40.エピローグ 


 ―――お客さん。
 ちょっと、お客さん!
 
 突然呼び掛けられて、青年ははっと振り向いた。
 視線の先には、ワインのボトルを片手に、呆れた様な視線を向ける中年の男がいる。

「あんた、さっきから何ぼーっとしてたんだい?たった今頼まれたワインを探してきたんだが、こんなものでいいのかな?アグストリアから仕入れた逸品だ。グランベルのものにも良い品があるが‥‥‥‥そっちの方が良かったかな?」
 ワイン?
「ああ、そうか、さっき頼んで―――」
 きょろきょろと辺りを見回して、自分が酒場にやってきていたのを思い出す。
 何故、こんな事を忘れてしまっていたのだろうか?
 
 確か、酒を頼んだ後、妙な男が‥‥‥吟遊詩人‥‥‥
 
 突然何かを思い出したように、慌てて酒場の主人の方をむいて訪ねる。
「さっきまでここにいたはずの、吟遊詩人は?緑の髪の―――」
「吟遊詩人?‥‥‥いつ誰が入ってきたのかは知らないが、私がここに戻った時にはあんた以外に誰もいなかったよ。」
「誰もいない?そんな筈は―――」
 そう言って店内を見渡すが、主人の言う通り真昼の酒場に、人の気配などある筈はなかった。
 見る限り、無人の席があるばかりである。青年は、突然、席を立ち上がった。
「え?ちょっと、あんた―――」
 青年は、店の主人がわざわざ酒蔵から出してきたワインを片手に慌てて引き止めるのにも構わず、急いで店の正面に飛び出していた。

 左右の通りを見回しても、やはり、誰もいない。
 青年が呆然と立ち尽くす中、柔らかな風がすぐ側を吹き抜けていく。

 ‥‥‥あれは、夢だったのだろうか?
 奇妙な心地で、青年は店の中へと戻った。主人から酒を受け取り、帰ろうとしたその時、主人が声をかけてきた。
「あんた、忘れ物だよ。さっき飛び出した時に落としたんだ。‥‥‥大事なものじゃないのか?」
 ‥‥‥そういって主人が蓋を開けて差し出した小箱を、青年はじっと見つめた。
 小さなペンダント。花びらを模した青玉の台座の裏には、箱にあるのと同じ様に、小さく銘が彫り込まれている筈だった。
 『青の約束』。




 ある一人の男の元に、一羽の小鳥が舞い降りた。その不思議な小鳥が嘴にくわえていたのが、一輪の、深く澄んだ藍青の花であった。
 願いと幸福の象徴であるその花は、男の元に大きな安らぎを持たらしたと言う。

 そして十数年前この逸話を伝えたのは、褐色の髪と瞳をもった男、そして輝く金の髪をもった美しい女性の二人連れの、不思議な旅人達であったと‥‥‥‥


 グラン暦、800年。
 ヴェルダン王国マ−ファ城の裏手、精霊の森と呼ばれる一画に程近い、森の入り口にて。
 普段は至って人気のないその場所に、二つの人影が見えている。


「‥‥‥どうしたの、レスター?」
 僅かに先を行く、輝くような金の髪の女が、後ろを行く者に声をかけた。年齢に相応しいだけの気品のある、美しい婦人である。だが若々しいその姿からは、気のせいか、どこか無邪気な印象を受ける。
 その声に答える様に、藍青の髪と澄んだ褐色の瞳の男が顔を出した。
「いや‥‥‥今、見覚えのある人影を見た気がして‥‥‥」
 レスターと呼ばれたその男は、不審そうに自分の後方を見やった。その声に、女の方が怪訝な表情を見せる。
「見覚えのある‥‥‥?一体、誰?」
「レヴィン王に、似ていた様な気が‥‥‥」
 些か自信のなさそうな夫の言葉に軽い疑念を覚える。が、やがて婦人は一つ頭を振ると、先へ行く様に促した。
「まさか。あの人がこんな所にいるはずないでしょう?‥‥‥‥それより、早く行きましょう。『良い所を見つけたから連れていってやる』って言ったの、レスターじゃないの。」
 そう言って、わずかに口を尖らせる恋人の姿に、レスターは軽い苦笑を漏らした。
「ああ、わかってるさ。‥‥‥綺麗な花が、沢山咲いていたんだ。きっと、パティも気に入る‥‥‥。」
「本当?どんな花?」
「それは、見てのお楽しみ。」
 いたずらっぽい笑顔を浮かべながらレスターが答えると、パティが焦れったいと言わんばかりの表情と口調で言いながら、レスターの腕を引っ張った。
「もう、だったら、早くいきましょう!」
「ああ。‥‥‥すぐ行くよ。」
 再び苦笑しながら、レスターはゆっくりと歩き出した。






 ‥‥‥風が駆け抜けて、森の木々がざわめいた。
 湖に波が立ち、波紋は煌めく日射しをうけて光の音楽を奏で始める。
 再び風が鎮まった時、鏡の様な湖面には、晴れ渡った青空と、そのなかを翔る小鳥達の姿が映った。

 静かな昼下がり。
 ユグドラル大陸西南部の、「森と湖の国」と呼ばれるその場所に、穏やかな時間が流れてゆく。

 かつて一人の男が求めてやまなかったもの。
 それが、そこにはあった。


END.


 
 
 

 ここまで読んで頂いてありがとうございました。感想など一言頂けると嬉しいです。

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 最後に、長らくおつき合い頂きました皆様、本当にありがとうございました。


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