「てめえのすましたツラ、死に顔に変えてやるぜ。」
 戦斧をヨシュアに向けてそう言った男は、彼の手にする抜き身の剣よりも、腰に帯びたもう一振りの剣の方に注意を惹かれたらしかった。
「‥‥‥見ねえうちに、ご大層な剣を持ってるじゃねえか。」
「氷剣アウドムラ。‥‥‥家宝でな。」
 彼の答えを男は鼻で笑って戦斧を構え直した。ヨシュアはただ、無表情でそれを見ている。
「へえ、家宝ね。なら、その剣もついでにもらっといてやる。抜きな。」
 男の挑発に、ヨシュアは溜め息をついた。
「‥‥‥お前にはやれねえよ。国も、この剣もな。今ここでこれを抜く気も無い。」
 言って、手にしていた剣を構え直した。傭兵として過ごす間、彼が得物として持ち続けていた剣である。男もその銘を覚えていたのか、舌打ちして険悪な目つきで彼を睨みつけた。その剣自体も、それを手にした彼も厄介な相手であることを、彼と旧知の仲であった男は知っていた。
「こいつで充分だ。」
 キルソードと呼ばれる必殺剣を片手に構え、ヨシュアは目の前の男に向かって切り掛かっていった。


 ‥‥‥見張りを交代してから、ヨシュアは独りで木陰に座っていた。小高い丘になっているこの場所からは、砂漠の一部を眺めることができる。日は傾き始めたにも関わらず一向に熱気が冷めたように見えないその土地からは、乾ききった、だが彼には懐かしい風が吹いてきていた。未だに疲労は抜けず、休息時間ともなればあまり動きたくなかったため、彼はしばらくそこにいたのだった。
「‥‥‥退屈だな。」
 誰かに賭けでも持ちかけてみるかとも思ったが、誰も彼も疲れ果てていたこの状況では「今はそんな気分じゃない」と言われるだろうことは想像に難くない。普段であればそんな返事も口先一つで乗せてしまう彼であったが、実際彼もそこまでして賭けに乗ってもらいたい気分では無い。ではどんな気分か、と問われれば、それはそれで返答に困るのだが。
 退屈だ。もう一度心の中で呟いて、彼は横になった。すると、腰から外して傍に置いていた彼の剣が目に入った。
 無言のまま再び起き上がり、鞘に左手を伸ばして剣を取った。柄に右手をかけ、少し抜いてみる。冷たい照り返しに一瞬眩しそうに目を細め、光が目に当たらない様剣を少し傾けた。曇りのない刃に人の顔が映る。赤い髪、端整な顔に切れ長の目、更にその中には髪と同じく赤い瞳。言うまでもなく、他の誰でもない、彼自身の顔であった。

 ふと草を踏む音が聞こえて、彼は振り向いた。先ほど会った恋人が、そこに立っていた。白い僧服は別れたときよりもさらに血と泥とに汚れている。
「来たか。よく居場所がわかったな。」
 剣を鞘に納めながら、彼はそう声をかけた。剣を再び傍に置き、片手で手招きして隣に座るよう促すと、ナターシャは素直にそれに従った。
「ジストさんが‥‥‥見回りを交代した時に、あなたがこちらの方角へ向かわれた、と。」
「なるほどな。手間を掛けさせて悪かった。」
 口の端に小さな笑みを浮かべて、恋人の顔を見る。ナターシャは真面目な表情で、じっと彼を見ていた。しばらくヨシュアがその顔を眺めるのを楽しんでいると、ナターシャは痺れを切らしたように口を開いた。
「さきほどおっしゃった、話‥‥‥とは、なんでしょうか?」
「ああ‥‥‥。」
 どう話を切り出したものか彼は一瞬迷った。先ほどたずね損ねたらしいことを、今まっすぐに質問としてぶつけても答えてくれるものだろうか。
「‥‥‥大丈夫か?」
 結局、彼は手当を受けたときと同じ問いをした。ナターシャが驚いたように澄んだ目を大きく見開く。
「大丈夫、とは‥‥? 自分の傷の治療は済ませておりますし、先ほどのように疲れているということなら、今もこうして休息を‥‥」
「いや、そういうことじゃない。」
 ナターシャの言葉を遮って、ヨシュアは言った。
