは傍らの魔導士に話し掛けた。
「サンディマ、ジャムカの言う事にも一理あるのではないか?‥‥‥このまま戦いが進めば、いずれ必ずグランベルは攻めてくる。大半の軍は留守にしているとはいえ、兵の質は圧倒的にこちらが不利‥‥‥勝算はあるのか?」
「陛下。先程も申しました通り、陛下には莫大な御恩をお受けしました‥‥‥必ずや、ヴェルダンを勝利に導いて御覧に入れましょう。」

 そう言って、闇色の魔導士は不吉な笑みを浮かべた‥‥‥‥。


 グランベル王国 ユングヴィ。

 ‥‥‥弓神ウルの血を受け継いで来たこの公国は、優秀な弓騎士を数多く有する。その誇るバイゲリッターは、他の国のどの弓使い達を比べても並び立つものは少ない。
 しかし、その騎士達のほとんどは、当主リング卿、公子アンドレイと共にイザークとの戦いへ赴き、城に残っているのはわずかであった。
 ユングヴィの誇るもう一つのもの、聖弓イチイバルの使い手、第一公女のブリギッドは、彼女が幼い時に海賊にさらわれて以来行方が知れない。以来プリーストとなる道を選んだ双子の妹、第二公女エーディンは、今ヴェルダン軍に攻め立てられ落城寸前のユングヴィ城に、わずかな側近と共に立てこもっていた。

「さっさと城門を破るんだ!」
 ガンドルフは部下に向かって怒鳴った。
 他の公国から救援が駆け付けてからでは遅いのである。たとえ軍の大半が留守にしている筈とは言え、不利になる事が否めない。彼は、守りの薄いこの城を何としても落とすつもりだった。
 巨大な杭がぶつけられ、既に門にはひびが入っている。かけ声とともに、また一撃がそこに加わった。
 ‥‥‥激しい物音とともに城門が破壊され、兵士が雪崩れ込んだ。

 この城は落ちたな。
 勝利の確信を得て、ガンドルフは城内へと足を踏み入れた。
 

 接近戦の苦手な弓騎士達があちこちに倒れている。他のわずかな兵士達も、人数の圧倒的な不利に押され、その技量を発揮する間もなく討たれているようだ。
 ガンドルフは更に城の奥へと進んでいった。

 足元には、抑えた赤の絨毯が真直ぐ奥へと伸びている。
 窓からは、戦場には似つかわしく無いと思える程の柔らかな光が降り注ぎ、場内の壁と言う壁は、その光りをうけて穏やかな白色をたたえていた。
 細やかな模様の柱、精巧な彫像。左右の壁の上部とある一室の天井は、美しい絵画となっていた。額に入れて飾ってある訳ではなく、直に描かれているのだ。どうやら題材は、聖戦士達の神話の一節らしい。
 周囲の景色の、自分の居城とは全く違った様式的な華やかさが、ガンドルフの目についた。

「‥‥‥ん?」
 細い廊下を進んでいくと、男達のどよめきが聞こえてきた。どうやら、先行していた味方らしい。足早に歩み寄り、どうした、と近くの兵士の一人にたずねる。
 兵士は動揺を露に、「敵が一人立ちはだかり、味方が次々と倒されて先へ進めない」と答える。
「‥‥退いてろ。」
 言い捨てて、ガンドルフは兵士達をかき分け、その先頭に立った。
 

 廊下に敷き詰められた暗い赤。所々に血の染みを作った絨毯の、その先に居たのは、翡翠の様な髪と瞳を持った弓騎士らしき青年だった。

 女性と見紛わんばかりの繊細な顔立と、長い髪。肩よりも下まで伸びたその髪は、無造作に紐で括られている。普段ならいたって穏やかであろうその緑の瞳は、しかし今ははっきりと警戒と敵意をたたえて、招かれざる客達を見据えていた。

「貴方がこの一軍の将か。‥‥‥ここから先へ通す訳にはいかない。兵を退いて頂きたい!」 たった一人で何人もの兵士を従えた敵将と相対していると言うのに、青年に気後れした様子はなく、その言葉は騎士らしくどこまでも礼儀正しかった。これはおそらく性格なのだろう。 しかし、その声にガンドルフは薄笑いを浮かべた。

「‥‥‥大したもんだな。この一本道の廊下で近付く事も出来ず、そこから弓で攻撃されたんじゃ、こっちには為す術もない‥‥‥と、言いたいところだが」
 そう言うと、武器をとり、矢をつがえてこちらを睨んでいた騎士に「それ」を放った。
「悪いな。これで終いだ!」
 手斧が宙に閃いた。

 動揺の声を上げ、騎士は為す術もなくその場に倒れた。
 紅い絨毯に、黒い染みが広がる。

 ガンドルフは、手元に戻ってきた手斧を手にとった。普通の斧とは違い、弓のようにとはいかないものの、ある程度離れた距離から攻撃できる、斧使い唯一の飛び道具である。
「逃げ場がないのは、そちらも同じだった様だな。遠距離攻撃は、別に弓兵だけの特権じゃない。‥‥‥よく頑張っていた様だが、止めだ。」
 ガンドルフは今し方致命傷を与えたばかりの敵に歩み寄り、斧を振り上げた。
 その時だった。

「おやめなさい!」
 澄んだ声が響き渡った。
 ガンドルフは振り上げた腕を止め、声の聞こえた方へ顔を向けた。
「‥‥‥あんたが、この国の姫さんか?」
 声の主に、そう話し掛ける。

 それは、女神かと見紛う様な美しさだった。
 肌は白く、掘りの深い繊細な顔立ち。真直ぐな瞳が、ガンドルフを見据えている。今は厳しさが伺えるその表情は、かえって凛とした美しさを増している様だった。緩やかなウェーブがかかった黄金色の髪が腰まで伸びていて、純白の法衣の上で窓から差し込む日の光を受けて輝いている。

「‥‥‥もう、勝負はついています。これ以上の犠牲に意味はありません。」
「ほう‥‥‥と、言うことは、降伏しようって言うのか?」
「生き残った者に、これ以上一切の危害を加えない。‥‥‥その条件さえ、受け入れてくださるなら。」
 ガンドルフの問いに、姿を見せた公女は静かに、しかしはっきりと答えた。

「‥‥いけません‥‥‥エーディン様‥‥‥」
 床に倒れている弓騎士が呻き声を漏らした。傷付いた騎士の元に歩み寄るとその場にかがみ、エーディンは悲し気に微笑んだ。
「ごめんなさい、ミデェール‥‥‥。後を、お願いね。」
 呟いて、持っていた杖をかざし、祈りを捧げた。ミデェールと呼ばれたその青年の傷が、瞬く間にふさがっていく。高い魔法力の証だった。

 傷の治療を済ませたエーディンに、ガンドルフが再び声をかけた。

「いい度胸だ‥‥‥気に入った。いいだろう、条件は飲んでやる。その代わり、あんたの身柄は俺が預からせてもらうぜ。マーファまで来てもらおうか。」
「‥‥‥わかりました。」
「よし。おい、この城の守りは任せたぞ。」
 側にいた隊長らしき男に言い捨てて、ガンドルフは廊下を引き返していく。エーディンは、ゆっくりとその後に続いた。
 

「エーディン‥‥様‥‥‥」
 その後ろ姿に向かって、ミデェールが再び呻く。しかし、大量の失血故の睡魔に襲われたまま、彼の意識は深い闇へと沈んでいった‥‥‥‥。

 
 
 
 

Continued.



前のページへ
小説のページへ





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送