00.プロローグ 

―――時はグラン暦800年。

 ユグドラル大陸の端、「森と湖の国」と呼ばれる場所。豊かな自然に恵まれた、ヴェルダン王国。  聖戦と呼ばれる戦いを経て、新たな国王を迎えて独立したその国は、長い戦いの惨禍を癒し、今では静かな、そして穏やかな日々を送っている。

「さて、何を買って帰ろうかな。」

 よく晴れたある日の午後、澄んだ青空の下、エバンスの城下町を一人の若者が歩いていく。
 人通りも多く、賑やかな大通りを軽い足取りで進むその青年は、最近結婚したばかりだった。
 今日は彼の新妻の誕生日である。

 仕事に厳しい勤め先の主人に、どうしてもと頼み込んで、早めの仕事上がりを許可してもらった。後日、普段以上に仕事が増える事になるだろうが、まぁそんな事はどうでもいい。
 結婚してから、初めての誕生日だ。なにか、いいプレゼントはないものか。‥‥‥そんな事を考えながら、ふと足を止めた。

 青年の視線の先には、小さな宝飾物店がある。店頭に青年がみたのは、小さなペンダントだった。 青い花弁を模した宝玉がはめ込まれている。少々値が張る品の様だ。宝玉と同じ色をしたその箱には、小さな金属板の上に銘が彫られている。

『青の約束』。

そういえば、聞いた事があるな‥‥‥
 
 

 数多くの伝説が眠るこのヴェルダンでも、それは比較的最近に生まれた話らしい。
 ある一人の男の元に、一羽の小鳥が舞い降りた。どこか変わった風のあるその小鳥が嘴にくわえていたのが、一輪の、深く澄んだ藍青の色の花であったのだと。
 願いと幸福の象徴であるその花は、男の元に大きな安らぎを持たらしたと言う‥‥‥‥

 おそらくはその逸話からのイメージで作られたものだろう。その花の元となった植物については、実在するともしないとも言われている。幾らか目撃したと言う声も上がっており、希少な種なのではないかと言う話だ。勿論、面白半分にそういったものを採集する事は禁じられているのだが。
 逸話がいつ頃、どこから伝えられたものなのかは、はっきりしていない。だが、それは「英雄王」と言う呼び名を持つ現国王が即位してから囁かれ出した、というのが一般的だ。そう古いものではないのだろう。
 噂では、その物語りは不思議な旅人がこの地の人々に伝えたのだという。褐色の髪と瞳をもった男、そして輝く金の髪をもった美しい女性が十数年前この地に訪れ、その物語りを語ったのだと。
 ささやかな噂ではあったが、多くの逸話を持ち、精霊達の住まうとされる森のあるこの国に、その物語りはすぐに浸透した。そして今では、こんな装飾品まで生み出したと言うわけである。

「‥‥‥」
 少し、高いけれど‥‥‥いいよな。

 青年は、恋人への贈り物を決めた様だ。
 
 

 ややあって、ペンダントの入った小箱を手に家路を急ぎながら、青年は酒場の看板を目にして立ち止まった。
 ‥‥‥そうだ、ワインも買って行こう。家では彼女が晩餐の準備もしているだろうし。
 
 

 青年が酒場に足を踏み入れる。

 流石に、休みでもない日の昼間とあっては、客の姿はほとんど見当たらない。準備中の札はかけられてはいないが、この様子ではあってもなくてもさして変わらないだろう。
 少し薄暗い店内の奥のカウンターでは、酒場の主人が一言「いらっしゃい」と言ったきり、黙々とグラスを磨いている。その曇りが気になるのか、こちらに顔も向けない。

 青年はカウンター中央の席に座り、ジュースを注文して主人に訪ねた。
「あの‥‥‥ワインか何か、一瓶貰えないかな?家に持って行きたいんだ。」
「ワイン?ふむ‥‥‥‥。」
 主人は少しの間考え込んで、やがて言った。
「じゃぁ、ちょっと待っていてくれ。何か探してこよう。」
 ありがとう、と青年が嬉しそうに答えたのを見てから、主人は裏口から出ていく。どうやら、酒蔵は外から行くらしい。
 地元で製造されているのは、アルコール量の多い蒸留酒が主で、余程酒に強い者ならばともかく、あまり青年の様な若い年齢層には好まれない。だが、国交が名実共に回復してからは、グランベルやアグストリアの質のよいワインが流通する様になっていた。彼の国の良質の酒は、広い世代に好まれ、受け入れられている。
 かつては敬遠されていた彼の国の民の来訪も、今では全く障害となるものがない。

 主人の後ろ姿を見送った後、青年はもう一度店内を見回した。

‥‥‥あれ?あんな客、居たかな?
 

 同じカウンターの端の席に、一人の男が座っていた。
 場所からすれば正面の出入り口から見えた筈だが、何故気付かなかったのだろうか?訝し気に思いながら、相手を観察する。
 吟遊詩人だろうか。

 深緑の髪と瞳を持った、神秘的な男であった。しかし、明らかに若く見えるのに、その持つ雰囲気はどこか、らしからぬ落ち着きを感じさせた。深い緑の髪から肩にかけて、薄紫色の模様の織り込まれた異国風の布を巻き、小さな笛を手にゆったりと腰掛けている。

「‥‥こんにちは。どうかなさいましたか?」
 突然、男が話し掛けて来た。少し低めで、穏やかな声だ。しかし、どことなく男とも女ともつかない様な印象を受ける、そんな声。
「あ‥‥‥、いや、そこにいたのに気付かなくて、少し驚いたので‥‥‥失礼。あの‥‥あなたは吟遊詩人なんですか?」
 青年は戸惑い、口調がぎこちなくなった。滅多に使わない敬語などが、つい口に出てしまう。

 青年は最初、男が自分と同じ程の年齢だと思っていたが、実際に聞いたその声や口調、そして物腰から受けた印象は、老人とも若者ともつかなかった。話せば話す程、相手が人間としてどんな分類にも属さない様なそんな感じを受けて、本当に人間なのだろうか、そんな疑問すら浮かんだ。
「ええ‥‥あちこちを旅をして回りながら、拙いながらも物語りを人々に披露しております。‥‥‥そうですね、あなたも一曲‥‥‥いかがですか?」
「え‥‥‥いいんですか?」

 詩人だと言うその男の少々唐突な申し出に、青年は少し考え込んだ。すぐに主人は戻って来てしまうだろうが‥‥‥
 

 ‥‥‥まぁいいか、少しでも。吟遊詩人なんて、滅多に会えるものじゃないだろうしな。あいつにも帰ったら聞かせてやれる‥‥‥‥。
 青年は少し考えてから、答えた。
「それじゃ、せっかくだし‥‥‥お願いします」
「わかりました。‥‥‥それでは、この国にまつわる、一つの物語など‥‥‥」

 そういって、その詩人は語り始めた。
 

―――それは 名も無き王の物語り。
 
 
 

Continued.



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