「そうじゃない。‥‥‥あんた、何か悩みでもあるのか? それに、さっきから何故そんなに身構えている?」
 問いかけてじっとみつめると、ナターシャは押し黙ってしまった。
 元来素直なところのあるこのシスターは、隠し事のできない性格らしい。ヨシュアが「ナターシャ」ともう一度声をかけると、やがて目を逸らして俯いてしまう。が、しばらく沈黙を続けた後、意を決したようにナターシャは顔を上げ、ヨシュアをみつめた。
「‥‥‥あなたこそ、大丈夫なのですか。」
「何?」
 ヨシュアは思わず問い返した。怪訝な顔で見返す彼をじっとみつめて、ナターシャは続けた。
「ジャハナを立ってから、時々何かをじっと考え込んでおいでです。‥‥‥殊に、その剣」
 言葉を切ってヨシュアの膝の上の剣に一瞬視線を移す。ヨシュアもつられて剣を見、僅かに眉を顰めた。
「その剣を見て、急に寂し気な目をなさることがあって。‥‥‥ずっと気になっていました。」
 ナターシャがぽつりとそう付け加えると、ヨシュアはしばらく無表情で剣を見つめていたが、やがて苦笑した。
「‥‥‥参った。心配しているつもりが、心配されていたのは自分の方だったか。」
 ナターシャは形のいい眉を顰め、口を引き結んで彼を見つめた。しばらく黙り込んだ後、再び口を開く。
「今回の戦。ジャハナ王国と貴方の関わりは、聞きました。貴方のお母様‥‥‥ジャハナの女王、イシュメア様のことも。」
 最初は躊躇いがちに、そしてやがて意を決したように、彼女は言った。ヨシュアが笑みを消し、静かに恋人の顔を見返した。鋭さを増したその視線に、ナターシャは気圧されたように一瞬黙ったが、少しずつ話を続けた。
「思う所があるのなら、貴方から話してくださるのを待とうと思っていました。‥‥‥無理に聞き出すようなことをして、傷に触るようなことはしたくなかった。」
 そう言って、ナターシャはヨシュアの視線を避け、僅かに俯いた。
「あなたは痛みを外に見せない方。いつも誰かの前では何事もないかの様に笑って見せて、それなのにジャハナへ来てからというもの、ふとその剣をとれば何か思いに耽るような顔つきをされます。‥‥‥話して下さらないのは構わなかった、けれどそんな貴方のために何も出来ない事が辛かったのです。」
「‥‥‥ナターシャ。」
 ヨシュアは表情を崩し、再び苦笑した。
「‥‥‥さっき手当の時も、私のことばかり気にされていました。グラドとの戦いに迷いがあるのか、とも。」
 ヨシュアは黙ってナターシャの話に耳を傾けていた。彼女が何か悩んでいるのではと思って聞き始めた話であった筈なのだが、今ではその声を聞いているのが心地よくなってしまっている。 「グラドの兵士達を敵として、彼らが傷つくのを見ているのが辛いのは本当です。だからといって、この戦いに参加し、彼らの為に傷ついた人々の助けとなる、そのことに迷うわけではありません。けれど‥‥」
 言葉につまったように声が途切れた。ヨシュアがじっと見つめている中、ナターシャは俯いたまま、懸命に話し続けている。
「貴方がそれを気遣って下さるのが辛くて‥‥グラドを相手に戦うのに迷いがあると、今の貴方に知られるのが申し訳なくて‥‥‥」
 次第に涙混じりになる声を聞いて、ヨシュアは眉を顰めた。まずいな、と思い始めるうちにも、ナターシャは話を続ける。
「貴方と共に生きていこう、そう決めていました。それなのに、こんなに近くにいても、私には貴方の為にできることが何一つありません。‥‥‥貴方の変化を平常心で見守ることすらできません。」
「‥‥‥ナターシャ、わかった、もういい。」
 ヨシュアはとうとう話を遮った。ナターシャの頬を幾筋もの涙が流れるのを見て、困ったように眉を顰める。彼のその表情を見て、ナターシャは指で涙を拭った。後から溢れそうになる涙を、今は懸命に堪えているようだった。
