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純白の花嫁衣裳は幸福の証――
乙女たちは白い糸で夢を紡ぐ。いつか自分が纏うであろう幸福を、ドレスという形に描いて胸を膨らませる。 ふわりと仕立てた白いドレスの胸元に、袖に、裾に、友人達が花嫁の幸福を祈って刺繍を施す。糸はけっして結ばない。幸福を嫉む悪霊たちを結び止めてしまわないように。 (アイラはすらりとしているから、体の線をきれいに見せるドレスがいいわね。シンプルに裾を流して、代わりにヴェールを華やかにしましょう。艶やかな黒髪を際だたせるように、白い花には緑の葉をあしらって。耳飾りは<幸福の石>がいいかしら) エーディンは、アイラが愛する男を得たことが嬉しくてならない。その相手がグランベルの男であることが、さらに嬉しい。敵国の軍に身を置く屈辱と不安を克服するまでに、また、固く結われた憎しみをほどいて愛することができるようになるまでに、彼女のなかにどれほどの葛藤があったことだろう。 似たような経験を持つだけに、エーディンにはその困難を思うことができる。もし、もしも、ユングヴィがヴェルダンによって完全に侵略されていたら――想像することさえ厭わしいけれど、奸計により父を討たれ祖国を滅ぼされていたとしたら。そうして救援の希望もなくあのままヴェルダンに置かれていたなら――彼に心を許せたかどうか、わからない。それでも愛したと思いたいけれど、それにはずっと長い苦しみと時間を必要としたはずだ。 レックスがちょっかいを出すたびに全身の毛を逆立てるようにしていたアイラが、今は彼の傍らで無防備にくつろいでいる。そんな姿を見ることは嬉しい。 亡国の王女に幸せになってほしいと思うのは、もしかしたら自分がグランベルの人間だから…贖罪の気持ちがあるせいかもしれなかった。 (でもアイラ、わたくしは本当にあなたが好きなのよ) その強さも、そして脆さも。 だから、あなたの幸せを祈って、一針ずつに心を込めて、一生一度の衣裳を仕立てましょう。 「嬉しそうだね、レックス」 アゼルは控えめにそう言った。レックスの全身から発するオーラは「嬉しそう」なんて言葉では到底伝えきれないものがあったのだったが、緩みきっていて見るに耐えないと正直に評すには、ここに至るまでの紆余曲折を知りすぎていた。 レックスにはナンパな印象があるが、本性は愛情深くて誠実だ。だからアイラが彼の思いを受け入れてくれたのは、アゼルにとっても嬉しいことだった。 そうはいっても突然の結婚宣言には正直言って驚いた。 それは、アゼルは親友の良さを知っていたから、きっといつかはと願っていたし、淡い予感を抱いてもいた。しかしこんなに早く「結婚」という運びになろうとは思ってもいなかったのだ。晴れて恋人どうしになることと、結婚とは全く違う。結婚は契約であり、家の結びつきでもある。アイラにそこまでの覚悟がついたのかと思うと感慨深いものがあった。 「いや、…式のほうは駄目元のつもりだったんだけどな」 額に落ちかかっている髪をかき上げるのは気障なのではなく、照れたときの癖である。滅多には見られないしぐさにアゼルの表情も緩んだ。レックスは今度は鼻の横を掻きながら、隣を歩くアゼルをちらと見下ろした。 「――で、悪いんだが…」 「花婿の介添えだろ。水臭いよレックス。準備のほうも僕に任せておいて」 「すまないな、アゼル」 アゼルは腕を伸ばし、「素直なレックスなんか気持ち悪いよ」と親愛を込めて広い背中をぐりぐりと押した。 「どういう意味だ」 レックスははにかんだ表情を誤魔化すように、親友の鮮やかな赤い髪をわざとぐしゃぐしゃにかきまわした。笑ってその手から逃れながら。 「それで、花嫁はどうしてるの?」 「今か? エーディンに呼ばれて衣装の相談に行ってる。俺も行きたかったんだが、男は立入禁止だそうだ」 「あはは。きれいだろうね、白いドレスのアイラ」 「当然だろう!」 胸を張るレックスを見つめ、アゼルはふっと長い睫の影を落として大人びたためいきをついた。恋人の初めてのドレス姿が楽しみでない男などいない。