炎が弾けた ひとつ身震いをして、初春のグランベルは寒い、と俺は思った。 こうして毛布を被っていてもなお肌寒い、戦場の一夜。 それでも今この時俺の身を震わせるのが本当に冷気なのか、それとも恐れなのか、あるいは高揚感なのか ただひとつ確かなことは、こんな夜は今夜で最後だということだ。 「……ジャムカ?」 澄んだ清流を思わせる滑らかな声が、焚き火を見据えていた俺の背後から聞こえた。 振り向かなくても分かる。他の誰よりも何よりも愛しい旋律。君が俺の名を呼んでくれることが、あと何回あるだろうか。 「まだ起きていたのか、エーディン」 俺の愛する妻は、泥と血で汚れた服のまま俺の隣に座る。心優しい僧侶である彼女は、きっと今まで身を粉にして負傷者の救護にあたっていたのだろう。 「貴方が起きているのに、私だけが休んでなどいられません。……それに、みんな頑張っているのよ」 「けれど、君は負傷者の傷を癒せる数少ない人だ。君はもう休んだ方がいい……明日のためにも」 エーディンの美しい顔が少しだけ曇る。 ……本当は、俺にも分かっている。休めと言われてはい分かりましたと簡単に眠りにつけるはずはないことくらいは。 今、俺達はグランベルの王都バーハラに迫っている。無実の罪を着せられて祖国から反逆者と追われる、シアルフィ公子シグルドの決して多くはない仲間の一員として。 皆、長い戦いの末に疲弊しきっていた。負傷者も戦死者も後を立たず、僧侶たちも休む暇さえない。本来前線に立つはずのない魔道士が戦陣を切るような、苦しい戦い。 俺も、ヴェルダンの王子としてこれまでにも何度か戦場に立ったことはある。しかしそれは、荒くれ男たちのいわば喧嘩のような小さなレベルのもので、大規模な戦争というものはここに来て初めて経験した。 最初の内はまだ良かった。国を失い、しかも彼らを戦に引き込んだ国の王子であった俺を、シグルドたちは暖かく迎えてくれた。 そして捕まえた、俺の一番大切な君…… 天にも昇る幸福だった。美しく優しい君、多くの貴族や騎士に望まれていた君がこんな何もない男を選んでくれたなんて、本当に夢のようだった。 天国だ、と思った。ここが、俺の天国なんだと。 けれど、軍隊が天国になるはずなんてなかったんだよな、と気付いた。 今、ここは地獄よりも凄惨だ…… ここにたどり着くまでに見た光景が、俺の心を切り裂いてゆく。 何故、人はこんなに醜くなれるんだろう? 昔、俺は天国にいた。 深い森と美しい湖の楽園。 他国からは蛮土とさげすまれてはいたけれど、小競り合いも耐えなかったけれど、ヴェルダンの朝は輝いていた。 大切な場所がそこにはあった。 戦争は醜い。戦いは、人を修羅に変える。心のない悪鬼に変える。 昨日まで微笑んでくれていたからといって、今日もそうだとは限らない。忠誠なんて不確かなものだ。血のつながりさえも蜘蛛の糸よりも脆い。 この軍の戦士達が失ったものは大きい…… それは時に国であったり、家族であったり…… もっと、大切なものであったり。 俺は知っている。失われ行く父の命を前に、泣くことさえも出来ない深い慟哭に包まれていた指揮官のことも。非道を正すためとはいえ自らの父をその手にかけた騎士の嘆きも。砂漠の果てで散った、愛と友情も…… 空っぽだ。 ここにはもう、何もない。 あるのはただ、名誉という名の儚い花を後生大事に抱えているだけの哀れな骸…… けれど俺には君がいるから。 天国を追われた後も、君という女神に出会えたから。 君と、君の抱きしめる新しい命がそこにいてくれるから。 それだけで、俺は全てを持っていると思える。 確かなものは、君がそこにいる。それだけでいい。 「エーディン、君には感謝しているんだ」 「……?」 「リューベックを陥とした後、イザークへ逃れるように言い募った俺を君ははねのけ、最後まで共に行くことを望んでくれた。あの時は何て無茶なことをと思ったけれど、今、君がいてくれて良かったと思う」 「私は……ただ、貴方の側にいたかった。貴方が側にいてくれれば、それだけで私は生きている喜びを感じることができるのです」 「ああ、俺も同じだ。君がいてくれるから、この虚しい戦いを生きて来られたんだ。今、強く思うよ」 明日、俺達はバーハラの空の下にいるだろう。 そして、この歪んだ戦いに終止符が打たれる。 もう、こんな寒い場所で小さな火を頼りに震えることはない。 「明日……すべてが終わるな」 「……ええ……」 明日全ての決着はつく。戦士達の誰もがそう思っている。 誰もが眠れない夜を過ごしているだろう。……もしかしたら、この世で最後になるかもしれないこの静かな夜を。 ……分かっている。分からないほど馬鹿じゃない。 俺達が目的を果たせる可能性は、限りなく低いこと。 おそらく王都には、10倍……いや、100倍でも足りない位の敵が待ち受けているだろう。冷静に物事を考えれば、この軍の行き着く場所はひとつしかない。 けれど、それでも切り出した言葉は…… 「全てが終わったら、真っ先にイザークに行ったレスターを迎えに行こう。……一緒に」 「……ええ、きっと……」 それに答えるエーディンの声に躊躇いの色がないのが嬉しかった。 「一緒に生きましょう、ジャムカ。家族みんなで一緒に。どんな場所でも、私はあなたとなら幸福になれるわ」 「そうだな。どんな場所でも、愛する君が微笑んでくれたら俺は生きて行けるよ」 「明日……明日が終わればきっと一緒に行きましょう。たとえどんなことになっても、何があっても、一緒に……」 優しく微笑むエーディンを、俺は強い力で抱きしめる。 そして、少しだけ笑う。 虚しい夜に不釣り合いな、暖かい笑顔で…… 君がここにいてくれることが俺の全て。君のその柔らかい声が紡ぎ出す旋律だけが、俺に聞こえる全ての音。 俺は君の言葉だけを信じていよう。明日が終わればきっと一緒に歩き出せる。 たとえ、彼の騎士の真実が証明されても、 善戦虚しく声は草の間に消えたとしても、 俺はきっと、君と共に生きて行こう。 どんなに遠く、荒れた野原でも…… 君と会えたこの場所さえも天国じゃなかったけれど、それすら本当はどうでもいいんだ。 君がここにいる。それだけでどんな天国よりもずっと輝く、俺達の場所。 天国じゃなくていい。辛くても俺はこの大地を歩んでいたい。 何よりも誰よりも大切な、君と共に。 もう、天国は……
1998.12.22
カイルさんへ ジャムカ×エーディンでバーハラ決戦直前のシリアス‥‥‥ということだったんですが‥‥‥ すみませんすみません〜〜!!(号泣)何だか全然分からない話になってしまいました〜〜〜 次があったら精進します、ううう‥‥‥(泣きながら退場) |
SEO | [PR] !uO z[y[WJ Cu | ||