「ごめんなさい。‥‥どうしたらいいかわからなかったのです。」
 ナターシャの言葉にヨシュアはまた苦笑して、彼女の肩に手を伸ばした。ナターシャは一瞬驚いたように身を竦めたが、ヨシュアは構わずその華奢な体を引き寄せて腕に抱いた。
「ヨシュア様‥‥‥」
「悪かった。気を遣わせたようだ。‥‥そうだな。少し、話をさせてくれ。」
 口元に笑みを浮かべて、ヨシュアは静かに言った。


「‥‥‥国を出たのは十年以上も前だ。」
 ぽつぽつと、思い起こすように彼は話し始めた。
「窮屈な王宮、話をするどころかろくに会いもしない母‥‥‥。俺は外の世界を見たかった。身分を捨てて、自由にな。」
 そう言って、苦笑する。
「いっときの息抜きのようなつもりだったんだろうな。民の心を知るため、国の在り方を見定めるため‥‥‥嘘ではなかった。本気でそう思っていたさ。だが、子どもの浅知恵だったな。無関心に見えた母と窮屈な暮らしに嫌気が差して、俺はそれを抜け出す口実にしちまった。」
 そういうと、彼は溜め息をついた。
「今なら容易に想像がつく。夫に先立たれ、無理解な息子に出て行かれた母が、どれほどの辛さに耐えて国を支え続けてきたのか‥‥‥。当時の俺にはわからなかったのか、それとも母の無関心に対する幼稚な報復のつもりだったのかは、自分でもわからんがね。」
 「後者だとすれば」と言いかけて、ヨシュアは口をつぐんだ。その言葉を続ければ、話を続ける気力も萎えてしまいそうな気がする。苦笑して帽子に手をやり、直すふりをして彼は表情を隠した。ナターシャが痛まし気に、わずかに眉を顰める。
「死に目には会えただけまし、と言っていいものかどうか‥‥‥亡骸も王宮ごと焼かれちまったしな。」
 そう言って、「それから」と言葉を切る。ナターシャがまた表情を曇らせていたが、それには気付かないふりをした。
「グラドの将、王宮を焼いたケセルダという男だが‥‥‥昔の傭兵仲間でな。」
「傭兵‥‥‥仲間?」
「ああ。組んで戦っていたこともある。‥‥確か、奴もジャハナの生まれだったな。傭兵身分に大分不満があったようだが。」
 自身の記憶を探りながら、彼は話し続けた。
「野心のある男でな。国一つ、まるごと欲しがっていた。‥‥それに、自身の目的の為なら手段を選ばない所があった。傭兵などでは終わらないと口癖のように言っていたが、王位を得るためならなんでもやっただろうな。‥‥‥だが、それにしても」
 言葉を切って、なおも彼は続ける。
「‥‥そういう男だと知ってはいたが、いざ自分にその矛先が向けられるとな。奴に会って、『恨むな』と言われた。‥‥‥恨みようもない。やり方はどうあれ、傭兵の流儀だからな。‥‥‥借りはきっちり返させてもらったが。」
 そう言うと彼はまた苦笑して、言葉を切った。
「ともあれ、そんな男が攻めて来ていたのに、俺はその時国に居なかった。知っていたかどうかは問題じゃない。母は独り戦い、側近にも裏切られ、それでも聖石を守ろうとして死んだ。最期まで国と、俺のことを案じながらな。」
 また溜め息をついて帽子を目深にかぶり、ヨシュアは表情を隠した。
「‥‥‥側近か。まさか、あの男が血迷うとは。カーライル、俺の剣の師だった。俺も母もあの男を信頼していた。あの男が今まで母の信頼に応えてきたのも確かだ。‥‥‥だが、それが裏目に出たのかもな。」
 苦笑して、言葉を続ける。
「ツキが無かったのは確かだ。だが、ツキを逃したのは俺の愚かさ故だな。勝手に行方を眩ました俺の名を死ぬ間際まで呼んで、愛していると言ってくれた母だったのに。」
 苦笑したまま視線を下に落とすと、視界の端に、ナターシャが膝の上で杖を固く握りしめたのが見えた。彼女がどんな表情をしていたかまでは、彼は確認しなかった。