ましてやそれが花嫁衣装であればやにさがるのも無理はないと思う。――思うけれど。 「レックス…友達甲斐に忠告させて貰うけど…鏡を見て、ちょっと顔を引き締めたほうが、いいんじゃないかな…」 一方、約束の時間にエーディンの部屋を訪れたアイラは、扉を開けたところで呆然とした。結婚することを告げたのはゆうべの夜だというのに、いつのまに手配したものか、白い布が床中に散乱していた。 一口に白といっても、ややクリームがかったもの、ユリの色、雪の色、磁器の色、光沢のあるものとさまざまだ。シフォンやモスリン、透かし織りのあるもの、淡雪のようなレース等々、織りもいろいろ揃えられていたが、アイラには白くて薄い布という以上の判別はできなかった。目がちかちかする。 「ああ、アイラ。待っていたのよ。入ってちょうだい」 花嫁以上に幸せそうな表情で、布の中に埋もれていたエーディンがアイラを仰ぎ見た。待ちきれずに立ち上がって自分から近づくと、両手に持っていた布地をさっそくアイラに当ててみる。 「……、エーディン、この山は――」 「もちろんこれでドレスを作るのよ。やっぱり、これじゃ薄すぎるかしら」 「そのことなんだが――実は…」 「みんなが手伝ってくれるというから、大丈夫、お式には間にあうわ」 言いながらエーディンは別の布を取りに踵を返す。その足取りは弾むように軽やかだ。 「そうではなくて――あの…だな…」 「あたしも手伝うから安心してね。アイラ、おめでとっ」 何か言おうとしていたアイラの背をティルテュが勢いよく叩いた。それから扉の前に突っ立っている背中をうんしょと押して部屋の中央へ連れていこうとする。 「あ、ティルテュ、ちょっと待って。布を踏まないように片づけるから」 慌てたように言うエーディンに、 「お手伝いします」 「ほらほら、花嫁は椅子に座って座って」 新たに現れたふたりが脇をすり抜けて部屋に入り、腰を屈めて布を拾い上げては皺にならないように器用にくるくると丸めていった。 「へぇ、集まったね」 アイラの肩越しに声をかけたのはブリギッドだ。ティルテュを押しのけ、アイラの腕をつかんで部屋の中央にある椅子に押し込むようにして座らせると、エーディンが礼を言った。 「お姉様、布の手配をありがとうございました。朝早く届けていただきましたわ」 「なに、賭けのツケを払わせただけさ。それにあたしはこっちでは力になれそうもないからね。それにしてもずいぶん景気よく持ってきたもんだな」 「なんだか妙におどおどしていましたわよ。何をなさったんですの」 最後に主役以上に主役らしい輝きをまとわせて現れたのはラケシスだ。左手に小箱を抱えている。軽く会釈をして入室すると、 「みなさんもうお集まりだったのね。飾りになりそうな小物をいろいろと持ってきたのだけれど」 と言って、卓上に持参したものをひろげた。ティルテュがうわあと歓声をあげる。 「すっごい手の込んだレース〜っ」 「時間があれば編んで差し上げるのだけれど」 「こんなのが編めるのー?」 「根気さえあれば誰にでも編めてよ」 「うっ、根気…」 「それじゃ、ティルテュには無理だわね。アゼルのほうが向いているのじゃないかしら?」 「あっ、なにそれ、どういう意味」 「言葉通りの意味だろ」 「ひどーい!!」 ティルテュがむくれる横でフュリーがそっと卓の上に手を伸ばす。 「…この髪飾り、すてきですね…」 「アイラ向けじゃないでしょそれ。フュリー、あんた、自分の好みで見てるんじゃないわよ」 「わ、わたしはそんな…」 ――女が三人寄れば姦しいというが、ではその倍ではなんと表現したらよいのだろうか。 こまごまと寸法を測られ、髪をいじられ、さんざん布を巻きつけられて憔悴したのか、途中でアイラは青い顔をしてふらふらと部屋を出て行った。それに気づいたのは針仕事にまるで興味のないブリギッドただ一人だった。 ブリギッドは椅子の背もたれに腕をかけて、女達のああでもないこうでもないという騒動を眺めていたが、多分に同情を込めてアイラの背中を見送った。 |
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