 深呼吸をひとつして、気持ちを切り替える。何気ない風の口調で、彼は言った。
「‥‥‥この十年で得たのは今の俺に必要なものだ。無駄にする気は無い。たとえそれが愚かさから始まったものだとしても。これからすべき事に、迷いがある訳でもない。‥‥‥ただ、ここ最近は色々あり過ぎた。」
 膝の上のアウドムラを手に取り、鞘に納めたまま地面に突き立てて目をやる。
「戦続きではゆっくり考える暇もなくてな。この剣を見るたび、母の死に顔がちらついていた。あんたにも心配をかけたようだ。」
 そう言うと、今度はナターシャの方に顔を向けて、口元に笑みを浮かべてみせた。
「‥‥‥あんたに話して気持ちの整理がついた。ありがとう。」
 笑いかけてみせる彼の視線の先では、ナターシャがじっと彼を見つめていた。形の良い眉を顰め、口を引き結んで、じっと黙り込んでいる。不審に思ったヨシュアが声をかけようとした時だった。
 不意に杖を投げ出し、両腕をヨシュアの首に投げかけてナターシャは彼の頭を抱いた。驚いたヨシュアがその顔を見、声をかけようとすると、耳元で澄んだ声がした。
「‥‥‥しばらくこうさせてください。少しだけ‥‥‥」
「ナターシャ?」
 自身が抱かれている華奢な腕が震えているのに気付いて、ヨシュアは恋人の名を呼んだ。涙混じりの声が、彼の呼びかけに応える。
「‥‥‥ごめんなさい。‥‥辛いのは貴方なのに‥‥‥」
 今度は堪えることができないらしく、涙混じりのままの声で、ナターシャは何度も「ごめんなさい」と繰り返した。
 ヨシュアは無言のまま苦笑して、ナターシャの腕に自分の手を重ねた。

 かなわねえな と胸中で呟き、しばらくの間華奢な腕の中の感触を楽しんでいたが、やがて彼は静かに口を開いた。
「泣くな、ナターシャ。‥‥‥もう女に泣かれるのはご免だ。」
 彼の言葉を聞くと、ナターシャははっとしたように顔を上げて、慌てたように手で涙を拭った。そうやってナターシャが手を離したところで体の向きを変え、その涙の跡の残る顔を見て、ヨシュアは ふ、と笑った。
「それでいい。それと、膝を貸せ。‥‥‥少し、休みたい。」
 そう言って、返事も待たずにナターシャの膝に頭を載せて横になる。ナターシャは困惑したように彼の顔を覗き込んだが、やがて戸惑いがちに微笑んだ。
 困ったような笑みを楽し気に眺めながら、ヨシュアは次第に迫ってくる睡魔に身をゆだねていった。このところ疲労しきっていた体が、ようやく休息を得ようとしているようだった。
「‥‥‥なあナターシャ。あの時の賭けを覚えているか?」
 眠気で頭の中に霞がかかっているようだ。ぼんやりとした視界に移る恋人の顔を見つめながら、彼は言った。
「この戦に片をつけたら、俺はあんたを連れてこの国に帰ってくる。この国と、あんたを幸せにする。命をかけてな。‥‥‥側にいろよ、ナターシャ。」
 おぼろに映る恋人の表情が柔らかな笑顔になるのを、彼は見たような気がした。
「‥‥‥その賭け。貴方は、勝って下さるのでしょう?」
 しなやかな指が彼の髪に伸びて、それをそっと顔から除ける。
「ならば、私の人生は貴方のものです。‥‥‥ヨシュア様。」
 耳に届く澄んだ声に、彼は笑みを返して目を閉じた。

 ナターシャの答えに、彼はかつて想いが通じた時に得たのと同じ幸福感に身を委ねていた。彼女との関係で彼が持ちかけた賭けで得た「勝ち」は、母以外にも、守り、幸せにすべき女性を彼に与えてくれたらしかった。
 目を閉じる瞬間に視界に残した、恋人の花のような笑顔。女は泣かすもんじゃねえな、と、霞がかった頭の片隅でそんなことを考えながら、やがて彼の意識は心地よい眠りの海へ沈んで行った。



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